『「戦術」への挑戦状 フットボールなで斬り論』(ヘスス・スアレス、小宮良之/東邦出版)

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 2016年はサッカー界の衝撃的なトピックが相次いだ年だ。まず、プレミアリーグではお世辞にもビッグクラブとはいえないレスター・シティFCが優勝した。ユーロ2016ではアイスランドやウェールズといった小国が強豪国を退け、コパ・アメリカではスター軍団のアルゼンチンやブラジルではなく、チリが2連覇を成し遂げた。

 これら、ダークホースの活躍には、戦術の整備と切っても切れない関係がある。近代サッカーの戦術はより緻密になり、バリエーションが増えた。特に守備ブロックと呼ばれる、自陣ゴール前を固めるフォーメーションは研究が進み、有名選手のいないチームでも、コンセプトに合ったメンバーを揃えれば、ビッグクラブに食らいついていけるようになっている。これからもますます、戦術は多様化し、複雑になっていくだろう。

 一方で、こんな状況下でも絶対的なサッカー観を掲げる人間もいる。その一人がスペイン出身のサッカー・ジャーナリスト、ヘスス・スアレスだ。彼の最新著作『「戦術」への挑戦状 フットボールなで斬り論』(東邦出版)でも、彼のサッカー観は揺るがない。スアレスが信奉するのは、スペクタクルなパスサッカーだけであり、その他の戦術はサッカーを破壊するものでしかないのだ。本書を読めば、スアレスのサッカー観が理解できると同時に、時代と関係なく信念を貫く人間の心の強さに感動を覚えることだろう。

 本書でスアレスは、欧州を中心として、現代サッカーの戦術トレンドについて語る。「スアレスの目」を通じた戦術評は、そのほとんどが辛辣な意見だ。例えば、スペインリーグにおいて、アトレティコ・マドリードを率い、レアル・マドリードとバルセロナの二強体制を崩した最大の功労者、ディエゴ・シメオネ監督。彼をスアレスは称賛しない。その結果を評価しつつも、選手全員の守備意識と献身によって支えられたカウンター・サッカーを退屈だと批判し続ける。

 選手の評価にしても同様である。レアル・マドリードの主力として、二度のチャンピオンズリーグ制覇の原動力となったアタッカー、ガレス・ベイルを「アスリート」と評する。スピードを武器としたそのプレースタイルは、陸上選手のようではあっても、優れたサッカー選手とは呼べないと言うのである。

 こうした「スアレスの目」は、本国スペインでも異端視されている。スアレスと言葉を交わした選手や監督が、険悪な仲になったというエピソードは事欠かない。それもそのはずで、どんなに点を獲ろうとも、どんなにタイトルを獲得しようとも、それがスアレスの価値観に合わなければ、批判の対象になるのである。偏屈と言われても仕方がないだろう。

 だが一方で、こうしたスアレスのサッカー論は清々しくもある。まず、彼の信念は絶対に揺るがない。たとえ 結果が伴っていない下位チームであっても、攻撃的なサッカーを目指している限りは惜しみなくエールを送る。世界的に知られていない若手選手でも、億万長者のスター選手と同等の、あるいはそれ以上の賛辞を綴ることがある。そして、そういうときのスアレスの文章は、ワインを語るソムリエのように詩的で慈しみがあるのだ。

 このスアレスの価値観はどこから来たのだろう? その答えが本書には記されている。最終章をスアレスは、丸々ヨハン・クライフへの思いに費やしている。とめどなく押し寄せるクライフへの賛辞は、スアレスの本質が、ただのクライフの熱狂的ファンだったのではないかと思わされるほどだ。事実、イベントでクライフと同席した喜びを綴るくだりには、サッカー少年が憧れの選手に出会ったときのような、純粋な感動が詰まっている。トータル・フットボールの生みの親とされるクライフは、選手としても監督としてもサッカーを大きく変えた。そして、その基準は「いかに美しいサッカーであるか」に尽きた。そんなクライフも今年に入り、惜しまれつつも他界してしまった。スアレスは、今もクライフの思いを真摯に守り続けているのである。

 スアレスの辛口批評が、それでも憎めずに心に響くのは、根底に愛があるからだ。そんな彼の姿勢には、サッカーファンならずとも胸を打たれることだろう。

文=石塚就一