『〈刑務所〉で盲導犬を育てる』(大塚敦子/岩波書店)

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 犬を飼った経験がある人でも、ない人でも盲導犬の仕事ぶりを見て、どうしたらあんなに利口な性格に育つのだろうと不思議に思ったことはないだろうか。“シット(座れ)”と言われたら座れるというだけではなく、“ゴー(進め)”と指示されたときに前方が危険な状況があれば自らの判断で命令を聞かずに“不服従”することもできるのだ。

 盲導犬は視覚障がい者の最高のパートナーとなるために専門の訓練を受けている。2009年この訓練を刑務所で行う日本初の取り組みが行われた。プログラムの立ち上げ時から試行錯誤しながら進められた日々の貴重な取材記録を『〈刑務所〉で盲導犬を育てる』(大塚敦子/岩波書店)で見ることができる。

 “刑務所”と“盲導犬”という組み合わせを耳にしたときに違和感と疑問を持つ人もいるかもしれない。視覚障がい者の、いわば命を預かるほど重要な責務を全うしなければいけない盲導犬のしつけを飼育の素人に任せてよいのか。事情があるとはいえ社会のルールから外れた経験を持つ人に遂行できるのだろうか。罪を償うために刑務所にいる受刑者に“盲導犬を育てる”プログラムを課す意味とは何なのだろう。

 パピープログラムの舞台となる島根県の「島根あさひ社会復帰促進センター」は、 犯罪傾向が進んでいないとみなされる初犯の男性受刑者が収容されている刑務所だ。刑罰の執行など国の権力で行うべきことは除き、運営などの部分を民間のノウハウを活用して運営する日本で4番目の「PFI刑務所」である。

 本書に綴られているのは、盲導犬候補のパピー3頭の成長の様子と盲導犬の育成を託され、初めてのことに苦悩しながら取り組む受刑者たちの姿だ。パピーの成長を通して自分の成長に希望を持ち、やんちゃなパピーとの共同生活で忍耐を覚え、訓練の中でチームワークを体感する。受刑者たちに表れるさまざまな変化から“刑務所で盲導犬を育てる”ことの意義が何であるのかが垣間見られる。

 命あるものを育てることは大変だ。生き物であるがゆえに自分が思うようにならないことは多い。それがやんちゃな子犬となればなおさらのこと。受刑者が生活する4畳の部屋に置かれたケージとサークルで共に過ごすパピーたちは深夜の排泄、甘噛み、夜泣き、体調の良し悪しで受刑者たちを狼狽(ろうばい)させる。

 プログラム参加受刑者は規律正しいスケジュールの中で自分の食事の前にパピーに食事を与え、他の受刑者が自由に過ごす余暇時間を利用してグルーミング、遊び、自分の入浴を済ませておかなければいけない。口論が許されない刑務所内で他の受刑者から担当のパピーを「バカ犬」とからかわれても、愛情が芽生えだしたパピーの担当を懲罰により外されることを恐れて怒りをぐっと抑える。「自分以外の誰かのために、こんなにいっしょうけんめいになったことがあっただろうか」と語る受刑者の言葉は、たった1頭の小さい犬の力により動かされたひとつの大きな変化だ。

 事前講習で盲導犬ユーザーが受刑者たちに伝えた言葉がある。「自分が失明するとわかったとき、まっさきに頭に浮かんだのは『自分は役立たずの人間になってしまう』ということでした」「家族だって僕がいたら迷惑かもしれない。自分の居場所がなくなってしまうんだろうな、と」。そして続けた。「自分で自分の居場所をつくるというのは、自分にできることは何かを探すこと」。この言葉を受刑者たちは心に染みわたらせる。

 パピーは自身にとってどんな存在であったのかと受刑者に著者が尋ねると「こんなところにいるのに、与えられた宝」と答える。「オーラ(パピーの名)が盲導犬になるためにがんばってる、そう思うことで自分が支えられる。あの子に恥じない生き方をしたい」と話す。

『平成27年犯罪白書』によると刑期を全うし出所した人のうち約6割の人が10年以内に、再び罪を犯す“再犯者“となっている。出所した途端に孤立無援になるのがその理由らしい。盲導犬を通して知った他者とのつながり、犬との時間で得る、これから先の心の支えとなる思い出を作れるこの貴重な体験プログラムは、今後再犯によるさらなる被害者を出さないためにも注目したい取り組みと言えるだろう。そして多くの人たちの愛情によって育てられ、周囲に多くの力と絆を与えている盲導犬の存在を本書で知ることで、街で見かける盲導犬たちをより温かい目で見守ることができるようになるかもしれない。

文=Chika Samon