『自己愛モンスター「認められたい」という病』(片田珠美/ポプラ社)

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 ネットによる影響なのか、自らの欲望をコントロールできずに事件やトラブルを起こす人たちの事例が目立つ。殺人にまで至るストーカー、過剰な謝罪を要求するクレーマー、そして、暴力的な言動で医療従事者に食ってかかるモンスターペイシェントなど、時には犯罪にまで発展することもある。

 彼らの心の奥底には「自分は特別な存在である」というある種の特権意識が潜むというのは、精神科医の片田珠美による書籍『自己愛モンスター「認められたい」という病』(ポプラ社)だ。

 著者によれば、自己愛の肥大化は欲望をかき立てる「欠乏感」から来るという。そもそも誰もが持ちうる「〜したい」という欲望は、自分の中に何かが欠けているという感情から生み出される。身近なものでいえば、就職のために何かの資格を取りたい、どうしても欲しいものがあるからお金を稼ぎたいといったこともその一例だ。

 本来、欲望とは必ずしも「悪」ではない。それは、知的好奇心や探究心が文明の発展に寄与してきたことからも明らかだ。しかし、何かと比較することで自身の中にある欠乏感が肥大化して、表題にあるとおり「自己愛モンスター」となりうる危険性も潜む。

 欠乏感の比較対象は大きく分けてふたつあると著者は主張する。ひとつは、過去の自分である。例えば、日々の生活がカツカツでようやく貯金額が100万円に達した人と、数億円の資産を持つ人にとっての100万円では意味合いが異なる。しかし、後者の資産家が何らかのきっかけで挫折し、貯金額が100万円にまで目減りしてしまった場合、過去の自分をうらやみ、ひいては周囲の環境に不平不満を嘆くようになる可能性もある。

 また、とりわけSNSが盛んな現代においては、他人との比較による欠乏感も膨らむばかりだという。フランスの精神分析家、ジャック・ラカンは「人間の欲望は他者の欲望である」という言葉を唱えたというが、他人からの評価を気にする人は少なくない。SNS上には笑顔に溢れた写真や、充実した毎日を送っているような投稿も目立つ。それらを目にすることで、他人との比較による劣等感が欠乏感を生み出す場合もある。

 現代は「一億総比較社会」だとする著者は、誰もが「自己愛モンスターになりうる」と警鐘を鳴らす。それを回避するためには、時には「あきらめる」という勇気を持つこと。欲望は必ずしも満たされないと開き直るのも必要で、他人との比較にさらされるSNSからも距離を置いてみる。そして、何より自分をどこか客観的に見つめる意識が必要だという。

 本書では、尼崎連続変死事件やオウム真理教事件など、過去の事例を交えて自己愛モンスターの形成過程をさらに深く掘り下げている。自分がそうならないため、そして、自己愛モンスターから身を守るためにも、現代社会へのひとつの“警告”として参考にしてみるのはいかがだろうか。

文=カネコシュウヘイ