常にポジティブなスタンスでチームを指揮。その前向きな言動と自らの名前をもじり、仙台時代には“ポジテグ”との愛称で呼ばれたことも。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

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 手倉森誠という監督を端的に言い表わすなら、どんな言葉が相応しいだろうか――。
 
 闘将。常に戦う姿勢は見せているが、ひとつの側面を捉えているに過ぎない。
 
 智将。緻密な戦略家であるのは間違いない。ただ、お得意の“ダジャレ”のイメージが先行して、どうもしっくりこない。
 
 モチベーター。選手を奮い立たせる言葉は豊富だ。これが最も当てはまるだろうか。
 
 思案した挙句、助けを求めることにした。手倉森のベガルタでのコーチ時代からを知る同クラブのあるスタッフに聞いてみた。
 
 もっとも、そのスタッフは長い時間を手倉森とともに過ごし、有り余る魅力を知り尽くしているからこそ、「どれもピンと来ないんですよね」と、すぐに一言で表現することに難儀していた。
 
 それでも、思い出を一つひとつ紐解き、ある時にかけられたフレーズと当時の自身の心情が蘇ると、最適解を見つけた感触があったという。
 
 2011年の春。東日本大震災が起こり、被災地クラブとなったベガルタは、活動再開に向け、千葉県でキャンプを張っていた。
 
 当時は広報としてチームに帯同していたそのスタッフは、トレーニングできる環境を与えてもらったことに感謝しつつ、いつもとは勝手が違うなかで悪戦苦闘しながらも、しかし仕事に集中し切れずにいた。
 
 宮城県石巻市出身の彼は、仙台から遠く離れ、すぐには地元に戻ることができない距離にいることで、“地元を離れてしまっていいのか”と自問自答を繰り返していた。復興に向けて、自分の家族や故郷の人たちは大変な思いをしている。いくら仕事とはいえ、自分は千葉にいていいのか。やるべきことを残してきてしまったのではないか。
 
 引き裂かれそうな気持ちをなんとか抑え込み、ひとまずはベガルタでの仕事をこなしていく。
 
 そんな葛藤に苦しむスタッフの姿を、手倉森が見逃すだろうか。
 
「どういう意図で言ったのかは、直接聞いてないから知りませんけど。誠さんも覚えていないでしょうし」
 
 そう振り返る彼は、しかし、手倉森にかけられた言葉で一気に仕事に集中できるようになった。一切の迷いなく、ベガルタのために全力を注ぐことができるようになったという。
 
 被災地クラブとして、一時的に関東に拠点を移し、リーグ再開に向けて活動していたベガルタには多くのメディアが取材に殺到した。監督の手倉森にもインタビュー取材の要請がいくつもあり、そのうちのひとつに対応しようとしていた時だった。
 
 ホテルで取材を終え、それぞれの部屋に戻るまでのほんの短い間に、並んで歩く手倉森からこんなことを言われた。改まった口調ではなく、何気ない感じだった。
 
「いろんな人の助けや力を借りて、今、こうして活動できている我々には、大きな注目が集まっている。広報として、クラブを全国に売り込む良い機会なんじゃないのか」
 
 ハッとさせられた。広報としての責務をどこか全うし切れていない自分に、そして、どんな状況でも下を向かず、ポジティブに物事を進めようとする手倉森のスタンスに。
 
 状況が状況だけに、“売り込む良い機会”という捉え方は、ある意味、非常識かもしれない。それでも、いつもとは違う姿を見せているスタッフに前を向かせるための手倉森なりの叱咤激励だったのだろう。
 
「誠さんのあのひと言で気付かされたというか、完全に気持ちを切り替えられたんです。よし、やってやろうと、自分の仕事に対して“本気”になれた瞬間でした」
 
 悲しみや喪失感に打ちひしがれている場合ではない。吹っ切れた。ひとりでも多くの人に、復興のシンボルとして戦う覚悟を決めた「手倉森ベガルタ」のことを知ってもらおうと、彼は広報としての仕事に没頭した。