『名づけそむ』(志村志保子/祥伝社)

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 「名前」は生まれてから死ぬまで、一生付き合い続けるものの一つだが、我々は普段、特別にその存在を意識して生きているわけではないと思う。だが、人生のふとした瞬間に、名前の存在を強く意識してしまうことはある。

 例えば、好きな人が自分のことを、名字ではなく下の名前で呼んでくれた時。とても心地良く感じられて、自分の名前がもっと好きになった……なんて経験はないだろうか?

 また、転校先の学校で、親しみやすいニックネームをクラスメイトが付 けてくれたのがきっかけで、一気にクラスにとけ込めた、なんてことを体験した人もいるかもしれない。

 たかが名前、されど名前で、親から与えられたそれは、私たちの存在を確立させると同時に、人生の様々なタイミングで、心の機微に触れてくるものでもある。

 志村志保子作の『名づけそむ』(祥伝社)は、「名前」にまつわる10の物語が描かれているマンガだ。「name.1」から「name.10」とシンプルに付 けられたタイトルの各話に登場するのは、一見したところ、平凡な中年女性やOL、小学生などで、ごく平凡な名前が付 けられている人々ばかりだ。しかし、彼らは日常の意外な瞬間に、ありふれた名前を通して、気持ちがじんわりと温かくなるようなささやかな喜びや希望、また逆に、胸が締め付けられるような切なさや痛みを味わうのである。

「name.1」で描かれるのは、18年前に夫と娘を捨て、男と逃げた三津江が、パート先の文具売り場で、結婚を控えた娘と偶然再会する物語だ。「憎んでいたけど会いたかった」と告白する娘は、三津江に結婚式に来るようお願いする。だが、彼女を育ててきた父親は、断固として母親の参列を拒否。納得いかず怒る娘に、三津江は、あるプレゼントを贈るのだが……。

「名前は子供への最初のプレゼントだとはよく言ったもんね」

 そう話す三津江は娘と離れてからも、ずっと成長を気にかけていたが、その溢れんばかりの気持ちを口にだすことなく、淡々とした仕草で、娘に冷酷なプレゼントを手渡すことを選択した。

 名前に込める思いの大切さを、充分すぎるほどわかっている母親の「あえて」のプレゼントに、読者はきっと胸が痛くなるだろう。

 また「name.2」で描かれる、29年間彼氏がいないにもかかわらず 、「愛子」という名前を持ったOLの物語も印象深い。

 愛子はある日、駅のホームで自殺未遂と誤解された現場を、会社の上司の息子である男子高校生に目撃されてしまう。彼女はその時、成り行きで、自分には可愛げも積極性もないため、今まで彼氏が一度もいないこと、好きになった会社の先輩の彼女の名が、愛子という自分と同じ名前でショックを受けたことを話した。

「私は一生、男の人に愛されることも、名前を呼んでもらえることもないんだろう」

と絶望する彼女に、男子高校生は、頬を赤く染めて、ある言葉をかけて励ますのだが……!? ホットの缶コーヒーよりもずっと、心温まるラストが待っているので、ぜひ注目して読んでみてほしい。

 本書は他にも、偽名を名乗る女の子と会話をするようになったファミレスの店員の話や、夫と別れる原因になった女性と同じ名前の婚約者を息子から紹介される母親の心中など、名前にまつわる物語が、たくさん収録されている。

 名前はきっと、関わる人間によって、様々な響きや重みを持ち、新たな意味づけがなされていくものなのかもしれない。自分の名前も、他人の名前も、名前を持つ全ての人が愛おしく思えてくる一冊だ。

文=さゆ