増田セバスチャン氏@アトリエにて

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■お店をやるのと役者をやるのは同じ感覚。売れなくて当たり前

――その後、自分の表現活動の場として原宿に「6%DOKIDOKI」というお店を開きます。当時同棲していた彼女とバイトしながら赤字続きでもそのお店だけは続けたことで、ソフィア・コッポラが来店して人気に火がつきました。舞台ではなく店舗にこだわったこと、そして豆腐さえも買えない極貧の状況でもお店をやめなかったことでチャンスをつかんだんですね。

増田 お店をやるのと役者をやるのは同じ感覚なんですよ。最初は売れなくて当たり前だから大変だとは思わなかった。それにお店は、自分が表現したもの、デザインしたものをお客が買うか買わないかというダイレクトな評価をしてくれるから好きなんです。だから昼間はずっと店番して、夜から明け方までNHKの大道具のバイトをして2、3時間寝てからまた店番するような生活をしていました。20代だからできたことだと思いますけど。

 大道具のバイトは最終的に23歳でチーフになったんです。そのまま就職することも考えたんですが、このままここにいてはいけないと思いました。

 僕は基本的に根暗で、世の中に対する怨みがあるんです。子どもの頃から自分が一生懸命発信してきたものを封じ込められたことに対する復讐をしていつか見返してやりたい、それみろと言ってやりたい、そう思い続けてきました。

 その拠点が原宿のお店だったんです。2000年頃になると、「裏原(ウラハラ)」やストリートカルチャーブームの影響もあってお店はメジャーになり、5店舗に増えました。地方の仕事も増えてきたんですけど、「面白いものより売れるもの作ってくれよ」と言われるようになって、原宿発信のカルチャーなのに地方のセンスに合わせてデザインするのは違うだろうと。それで増えたお店を全部やめて軌道修正しました。

■お金で得られるものはたかが知れてます

――ビジネスとして順調に進んでも、自分がやりたいことができなければ意味がないと。

増田 お金で得られるものはたかが知れてます。一流ホテルのプールサイドでお酒飲んだり、高級ブランドを買いあさったり、家や車にお金をかけたり…もちろんそれはそれで素敵なことですけど、僕はそういうことにはまったく魅力を感じなかった。

 それよりも一番欲しかったのは発言権だったんです。それまでの自分は何を言っても誰にも届かなかったし誰も聞いてくれなかった。だから自分が発信するものに共感してくれる人がいっぱい集まって、自分が発したいメッセージに耳を傾けてくれる人を大切にしたかったんですね。それは特に下の世代に多かったので、商品が売れるためのビジネスよりもそういった人たちに向けて深く届くメッセージを発信していく方向にシフトしました。

――それが結果的に世界的な「kawaii」ブームを巻き起すことになります。学歴もサザエさんの家庭もない増田さんが世界に影響を与えたことで、本の中にもある「既成概念をぶっこわせ」という目標は達成できたと思いますか。

増田 まだまだ目標の途中ですが、僕は美術系出身ではありませんが美術大学の教授もやらせていただいたり、広告代理店出身ではありませんがアートディレクターとしてお仕事をもいただいたり、自分の足で世界に向けた活動をしています。執念で白だったオセロをことごとく黒にひっくり返してきた感じはあります。

 でもそれは自分ひとりの力じゃなくて、世界中から注目されるようになったのは「6%DOKIDOKI」のファンだったきゃりーぱみゅぱみゅのPVをはじめとしたアートディレクションを担当したことが大きかったし、2011年の東日本大震災で日本人の意識が変わったのも大きかった。

 特に東日本大震災が起きるまでは、日本中が「別にいいじゃん、明日があるさ」という雰囲気だったと思うんですよ。そこに3・11が起きて、平和だと思っていた世の中が平和じゃなくなる可能性があることにみんなが気がついた。みんなうまく人生設計しているかもしれないけど、それが一瞬で断ち切られる可能性が誰にでもあるっていうことがわかったからこそ、僕が発信してきたものが必要とされたんじゃないかなと思います。

 明日が無かったら何をしますか?という強烈な質問をされたときに、今からサザエさんのような幸せな家庭はつくれない、じゃあどうやって生きよう?と思ったとき、原宿の自由なカルチャーがひとつの答えになったのかもしれません。

■この本を出して友だちもいなくなったし、親戚も離れていきました

――この本が発売されたのがその時期に重なったのは不思議な偶然ですね。3.11の後、家族や生き方について改めて考えた人がたくさんいたと思います。

増田 震災を機にそういうことと向きあわざるをえなくなりましたよね。僕はこの本を出したことで何人かの友だちがいなくなったし、親戚のなかには離れていく人もいました。自分をさらけ出すってこんなにいろんなことが起きるんだって思いましたけど、逆にアーティストとして生きる覚悟ができました。それから5年も経って世界規模ですごいスピードで仕事してきたので、実はこの本の文庫を出すことに躊躇したぐらいなんです。当時と今の状況があまりにも違いすぎるので。

――そうだったんですね。本書の冒頭で、この本を書こうと思ったいきさつについて、2010年に起きた下村早苗の大阪2児死体遺棄事件のことに触れています。自分の家族の問題と向きあわないまま家族を複製して最悪の結果を招く前に、あえて子どもをつくらず自分で自分の家系図を断ち切る勇気も大切だと。実際、増田さんはその生き方を選んでいるわけですが、残念なことに同じような悲惨な事件が後を絶ちません。

増田 大阪の事件にショックを受けた人はたくさんいたはずなのに、同じような事件がまったく減ってないどころか増えていることのほうがショックです。そういうニュースが日常的になっている世の中って、親子関係が崩壊している人が多いことのあらわれだと思いますね。

■人は20年あれば未来を変えられる。

――最後に、これからやりたいことやいま目指していることがあれば教えてください。

増田 2020年の東京オリンピックまではこのまま寝ないで頑張ろうと思っています。自分が原宿の小さいお店から作り上げてきた世界が、世界中の人に注目してもらえるチャンスですから。そのために今、2020年のオリンピックに向けた参加型アートプロジェクト『TIME AFTER TIME CAPSULE』を進めています。

 これは「“Kawaii”の集合体で世界は変えられるのか?」をテーマに、世界各都市の参加者から未来へのメッセージを入れたタイムカプセルを集めて、東京オリンピックのときにその集合体で平和のモニュメントをつくろうと思ってるんですね。タイムカプセルを開封するのは20年後に設定してるんです。

――なぜ20年なんですか?

増田 僕が原宿で活動をし始めたのが20年前で、人は20年あれば未来を変えられるんですよ。世界の誰が未来を変えるかわからないけれども、参加者の未来への希望がつまったものをアートにするプロジェクトを計画しています。

 あとは半分本気、半分冗談で言うんですが、ディズニー超えを目指しています(笑)。昨年夏、原宿に僕がプロデュースしたカフェ「KAWAII MONSTER CAFE HARAJUKU」がオープンしたんですが、お客さんが「ディズニーランドみたい!」ってよく言うんですよ。レストランなのに比較対象がディズニーランドなのも不思議なんですけど、本気で頑張れば超えられるんじゃないのかなと。原宿のウォルトディズニーと言われても遜色無いような、ジャンルを超えて世の中の人をビックリさせるような活動をまだまだしていきたいですね。

取材・文=樺山美夏 写真=山本哲也