没後20年。写真家・星野道夫がアラスカを辿り歩いた理由

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北アメリカのインディアンに伝わる「トーテムポール」。

動植物をモチーフにし、精巧ながら奇怪な装飾が施され、ただ静かに立っているその柱は、見る者の目を奪い、脳裏に強烈な印象を焼き付ける。

その物体について西洋人が記した最初の記録は、1778年のこと。柱の周囲に人の顔や魚、動物、不可解な文様など何かのイメージが彫られていて、重要な人物の弔いや、故人の足跡を辿るもの、その家の歴史を語るものなど、柱が立てられる目的は様々だ。

■トーテムポールに魅入られた星野道夫

写真家の星野道夫もトーテムポールに魅入られた人間の一人だった。

彼は南東アラスカからカナダのブリティッシュ・コロンビアにかけての原生森林を旅しながら、かつてその土地でトーテムポールの文化を築き上げた、インディアンたちの足跡を辿っている。

星野が自然の中に残る古いトーテムポールと出会った場所は、太平洋に浮かぶクィーン・シャーロット島である。原住民のハイダインディアンは、自分たちの先祖が遺したそれを、外部の人間が持ち去ることを拒否し続けていた。

見過ごしそうな小さな入江に入ってゆくと、人気のない森の中に、歳月に耐えたトーテム・ポールが立ち並んでいた。多くはすでに倒れかけ、苔むし、遠い昔に刻まれた物語は消えかけていた。が、この場所に漂っている力は一体何だろう。神話の力とはこういうものだろうか。今にも森の中から人々が現われ、遥かな昔の一日が始まるような気がした。
(『Coyote』No.59 Summer/Autumn 2016、28ページより引用)

森の奥に佇むトーテムポールとの出会いを、星野はそうつづっている。

■没後20年、星野道夫の足跡を辿る『Coyote』

星野が「立ち尽くしてしまった」というトーテムポールは、森の奥にあった。柱のてっぺんからトウヒというマツ科の大木が立ち、そのポールを伝って根元まで根が伸びていた。

星野はその様子を次のようにつづっている。

かつてハイダ族はトーテムポールの上をくり抜いて死んだ人間を葬っていた。遠い昔、その上に落ちた幸運なトウヒの種子が、人の身体の栄養を吸いながら根づき、長い歳月の中で生長していったのだろう。
(『Coyote』No.59 Summer/Autumn 2016、31ページより引用)

「旅」をテーマにした雑誌『Coyote』(スイッチパブリッシング刊)の最新号(No.59)では、1996年8月8日に亡くなり、今年で没後20年を迎える写真家・星野道夫の足跡を辿る特集を展開している。

彼は北の地を目指した。ブリティッシュ・コロンビアやアラスカ、カムチャッカ…。ヒグマに襲われ、命を落とした地は、ロシア最東端のカムチャッカ半島にあるクリリスコエ湖湖畔だった。

■自然と人間の「本当の共生」とは?



彼が一貫して撮り続けたものは、「自然の中に生きる人間と生き物」だった。アラスカの手つかずの自然の中で暮らす人と動物たち。季節は彼らに平等にめぐり、その悠久の時間の中で生き、そして死ぬ。その一つ一つの瞬間を星野は写真と文章で残している。

「人間と自然の共生」とはいうものの、人間が自然に勝つことはできない。生態系を支配せんとする姿は見苦しささえ感じる。星野がアラスカの地で切り取った「本当の共生」の姿は、今なお私たちに「その道を歩んでいて本当いいのか?」ということを問いかける力があるように感じる。

(新刊JP編集部)

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