『葬送の仕事師たち』(井上理津子/新潮社)

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 10年ほど前、伯父が亡くなりました。死因は急性の白血病。まだ50代、本当に突然のことでした。訃報を受けて通夜会場へ出向くと、葬儀会社のスタッフさんらしき方が、伯母と話をしていました。どうやら、会葬御礼などに記すための、故人のエピソードを聞き取っていたようで…。私はひとり、憤ってしまいました。明らかに憔悴し切っている伯母に、何ということをさせるのだと。その時はそのスタッフさんが、鬼のように思えてしまいました。

 四十九日を終えた頃、ようやく落ち着きを取り戻した伯母と、話をする機会がありました。どうしても気になっていた私は、「葬儀会社さんとの打ち合わせ、大変だったでしょう?」と切り出してしまいましたが、意外にも伯母は、それほど気に留めていないようでした。それどころか、いいお葬式ができてよかった、喪主を務めた従兄弟のことも精一杯フォローしてもらえてうれしかったと答えたのです。「あの日のお兄ちゃん、カッコよかったでしょう?」と、笑顔すら見せながら。

 あの日、鬼のように映ったスタッフさんたちは、やはりその道のプロだったのです。部外者であった私の感情はさておき、故人の一番近くで過ごしていた家族は、満足行くお別れを果たしていたわけで…そういう意味では、伯父の葬儀は大成功を収めたのです。それ以来私は、毎日のように誰かの死と向き合っている葬儀会社の方が何だか、スーパーマンのように思えてしまうのです。一体どんな強い心持ちで、仕事に励んでいるのだろうかと、不思議に感じてしまうくらいに。

『葬送の仕事師たち』(井上理津子/新潮社)はその表題通り、「死」の現場で働く人たちの仕事内容や、彼らの職務に懸ける思いがまとめられた書籍です。著者である井上氏は、タウン誌の記者を経てフリーとなったノンフィクションライター。これまでにも、酒場や遊郭をテーマとしたルポルタージュなどを発表されていますが、立て続けに亡くなった両親の葬儀を経験したことや、近年の葬儀費用の透明性にまつわる議論、葬儀の簡素化傾向などをきっかけに、葬送に携わる方への取材を始められたのだそうです。

 同書を読むと、日本の葬送シーンには、多くのプロフェッショナルが携わっているということがよくわかります。遺族が故人と過ごす最後の時を支える、葬儀会社のスタッフ。よい姿で旅立たせてあげたいと願う、納棺師やエンバーマー。「なるだけきれいに骨が残るように焼く」ことが、自分たちのミッションだと話す、火葬場の職員。人間は亡くなってからも、多くの人に支えられて旅立っていくのだと教えられます。

 葬送のプロの話のなかには、大切な誰かの見送り方について、参考になる部分も少なくありません。場数を踏んでいる彼らの言葉には、悔いのないお別れを実現することが、いかに大切かを痛感させられます。そしてそれと同時に、「ならば自分は、どう葬られたいか」と、深く考えさせられるのです。死に方は自分で選べなくても、別れ方は計画することができるのですから。

 現代日本社会において、死にまつわる話題は、一種のタブーとされています。仏教や神道などの影響を受けた“ケガレ”の意識などもあってのことかもしれませんが、このタブー視が、葬送の仕事に携わる人たちの存在を見えづらくしている部分は、否定できないはずです。しかし、死は誰にも待ち構えているイベントであり、死が他人事である人はいないはずです。スポットライトの当たらない場所で、人間の尊厳のために尽くしてきた人たちの声を集めた同書は、すべての大人に読んでほしい、人生の教科書ともいえるでしょう。

 但し、同書には衝撃的な描写も少なくありません。最近大切な誰かを亡くされた方や、身近な人が今、死の淵に立たれているという方は、どうか読むタイミングにお気をつけくださいませ。

文=神田はるよ