『はなとゆめ』(冲方丁/KADOKAWA)

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 学生の頃、清少納言の『枕草子』は随筆、つまり「エッセイ」だと教わった。「春はあけぼの」から始まる一文は、多くの人が覚えている有名な文章だと思う。私が初めて『枕草子』に触れた時の感想は、「お貴族様は忙しい現代人とは違うよね」というもの。

四季のうつろいをのんびり眺めて、蹴鞠して和歌を詠んで、風流に、ゆったり生きている。なんだか、自分とはかけ離れた生活を見ている気持ちだった。

 しかし『はなとゆめ』(冲方丁/KADOKAWA)を読み、清少納言が『枕草子』を書いた理由を知って、「当時のオシャレブログ」程度に思っていた『枕草子』への印象が大きく変わった。つらいことや、かなしいことを、清少納言は敢えて書かなかったのだ。

 それは、自分の才能を開花させ、大切にしてくれた主人と、その時代を彩った愛しい人々との思い出が、美しい「華」として千年の後も輝き続けてほしかったから。その輝きの中に、悲しみは不要だと思ったから。

「平安時代」と言うけれど、決して清少納言の人生は一貫して平穏というわけではなかった。朝廷内の権力争いに巻き込まれ、敬愛する人々を奪われ、失くし、あらゆる別れを繰り返しながら、自分の愛した「華」を文章で遺した。

 それが清少納言の生き方だったのだ。

 本作は、清少納言の視点で、終始物語が進んでいく。清少納言は28歳という、当時では「中年」くらいの年齢にして一条帝の后である中宮定子(ていし)に仕えることになった。自信のない清少納言は、才媛ばかりの他の女房たちに気後れして、宮中の華やかな雰囲気に馴染めずにいたが、17歳の定子に漢詩の才能や機転の利いた歌のやり取りなどの才能を見いだされ、徐々に宮廷での存在感を増していくことになる。

 美しく聡明な主人である定子。そして華麗なるその一族。優雅で、華やかな宮廷の貴族たちとの交流……清少納言はそれらの愛おしい全てを「華」として、心の底から愛していた。

 しかし、幸せな日々は長く続かない。定子の父である関白・藤原道隆が死去し、叔父の藤原道長が宮中で力をつけていくと、定子をはじめ、道隆の一族は次第に衰退していく。清少納言も、その権力争いに巻き込まれていくことになるのだ。

 時代小説というと、「難しい」と感じる方も多いかもしれない。だが本作は、一人の普通の女性の視点から物語が語られるため、「自分とは無関係の遠い時代のお話」とは思えなかった。「思う人からは一番に愛されたい。二番目、三番目だったら、憎まれた方がましよ」と書き残している清少納言の気持ちが、少しも分からない女性はいないのではないだろうか。

 もちろん、本作は小説なので、史実として清少納言が『枕草子』を書いた理由は違うかもしれない。だが、「きっとそうだったのだろう」と思えるほど、あらゆる面で内容が濃かった。なにが事実かなんて、この小説を読んでいる内は関係ない。この物語が「真実」だと、そう思わせてくれる時代小説は数少ないが、その一冊が、『はなとゆめ』なのである。

 なお、7月23日には角川文庫版の電子書籍も配信開始された。通常版の他に、「電子ビジュアル版」が配信される。「電子ビジュアル版」は、『Another』(綾辻行人/KADOKAWA)の装画を手掛けたことでもおなじみ、イラストレーター・遠田志帆さんの新聞連載時カラー挿画全198点を収録した豪華版だそうだ。(※本文内容は、通常版の「はなとゆめ」と同一)。

 また2016年7月23 日(土)からは、冲方丁の『はなとゆめ』『天地明察』『光圀伝』の歴史小説3作品の冒頭100ページ強(文庫換算)を1冊にまとめた、『冲方丁歴史小説3作品試し読み合本(『天地明察』『光圀伝』『はなとゆめ』)』が電子書店各店にて無料配信されている。2010年に本屋大賞を受賞し、公開された映画も大ヒットとなった、冲方丁の歴史小説『天地明察』。その『天地明察』から続く、冲方丁の歴史小説シリーズ3作を、この機会にぜひチェックしてみよう。

文=雨野裾