『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』(春日太一/文藝春秋)

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 NTTコムリサーチがネット上で実施したアンケート「第5回 『映画館での映画鑑賞』に関する調査」によれば、1年間に映画館に行く人は国内では38.7%という状況で、大作映画の派手な宣伝を目にする機会は多いものの映画館離れは深刻らしい。娯楽の多様化など、いろんな原因があるのだろうが、『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』(春日太一/文藝春秋)を読むと、本書には実に魅力的な「あかんやつら」が入れ替わり立ち替わり登場し、血湧き肉躍る昔日の映画界の活気が伝わってきて、今の時代に失われたモノを感じる。

 しかも、その「あかんやつら」の中には、日本映画の父と呼ばれるマキノ省三の実子、兄の雅弘と弟の光雄もおり、いち撮影所の実録ルポでありながら、まるで日本映画の興亡史のようであった。

 撮影所の所長に就任した光雄は、俳優や監督のみならず劇場支配人に至るまで「客のことを忘れたらアカンで」と言い聞かせ、観客を飽きさせないように「ヤマ場からヤマ場へ」とテンポ良く物語を運ぶようスタッフに厳命していたそうだが、本書の著者もまたその薫陶を受けているかのようである。著者は大学院に在籍していた頃から論文執筆のために取材を始め、取材だけでも10年の歳月をかけたというから膨大な取材記録があるはずだ。しかし本書においては、情緒的な表現や余計な説明を徹底的に削いで軽快な筆致で読ませてくれる。

 戦後間もない資金繰りの苦しい頃の逸話では、小道具は作るよりも借りたほうが安くつくからと、「警察から本物のブローニングを借りた」なんてことがサラリと語られ、徹夜続きの監督である雅弘に「兄貴の元気をつけるため」と光雄がヒロポン(覚せい剤)の注射を打ってやったなどという話が、さも当然のように注釈無く記述されていく。

 東映といえば「東映ヤクザ映画」とも称される任侠映画が有名で、これは病により若くして亡くなった光雄の跡を継ぎ、のちに社長にもなる岡田茂がプロデュースしたものである。戦前よりロケ現場でのいざこざを収めるために元警察官やヤクザを雇うことは珍しくなく、エキストラの手配をヤクザが仕切っていることもあったそうだ。そんなヤクザと対峙しても怯まない岡田は、神戸・山口組の三代目組長に気に入られ、組長が撮影所に陣中見舞いに訪れるようになったという。そしてスタッフも「本物」と会い作品に活かすことができたため、東映は任侠映画において独り勝ちとなった。

 しかし『仁義なき戦い』に代表される実録路線を拡大していくと、取材に協力したヤクザと対立関係にあったヤクザが作品内での結末に激怒し、劇中のロケに使われた現場で相手のヤクザを射殺するという事件が発生。映画を超えて、現実の抗争を引き起こしてしまったことは実録路線の致命傷となりシリーズは打ち切られた。

 一方、東宝の『日本沈没』が記録的大ヒットを遂げたことを皮切りに、日本映画界は大作志向へとシフトし、外れた時の損失を回避するためベストセラーを原作としたり、豪華キャストを据えて公開前の宣伝に力を入れたりするようになると、東映もまたこれに倣った。

 本書は単行本を文庫化したものであるが、新たに追加されたエピソードがある。単行本が関係者の間で評判になり、改めて取材をしたさいにどうしても入れたくなったそうだ。そして著者は本書を記した目的を、読者に東映京都の「応援団」になってもらいたかったと語り、心が折れそうになりながらも「戦いを続けたい」と心情を吐露している。そう、著者の戦いはまだ続く。「もう一度、熱い時代を」と願う想いを胸に秘め、男が一人ゆるりと顔を上げると、彼岸花が咲く道を血戦の地に向かって歩いてゆく、そんなワンシーンのある映画を観たような読後感の一冊だった。

文=清水銀嶺