『読まずに死ねない哲学名著50冊』(平原卓/フォレスト出版)

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 哲学とは何か? と聞かれたら、読者は何と答えるだろうか。私は「人生を生きていく上で迷わず進める指針になるもの。または、迷ったときに進むべき方向を選ぶ手助けをしてくれるもの」と答えるだろう。

『読まずに死ねない哲学名著50冊』(平原卓/フォレスト出版)では、著者の平原卓氏が選んだ、優れた哲学者の叡智が50タイトル記されている。しかし、哲学と聞いてもピンとこない方や「おそらく難しい考え方がもっともらしく書かれているのだろう」と思う方もいるはずだ。実際その通りで、本書は平原氏の手によって非常に分かりやすく書かれているが、それでも「ちょっと難しい」というのが素直な感想だ。

 平原氏も、哲学は一度見聞きしただけではなかなか理解できないと言い切っている。だが、だからといって諦めるのはもったいない。本書に収められているのは、有名な哲学者50人が死ぬほど考えて導き出した人類の叡智ともいうべき代物だ。頭の良い人がふりしぼって考え出したのだから、簡単に理解できないに決まっている。でも、読んで伝わるものは必ずある。確実に身についているものがある。

 こんな経験はないだろうか。「そういえばあのとき、親や教師や先輩が言ったあの言葉。当時は分からなかったけれど、今なら分か る」。絶対にあるはずだ。私たちが人間として成長したからこそ、年長者の言葉が時を超えて理解できたのだ。今は分からなくても、本書を繰り返し読めばきっと理解して身につくときがくる。そのとき、人生がまた少し良くなる。この夏、ぜひとも哲学に挑戦してみてほしい。

■ニーチェの考える道徳

 今回は、哲学者で有名なフリードリヒ・ニーチェが考える道徳について紹介したい。しかし、本書に書かれていることは、確かに非常に分かりやすく書かれているが、それでもちょいと難しい。さらにそれをまとめるのは、私の技術では少々不安だ。すでに『読まずに死ねない哲学名著50冊』に興味のある方は、私の記事はすっ飛ばして本書でチェックしてほしい。

 「あの人は道徳的だ」と聞かされたとき、私たちはどのような印象を受け取るだろうか。困った人に手を差し伸べたり、思いやりのある行動をしたりするなど、人としてなすべきことをする人をイメージするはずだ。だが、もし道徳が「こんな世の中ではあってはならない」という恨みの感情によって支えられていたらどうだろうか。これが、ニーチェの問題提起だ。

 ニーチェは、自然な「よい」と「悪い」の価値判断が「妬み」によってゆがめられたと主張している。そもそも「よい」という判断は、「よい」人たちが自分自身の行為を「よい」と評価したことにあるとしている。つまり「よい」という判断は、自己肯定の表現として現れたという。反対に、妬みによって現れる道徳も存在するようだ。妬みに侵された人間は、強者を「悪人」として思い描く。そして、この「悪人」に対比して、弱い自分を反動的に「善人」とみなす。「強い」は悪い、「弱い」はよい、我々は「弱い」から我々は「よい」。こうした推論がねじ曲がった道徳を生み出していくというのだ。

 私たちは、自分の人生が上手くいかないとき、人生や世界を否定的に解釈してしまうことがある。「こんなはずじゃなかった」「なぜ自分ばかりこんな目に遭うのか」。すると反動的に、正しいのは苦しんでいる自分であり、間違っているのは社会の側だと解釈してしまうことはないだろうか。「苦しい『生』こそ真理だ」「豪華な生活はいつか崩れ落ちる」「物を持たない質素な生活こそ正しい」。本書のニーチェのタイトルでは、こうした歪んだ道徳が世の中に存在して、その影に妬みがあるという指摘を受けた。

 ニーチェは、道徳の本質や人間の心理を突いて、私たちが普段考えないような境地の思想を示している。この考え方を知ることで、直接的に金銭に結びついたり、明日からの生活に劇的な変化が起こったりはしないだろう。しかしこれを知ると、なんとなく人生が良い方向に進みそうな気はする。毎日の小さい判断でこれが活きて、その積み重ねがやがて大きく人生を変えてくれそうな気はする。全て抽象的な表現だ。だが、これも哲学だ。哲学を学ぶことは無駄ではないし、悪くないと私は思う。

文=いのうえゆきひろ