8月。間もなく、甲子園本大会が幕を開ける。今年の地方大会は例年以上の接戦、番狂わせのゲームが多く、見どころに尽きなかった。

 そのなかの大きなトピックスとして上げられるのが、「名門・PL学園最後の夏」ではないだろうか。春夏合わせて7度の全国制覇、甲子園歴代3位となる通算96勝、プロで活躍した卒業生たち……。様々な視点から、改めてPL学園のこれまでの功績にスポットが当たった。

 PL学園が果たした功績にひとつつけ加えることがあるとすれば、その存在がPL学園以外の球児たちにも大きな影響を与えたことだ。「打倒PL」を目指して日々の練習に励み、プロ入りを果たした野球人は実に多い。

 その中のひとりが、今をときめく球界スター、山田哲人(ヤクルト)だ。

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■今ひとつ目立たない選手・山田哲人

 史上初の2年連続トリプルスリー。さらには三冠王どころか、盗塁王もあわせた4冠王も狙える位置につける山田哲人。球界を代表する、どころか、球史を代表する選手への道をひた走っている。

 球界屈指のスーパースターとなった山田。だが、大阪・履正社時代、2年秋頃までの山田は、のちにスターになるどころか、プロに入れるほどの選手だとは思われていなかったという。

 確かに運動神経はよかった。野球センスも抜群。強豪・履正社でも1年夏からベンチ入りを果たし、2年夏にはクリーンナップも務めた。強豪校のレギュラーとして、まぎれもなく「いい選手」だった。でも、「今ひとつ目立たない選手」と評価されることも多かった。

 「今ひとつ目立たない選手・山田哲人」。その姿に誰よりも不満を抱いていたのが履正社の岡田龍生監督だった。「なんてもったいない選手だろう。もっとやる気を出せば、もっとすごい選手になれるのに」といつも思っていたという。

■PL戦でのエラーもたらした、山田の意識改革

 そんな山田が変わるキッカケが、2年秋の大阪大会、準々決勝でのPL学園戦だった。この試合で山田はフライを落球。チームの敗戦につながる痛恨のエラーとなってしまう。当然センバツ出場には届かず、試合後、涙が止まらないほど悔しがる山田の姿があった。

 山田がチームの誰よりも練習するようになったのは、この敗戦の後からだった。この頃から「プロに行きたい」と口にするようになったという山田。目的意識が芽生えたことで、野球に対してはじめて本気で取り組むようになったのだ。

 その成長スピードは、岡田監督が「人間は意識が変わるだけでこんなに変わるのか!?」と驚くほど。3年春になる頃には、大阪では誰もが認める評判の選手になっていた。



■40度の高熱に負けず放った、PL戦・意地の同点打

 PL学園戦でのエラーをキッカケに自らを見つめ直し、急成長を遂げた山田。迎えた最後の夏、甲子園を目指した大阪大会4回戦で対戦したのがPL学園だった。

 試合は8回を終えて5対7と、履正社が2点を追う展開。9回表、最後の攻撃は1アウト二、三塁。一打同点の場面で、打席には山田。ここで山田は見事に同点タイムリーヒットを放ち、延長戦で履正社が逆転勝利を果たした。実はこの試合、山田は40度近い高熱に耐えながらプレー。チームの主軸として、甲子園、そしてその先のプロに進むため、意地で放った一発だった。

 PL学園戦での勝利によって勢いに乗った履正社は、激戦区・大阪大会を勝ち上がり、13年ぶりとなる悲願の甲子園出場権を獲得。大阪大会での山田は打率4割を超え、13打点を記録した。

 その活躍がフロックではないことを証明したのが甲子園でのプレーだ。山田は1回戦でホームスチールを成功させて野球センスの高さを見せつけると、2回戦では聖光学院の歳内宏明(現・阪神)から、同点に追いつく2ランホームラン。勝負強さとパンチ力も披露した。試合には敗れてしまったものの、この甲子園での活躍によって、秋のドラフトで1位指名を果たしたのだ。

■群雄割拠の高校野球

 以降の活躍ぶりはあらためて記すまでもないだろう。強調しておきたいのは、PL学園戦でのエラー、そして起死回生の同点打。このふたつのプレーが今の山田哲人を形成する上で欠かせない要素だった、ということだ。

 そしてあらためて思う。これからの高校球界で、「打倒PL」と誰もが目標にするようなチームはどこになるのだろうか? と。例年であれば、平成最強横綱・大阪桐蔭や昨夏の覇者・東海大相模、昨春のセンバツ覇者・敦賀気比などがその第一候補。だが、今年の夏はそろって敗れ、甲子園には姿を見せない。

 まさに群雄割拠。新たな時代を迎えようという高校野球と甲子園大会。球児たちの一投一打から目が離せない日々が、間もなく始まる。

文=オグマナオト

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