自民党衆議院議員石原のぶてる(伸晃)公式サイトより

写真拡大

 小池百合子の圧勝で終わった東京都知事選。小池はさっそく、「日本国憲法の無効確認と大日本帝国憲法の復活」を求めた野田数・元都議の特別秘書起用を決定するなど、安倍政権同様に戦前回帰的な姿勢を剥き出しにしている。

 だが、都知事選後の動きではもうひとり、うんざりさせられた人物がいる。それは、増田寛也を担いで小池に完敗した責任者・自民党東京都連会長の石原伸晃だ。

 昨日午前に行われた記者会見で、伸晃は「選挙に負けたから責任をとります」と発表。しかし、その他方でこんなことを言い出したのだ。

「知事選は党本部マター。お金も都連でなく党本部が集めたのであり、責任者は幹事長なんです」

 いったいこの男は何を言っているのだろう。今回の都知事で小池の推薦を拒否したのが、自民党東京都連会長の伸晃と同幹事長の内田茂であることは誰の目にも明らかではないか。

「推薦については、むしろ伸晃さんが主導でした。マスコミ報道では今、東京都連の内田茂幹事長が最大の戦犯と名指しされ、伸晃さんも逆らえなかったということがしきりに報道されていますが、小池さんに対する拒否感はむしろ、最初、伸晃さんのほうが強かった。週刊誌でも記事なっていましたが、伸晃さんは過去に小池さんに何かの件で馬鹿にされたことがあるらしく、今回も『絶対に小池だけは嫌だ』と言い張っていました。内田幹事長はその伸晃さんに乗っかったというかたちです。途中からは、小池さんが都連との対決姿勢を打ち出したため、内田幹事長のほうの怒りが強くなり、前面に出るようになりましたが......」(自民党東京都連関係者)

 しかも、石原=内田コンビはそのあとも次々と失態を重ね、小池を勢いづかせた。まず、先月11日には、自民党都連が伸晃名で"小池に投票した者は親族含め除名"の文書を送付。この時代錯誤の圧力が、たんに国政で自分が寄生できる権力者がいなくなったために都政に名乗りをあげただけの小池を「腐敗した都政のために立ち上がったジャンル・ダルク」に仕立ててしまった。

 さらに、石原は自分の父親である石原慎太郎を増田の応援に担ぎ出したが、その慎太郎が「厚化粧の大年増」などと発言したことで、女性が完全に増田にそっぽ。小池の当選を決定づけてしまったのである。

 そう考えると、最初から最後まで、今回の都知事選敗北の戦犯は明らかに伸晃なのだ。それを、伸晃はこの辞任表明会見で、選挙は党本部が管理してきたのだから都連会長の自分には責任はない、責任者は谷垣禎一幹事長だ、と言い張ったのである。 

「伸晃さんとしてはおそらく、本当は内田幹事長に責任を転嫁したかったんじゃないでしょうか。小池さんが出馬した後の都連の強硬姿勢はほとんど内田幹事長の主導でしたから。でも、内田幹事長は、今なお、東京都連で絶対的な力をもっているから、怖くて逆らえない。だから、今しゃべれない谷垣さんに責任をなすりつけたのでしょう」(前出・自民党東京都連関係者)

 周知のように、谷垣は都知事選の公示から2日後の先月16日、サイクリング中に転倒し、頸髄損傷の重傷を負い現在も入院中。「会話ができない状態」だといわれている。まさに"病人に口なし"とばかりに責任をなすりつけるようなことをして、この男は恥ずかしくないのだろうか。

 いや、こんなことをこの男に言うのは無駄か。むしろ、このような態度こそが伸晃らしさ、"ザ・石原伸晃の所業"と言ったほうがいいのかもしれない。

 2014年の環境相時代には、福島県の汚染土中間貯蔵庫の施設建設をめぐって「最後は金目でしょ」と発言し、大きな批判を浴びたことは記憶に新しいが、伸晃は父・石原慎太郎と同じように"暴言"を繰り返してきた。

 たとえば、11年と12年にはテレビ出演時に2度にわたって、「(汚染土を)運ぶところは福島原発第1サティアンしかない」と発言。11年には、イタリアの国民投票で原発反対派が多数となったことについて、「集団ヒステリー状態」と表現したこともあった。原発事故から間もないときより、伸晃は福島県民や原発に不安を覚える人びとの感情をまったく無視してきたのだ。

 さらに、12年2月には、胃ろう患者が入院する病室を視察した際、「エイリアンが人間を食べて生きているみたいな」と感想を述べたり、13年5月1日に熊本県で開かれた水俣病の慰霊式後の懇談では、国に対する要望を伝える団体代表に対し、伸晃は携帯電話を見たり、事務方とやりとりするなど患者をガン無視。その聞く耳をもとうとしない態度には、患者から「ちゃんと聞いてくれ」と声があがったという。

 そしてきわめつきは、12年9月に出演した『報道ステーション』(テレビ朝日)での発言だろう。伸晃は番組内で社会保障費削減について問われると、生活保護をネット上の蔑称である「ナマポ」という言葉で表現。そのうえ、社会保障費の話の最中に"私なら延命治療などせずに尊厳死を選択する"という趣旨の発言を行った。

 弱者の声を受け止めることもなく、そればかりか命の尊厳を軽んじ、差別を煽るような暴言を吐きつづけてきた伸晃。ちなみに、伸晃の口癖は「オレ、そんなこと知らない」「オレ、聞いてない」なのだという。慎太郎の威光を笠に着て、都合が悪くなれば「知らない」「聞いてない」と言い逃れる──。まさに"アホボン"の典型だ。

 実際、社会人時代にはこんなことがあったという。伸晃は1981年に慶應大を卒業して日本テレビに入社し報道局の記者となったが、運輸省担当時代の85年に、単独機としては史上最悪の犠牲者数を出した日航ジャンボ機墜落事故が発生する。が、このとき伸晃は会社に連絡先を知らせないままイタリア旅行に出ており、ようやく連絡が取れたときには、「あとはよろしくお願いします」と呑気に言い放って旅行を続行させたのだ。この"事件"は「今なお、日テレ報道局史上に残る致命的失態」(「週刊新潮」12年9月27日号)と言われているというが、ふつうは入社4年目の記者がこんな態度をとれるはずがなく、"大物政治家の息子"ならではのエピソードだ。

 しかも、伸晃は2007年に山崎拓の派閥・山崎派に入ったが、この際も、父・慎太郎が日テレ会長の氏家齊一郎を立会人にして山崎と会い、「伸晃を首相にしてやってくれ」と求めたという(「サンデー毎日」12年9月23日号)。また、12年の東京都知事選で出馬を渋った慎太郎は、出馬を説得する森喜朗に対して「その代わり、伸晃のことを頼む」と交換条件を出したことを、森本人が証言している(森喜朗・田原総一朗『日本政治のウラのウラ 証言・政界50年』講談社)。このことがあって、森は同年の自民党総裁選挙で同じ派閥の町村信孝や安倍晋三ではなく、伸晃支持に回ったという。

 慎太郎はスパルタ教育を提唱し、著書のなかでも「暴力の尊厳を教えよ」などと述べてきたが、自分の息子に対してはこうやって甘やかしてきたのだ。逆に伸晃も、つねに慎太郎に守られながら政治家としての立ち位置を固め、父ゆずりの暴言を吐き、責任問題に発展しても逃げつづけてきたのである。

 そして、最大の問題はこんな人物を安倍首相がずっと重用してきたということだろう。前述したように、第二次安倍内閣で環境相、原子力担当大臣に起用したばかりか、「最後は金目でしょ」という重大な問題発言をしても辞任させず、甘利明の辞任に伴って、再び、経済再生相という重要ポストに抜擢した。

 しかも、今回の内閣改造で、都知事選の大失態があったにもかかわらず、安倍首相はこの無責任男を留任させてしまったのである。

 これはもちろん、伸晃が安倍首相の"お友だち"だからだ。今回の内閣改造では、経産相に安倍首相の腹心である世耕弘成を、大のお気に入りである稲田朋美を防衛相に抜擢するなど、露骨なまでの"お友だち内閣"化が進んでいる。伸晃の留任もその一環ということだろう。

 メディアもグルになった状態の現政権下では、いくら大臣が暴言を言い放ったり、破廉恥スキャンダルがもちあがったりしても、辞任に追い込まれることはない。伸晃のような無責任な人間が平気で重要閣僚として居座ることができる。しかし、そのツケは必ず、近い将来、私たち国民に回ってくるだろう。
(田部祥太)