患者の7割は40代の女性でストーカー行為に及ぶことも(shutterstock.com)

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 アナタに愛されたい、自分の存在を認めてほしい――。そう願うのは自然な恋愛感情だ。熱烈な「愛されたい症候群」は、もちろん病気ではない。

 しかし、好きな相手に愛されていると思い込む「妄想性障害(エロトマニア)」はタチが悪い。別名「クレランボー症候群(Clérambault's Syndrome)」とも呼ばれるが、この病名は1872年にフランスに生まれた精神科医ガエタン・ガチアン・ド・クレランボーにちなむ。

 クレランボーは紆余曲折を経て医学の道を選んだ。大学では法律学を熱心に学ぶものの、急に気が変わって国立美術学校に転学。身長160cmながら、丙種合格で辛うじて入隊。前線で2度も負傷するものの、戦争の無残さや軍医の勇敢さに胸を打たれる。除隊するや否や、医学に猛突撃。27歳で精神医学の学位を取得。アジール・ド・ラ・セーヌと呼ばれるパリの複合精神科施設や特殊拘置病院で精神科医の天職をたぐり寄せる。

 アルコール依存者、エーテル常習者、アヘン吸引者、自殺未遂者、放火魔、露出症、フェティシスト、てんかん患者、認知症患者、知的障害者......。数千人もの夥しい精神障害者、難病患者、犯罪者の診察に忙殺される。

クレランボー先生もクレランボー症候群だった?

 1921年7月、49歳のクレランボーは、フランス臨床精神医学学会で、クレランボー症候群と思われる女性4人の症例を初公開した。彼女たちには共通点がいくつかある――。

 相手が自分に好意を抱いているという妄想に耽る。社会的地位や階級の高いと人物と結びつきたいと渇望する。拒否されたり、嫌悪されたりすると、ストーカー行為に走ったり、フラストレーションから暴力を振るったりする。ただし、ストーカー行為に及んでも罪悪感や自覚がほとんどない。自分のアイデンティティに充実感を感じられないので、愛されているという妄想に取りすがってひたすら生きようとするからだ。

 クレランボー症候群は、完全な虚構や妄想に基づく、精神薄弱、ヒステリー、冷感症、性倒錯と判断されている。患者の7割は40代の女性だ。相手が自分に惚れていると思い込む「純粋色情狂」と、恋愛感情やストーカー行為がコントロールできない「精神自動症」の2類型に分類できる。

 アメリカの精神科医ドリーン・オライオンの『エロトマニア妄想症 女性精神科医のストーカー体験』(朝日新聞社)によれば、エロトマニアの妄想に取り憑かれた者が求めるのは、愛する相手との肉体的な結合ではなく、ロマンティックで精神的な一体感だ。

 妄想は執拗で何年も続く。別の対象を見つけない限り終わらない。ストーカーは精神分裂症などを抱えているため、強制的な解離、禁止命令、収監などの法的介入が必要になる。抗精神病薬のメジャートランキライザーを投与すれば、恋愛妄想やつきまとい行為が改善される場合もある。

 さらに、司法精神科医リード・メロイは、相手もいつかは愛に応えてくれるという過剰な理想を持つ人を「ボーダーライン・エロトマニア型妄想性障害」と呼んでいる。この精神障害は、妄想に取り憑かれたエロトマニアと違い、相手と接触して初めて異常な執着を持つようになるため、ストーカー行為に走るリスクが極めて高い。最近増えているストーカー犯罪は、この妄想性障害が多いかもしれない。
クレランボー先生もクレランボー症候群だった?

 ところで、毛皮、シルク、ビロード、サテンの熱烈コレクターだったクレランボー先生は、クレランボー症候群だったフシもある。自分の論文を盗作されたと知るや、いきなりキレて決闘に及ぶほどの短気者で、恋のサヤ当てやスキャンダルも数知れない伊達男だった。

 そして、1934年11月16日午後1時すぎ、支離滅裂な走り書きの手紙と遺書を書き終える。「私は終わってしまった人間だ!」と叫び、やにわに銃を口にくわえた。熱血漢精神科医、62歳の無残な最後だった。

*参考文献/『アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語』(ダウエ・ドラーイスマ/講談社)など


佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。