■レバンガ北海道・折茂武彦インタビュー@最終章

 インタビュー後の雑談で、「東京五輪、日本代表のユニフォームを着ている可能性は?」と聞くと、折茂武彦(おりも・たけひこ)は破顔した。

「ないと思います。そこは期待しないでください。だって、4年後は50歳ですから(笑)。もちろん、若い世代にうまく引き継いでほしいなって思いもありますし。そこがうまくできなかったのが、日本バスケ界の現状だと思います」

 では、「現役と引退」、その境界にはあるものは何なのか――。

「何なんでしょうね? わかんないですね、正直。ただ、思うことはあって......。僕はずっと、若い選手と同じメニューのトレーニングをこなしているんです。シーズン前に心肺機能を高めるために、長い距離を走ったりもするんですが、若手と同じ距離を走る。

 途中、苦しくて歩きそうになるんです。そんなとき、『ここで歩いたら、引退だな』って思って走り続けるんです。苦しさに負けて歩くようなら、辞めるべきだって。だから、死んでも歩かない。意地でも完走します。今のところ、歩いたことは一度もないですね」

 折茂が走ることをやめる日は、永遠に来ないのではないかと思えてならない。

「毎シーズン後、バスケから離れて、『今季はどうだった?』『来季のモチベーションは?』って自問自答して、現役を続行するかどうか結論を出すんです。正直、迷った年もある。去年なんかは、けっこう悩んだんです。

 でも、ファン、スポンサー、身近な方......いろんな人に会うたびに、まるで挨拶のように『来年もやるよね?』って言われて。やっぱり必要とされてるって嬉しくて。なかには、『折茂はもういいよ』と思っている人もいるでしょう。でも、僕がコートに立つことを望んでくれる人もいる。『ならば、やってみよう』って奮い立たされたのが去年でした。

 今年はBリーグ元年。バスケットの変革の年。僕は日本リーグ、スーパーリーグ、JBL(日本バスケットボールリーグ)、NBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)、すべてを選手としてやってきた。だからBリーグも、外からではなく、選手として経験したかった。だから、今年も現役を続けます」

 もちろんコートに立てば、年齢を言い訳にする気などさらさらない。

「いろんなコーチに、『バスケは戦争だ!』って、僕は教わってきました。試合前は、『今から戦いに行くんだ。相手を突き飛ばそうが、叩こうが、何をしても勝たなきゃいけない!』と。戦場に年齢は関係ないですから。だからなのか、よく言われる『競技を楽しめ』的な考えは、まったく理解できないんですよね。練習でも、試合でも、バスケが楽しいと感じたことは一度もないんで。いつか、引退して現役時代を振り返るときが来たら、『楽しかったんだな』って思うんですかね」

 折茂はBリーグ開幕を控えた今、「日本バスケの未来には希望しかない」と語る。ただし、同時に、自責の念にも似た想いも抱いている。

「佐古(賢一/現広島ドラゴンフライズ・ヘッドコーチ)と日本代表だったときは、『オリンピックに出たら日本のバスケは変わるよね』って、ずっと話していたんです。代表でヨーロッパに遠征に行くと、よく向こうのチームに声をかけられたりもしたんですが、まったく行く気はなくて。もしヨーロッパで活躍できても、日本バスケ界にとって意味があるとは思えなかったから。バスケを日本でメジャー競技にするには、まずはオリンピックだって、ずっと思っていた」

 現在、渡邊雄太(21歳/ジョージ・ワシントン大)や、ゴンザガ大に進学予定の八村塁(18歳)など、多くの若手が海を渡る時代となった。

「時代のせいにするのは言い訳でしょうが、海外は僕らの時代には早すぎた。僕らの時代、その前の先輩たちの時代は、『海外に出る』と言う発想自体がなかったから。結果論ですが、やっぱり世界に出ていかなければ体感できないこともあるんだと、今なら思います。

 渡邊くんや八村くんの渡米は、素晴らしい挑戦です。以前は、『日本人はガードでなければ海外では通用しない』と言われていましたが、ふたりはフォワードですからね。彼らが日本バスケ界の希望であることは間違いない。ただ、海外という道を切り開いたのは、田臥(勇太/栃木ブレックス)というのも忘れてはいけないことだと思います」

 日本バスケット界のために、折茂が一選手として何かもっとできることがあったのか、考えても答えなど出ない。それでも、「何度もチャンスはあったのに......」と折茂は続ける。

「漫画の『スラムダンク』ブームで、どれだけ多くの人がバスケに興味を持ったか。日本人で初めてNBAでプレーした田臥ブームで、どれだけバスケが注目されたか。新聞の一面に載ったんですよ、バスケが。日本で開催された世界選手権、NBAのスター集団『ドリームチーム』が来たのに、なぜもっと大会自体を盛り上げられなかったのか。バスケをメジャー競技にするチャンスが何度もあったのに、ことごとく潰してしまった......。

 Bリーグが、最後のチャンスだと思います。選手だけじゃない、チームの運営サイドも、リーグも勝負しなければいけない。『このタイミングで勝負しないで、どのタイミングで勝負するんだ?』って思いますね。今回コケたら、日本のバスケに未来はないですよ」

 Bリーグの成否が、日本バスケの未来に直結する。もちろん楽観視できないことは、折茂自身も気づいている。

 昨年、Bリーグの立ち上げに関しての会議で、川淵三郎チェアマン(当時)に初めて会ったときだった。開口一番、川淵は折茂にこう言った。

「僕は、君を知らない」

 折茂は、「本当に知らなかったのかどうかは、わからないですけど」と言いながら、こう続ける。

「大勢の報道陣のいる前で、しかもテレビカメラが回るなか、そう言われたんです。『君は日本で一番得点を獲っていて、バスケ界では有名なのかもしれないけど、僕は知らない』と。メディアコントロールの上手な方なので、意図があっての発言だと思っています。ただ間違いなく、それが世間一般から見た僕の認知度であり、関心度だと思います。それが、今の日本バスケット界の現状です」

 ただし、真偽はどうであれ川淵の言葉は、バスケをメジャー競技にと願い続ける折茂にとって、何よりの発奮材料のはずだ。

 坊主頭にしなければならないルールに抗い、野球をやめてバスケを始めた。複数のオファーから強豪の一員になることよりも、強豪を倒すために当時弱小のトヨタ自動車を選んだ。安定を捨て、まだ海のものとも山のものともつかない、北海道の新設プロチームへの移籍を選んだ。そのキャリアを振り返れば、折茂の競技人生は、そのまま反骨の歴史だ。

 折茂武彦、46歳――。いまだ闘い続ける。日本バスケットボール界の至宝でありながら、ノイジー・マイノリティ(声高な少数派)でい続けることが、誰よりも似合っている。

【profile】
折茂武彦(おりも・たけひこ)
1970年5月14日生まれ、埼玉県出身。レバンガ北海道所属。埼玉栄高校から日本大学へと進学し、1993年にトヨタ自動車に入社。2007年、新設されたレラカムイ北海道に移籍するも、運営会社の撤退などにより新チーム「レバンガ北海道」を自ら創設。国内プロ団体球技で異例の「選手兼オーナー」となる。日本代表としては1994年・広島アジア大会や1998年・世界選手権など数々の国際大会を経験し、正確なスリーポイントシュートは現在も国内トップレベル。シューティングガード。190cm・77kg。

水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro