赤ちゃんに癒されたりなんてしない!?フェーズでズレる育児感覚

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乳児育児の頃、「わぁ〜赤ちゃん、癒されるわ〜」とよく声をかけられた。それ自体悪い気がするわけはなく、素直に笑顔で受け止めていた。

でも、よく思っていたのだ。「癒される」って? 私自身はこの赤ちゃんに全く癒されてなんていないんだけどなぁ、と。

■赤ちゃんは「癒し」なんかじゃなかった


正直に言えば、当時は、周りの他の赤ちゃんを見ても、まったく「癒され」なかった。普通に表面的にかわいい赤ちゃんだなぁと思ったとしても、「やっぱり赤ちゃんていいよね。天使だよね。」というような全体的で絶対的な存在として見ることなんて全然できなかった。

それが疲弊しきった病んだ感覚か、というとそんなことは全然なくて、単に「必死だった」ということでしかない。いろいろ大変なことが多かったとはいえ、自分の子は無条件にかわいくて大切だし、普通に明るい母の部類だったと思う。

でも、「癒されるわ〜」とは全然違うのだ。当時の私にとっては、赤ちゃんは癒されるような存在ではなくて、「必死で対峙する」対象だった。他の赤ちゃんを見ても、「いや、これ以上は無理!」という発想で、癒されるなんて次元の存在ではなかった。


■「癒される」ってこういうことだったのか


それが、最近赤ちゃんに接すると、自然に「かわいい〜」と思っている自分に気づいたのだ。赤ちゃんのことをくるっとひとまとめに「かわいい」と思えている。あぁ、この感じが「癒されるわ〜」だったんだ。

そして、息子の乳幼児期の写真を久々に眺めていたら、なんだかとても「かわいい」のだ。当時だってそりゃぁかわいいと思っていたけれど、どこか常に真剣勝負で「もちろん自分の子がかわいいのは大前提ですがっ」という感じだった。今、写真を見る私が感じるかわいさは全然違っていて、どこか他人事で、もっと遠くから眺めて単に「赤ちゃん」「幼児」の存在として「うわぁ〜かわいい〜」と感じる。

今、育児10年目、私の感覚は、乳幼児育児期からだいぶ変化したらしい。

■フェーズや事情で大きく変わる感覚


育児の先輩がかけてくれる「今が一番かわいい時ね」「もうすぐ楽になるわよ」「あっという間に大きくなっちゃうわよ」……なんて言葉も、当事者にとっては全然そうは思えないんだよなぁ、と思っていたはずなのに、そういえば、今の私は、それに類したことをたまに言いそうになっている。

育児のフェーズが変わっただけで、随分感覚って変わるものだ。

あの頃「癒されるわ〜」と声をかけてくれた人は、当時の私とは違うフェーズにいたというだけのこと。そして、感覚や状況は様々で、同じフェーズでも、自分の赤ちゃんに「癒される」人もいるだろう。

育児中にかけられる声や、誰かの体験談っていうのは、そういうズレに満ちていて、たいていの場合、自分になかなかぴったりこないものだ。

決して迷惑でもないし、暖かい気持ちは100%伝わってくるけれど、深く共有できる何かを感じられることは意外と少ない。

■ぴったりくるときは突然に


ごくたまに、すごくぴったりくることもある。

先日、大きな病院の小児科待合遊びスペースで、赤ちゃんの面倒をみていたおばあちゃんとおしゃべりをした。

あんまりその赤ちゃんがかわいらしくて「自分の子のときはどうしてこんなふうにただかわいいって見えないんでしょうね。これくらいの距離感で子育てできたら楽なのに。」なんて話したら、「そりゃそうよ」とおばあちゃん。「私だって孫だから『かわいいかわいい』ですむけれど自分の子の時は……」とご自身の子育ての話をしてくれた。

そのおばあちゃんの話には、けっこう大きな出来事も含まれているのだけれど、特別ドラマチックでもなく暗くもなく前向きすぎでもなく、ご自身にとっての「普通の育児」の大波小波として語られるトーンが心地よくて、とても素直に聞ける。いくつかの共通点があったり、親としての受け止め方がすごく似ている気がして、なんだかとてもぴったり来て、年の差も忘れて母親同士のような会話をしてしまった。

そこで交わした言葉は、後から深いところにじんわりときて、素直な共感と安心感が混ざり合った。

こういうことはすごく珍しくて、それが、世代も違うたまたま隣り合わせただけの人とのほんの10分程度の会話の中にあったことにすごく驚いた。

■小さなつながりをたくさん持つこと


子育てをしていたらみんな同じ気持ちかっていうとそんなことはまったくなくて、深いところにある何かがぴったりくるなぁ、と思えることなんて、滅多にない。

でも、こんな小さな会話の中に、強いつながりを感じることもある。

だから、役に立つ言葉はないとか、感覚の合う人がいないと感じて孤独を深めたり拒絶するのはもったいない。そういう言葉や人に出会うのって、確率でしかなくて、交わした言葉の分だけきっと確率は、上がる。

オンリーワンの理解者を見つけようとがんばらなくてよくて、ちょっとした会話をあちこちでするだけで、きっとたくさんのヒントや助けを得られるような気がする。ちょっと意識して、とりあえず声を出して何でもいいから言葉を交わし「その場限り」の小さなつながりを増やしていきたいなぁと思う。

短い「それっきり」の会話にも大きな力がある。
あのおばあちゃんに会うことはもうないけれど、じんわり深いところに届いたメッセージは確実に作用して、私の休息地になっている。

狩野さやか狩野さやか
Studio947でデザイナーとしてウェブやアプリの制作に携わる。自身の子育てがきっかけで、子育てやそれに伴う親の問題について興味を持ち、現在「patomato」を主宰しワークショップを行うほか、「ict-toolbox」ではICT教育系の情報発信も。2006年生まれの息子と夫の3人で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者資格有り。