『それでも暮らし続けたいパリ』(松本百合子/主婦と生活社)

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 パリは2015年に起きた、風刺週刊誌『シャルリー・エブド』襲撃事件以降、どこか危険な匂いを街に漂わせている。まだ記憶に新しい同年11月のパリ同時多発テロでは、劇場やレストランなどが襲撃され、多くの死傷者が出た。暗い影と哀しみに包まれたパリの街は、旅行者が激減し、観光名所であるエッフェル塔でさえも閑散としてしまった。

 だが、パリで暮らす人々の心や生活は違うようだ。その日の出来事、翌日、それからの時間を「はじめに」とし綴るのは、パリ在住歴15年以上である松本百合子氏。今回紹介する本『それでも暮らし続けたいパリ』(主婦と生活社)の著者である。

 テロ事件翌朝のパリは、カフェのほとんどが変わらず営業しており、テラス席の半分ほどが埋まっていたという。日本なら営業を見合わせていただろう。このとき、私の友人であるパリジャンが言っていた「僕たちはそれでも暮らしていかなければならない」という言葉の強さと重さを思い出した。

 本書は全6章、25のストーリーからなる。パリの街並みや下町的な人間模様、愛と心の距離感、食とヴァカンス。文字だけを見ると、映画や雑誌の中のパリが想像されるだろう。しかし、歩けば犬のウンチや、タバコの吸い殻、散乱するゴミに出会い、スーパーに行けば不愛想なレジ係と対面、精肉店で買えないカット済みの肉、長すぎるヴァカンスが生む仕事の遅れなど、不快・不便なことが満載といってもい いのである。日本なら、飼い主が愛犬のウンチをきちんと処理するし、カット済みの肉はスーパーで豊富に揃う、不機嫌なレジ係がいたらクレームものである。

 アパルトマン生活においての不便さ。そのひとつに「使えない日用品」があるという。絆創膏やごみ袋、ラップ だ。日本では使いやすいように何度も改良されており、よほど安価なもの以外はクオリティに大差はないはず。フランスの製品は、まだ改良される前の日本の製品そのものではないかと読んでいて感じた。

 では、さまざまな不快・不便がありながらも、なぜ人はパリを好むのだろうか? 旅行者である私は、レジ係に不愛想で不機嫌な態度をとられても正直あまり気にならない。「パリの人はスノッブ(上流気取り)だよ」と、いつかフランス人の友人に聞いたからも知れない。しかし、パリで暮らしているとなればまた違う。精神的ストレスから「パリ症候群」に陥る人も少なくないと言われているぐらいだ。今、テロへの不安を感じながらも、なぜパリで暮らし続けるのだろうか?

 著者はパリの人々、街についてこう話す。“笑うことが好きで、メリハリをつけるのが上手で、自己中だけれど、他人にやさしく、和を大事にする。不便で厄介で面倒でイライラさせられることも多いけれど、軟弱だった自分を鍛えてくれる、生きることへの愛を教えてくれるパリと、そこで生活する人たちが純粋に好きでたまらない”

 日本も昔はパリと同じだった気がする。私の幼い頃は、日曜日はお店も定休日だったし、コンビニもなかった。絆創膏を貼ってもすぐに剥がれたし、ラップも使いにくかった。でも、当時は不便だと思わなかったし、その生活が当たり前だった。今の日本の日常を知っている若者たちが、パリの暮らしを知ると「ありえない!」と叫ぶかも知れないが、私は「あの頃」をたどる感じで読み進めることができ、懐かしいとさえ感じた。

 人間関係もときに面倒であるが、結局は嫌いにはなれないのだろう。自己中さに振り回され、不愛想な表情にイラッとさせられても、次の瞬間彼らはニコッと笑ってみせたりする。それだけで許されてしまう魅力を彼らは持っている。いや、それを魅力だと感じてしまうのは、私がただ単純なだけかも知れない。

 パリはすべてがズルいのだ。結局は、嫌いもいっぱい、好きもいっぱいでプラスマイナスゼロにさせられてしまうのだから。いや、そこに「パリが好き」という大きな想いが加えられ「それでもパリが好き」になるのだろう。

 この本を読めば、パリの不便さにあえて触れてみたくなる可能性が高い。そして、なぜパリが好きなのかを深く理解することができるはずだ。パリ暮らしに憧れを持つ人にとっては、心の準備をさせてくれる本と言っても過言ではないだろう。

文=くみこ