南シナ海問題で東南アジア諸国連合(ASEAN)の亀裂が深まっている。ラオスで開かれた外相会議の共同声明は常設仲裁裁判所の判決に言及しなかった。外相会議ではカンボジアが中国の「代理人」役を務めた。写真はカンボジアの国旗。

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2016年7月29日、南シナ海問題をめぐり、東南アジア諸国連合(ASEAN)の亀裂が深まっている。ラオスで開かれた外相会議では、常設仲裁裁判所(PCA)が中国の領有権を否定した直後にもかかわらず、各国の思惑が交錯。共同声明では仲裁裁判に言及しなかった。この中で中国の「代理人」役を買って出たのはカンボジアだ。

ASEANはベトナム戦争中の1967年、米国の後押しを受けた「反共のとりで」として、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピンの5カ国でスタートした。84年にブルネイが加盟して6カ国になり、95年ベトナム、97年ミャンマー・ラオス99年カンボジアと続き、計10カ国になった。

日本メディアによると、24日からラオスの首都ビエンチャンで開催されたASEAN外相会議で、中国と南シナ海の領有権を争うフィリピンとベトナムは、共同声明に(1)仲裁裁判の判決を歓迎する(2)中国の大規模な埋め立てに懸念を示す(3)法にのっとったプロセスと外交を尊重する―などの明記を主張した。

これに対し、カンボジアがASEANの「全会一致の原則」を盾に強く抵抗。25日に採択された共同声明では南シナ海情勢について中国の名指しを避けつつ、「深刻な懸念」を表明し、「法的プロセスの尊重」の文言は盛り込まれたものの、仲裁裁判には一切触れなかった。

ASEAN内の親中派はカンボジア、ラオスとブルネイ。ラオスは取りまとめ役の議長国で動きにくく、ブルネイは目立つのを好まない。AFP通信は「カンボジアがASEANの合意形成を阻止」と報じた。

カンボジア政府を率いるフン・セン首相は、約300万人の国民を虐殺したとされるポル・ポト派(クメール・ルージュ)出身。東部地方軍の幹部だったが、ポル・ポト派指導部による粛清の危険を感じて1977年、ベトナムに逃亡した。

カンボジアに侵攻したベトナム軍は79年1月、首都プノンペンを制圧し、ポル・ポト政権を打倒。ベトナム軍と共に母国に戻ったフン・セン氏は外相などを経て30代の若さで首相に就任した。当時、中国が支持していたポル・ポト派はタイ国境のジャングルに逃れ、フン・セン首相を「ベトナムの操り人形」などと非難していた。

ASEANが大きな役割を果たしたカンボジア和平達成後もフン・セン氏は、ほぼ一貫して首相にとどまり、政権担当期間は30年以上に及ぶ。近年は経済援助や投資を続ける中国に急接近。かつて自らを権力の座に就かせたベトナムとは、すっかり袂(たもと)を分かった形だ。

南シナ海問題に関する他のASEAN各国の立ち位置は複雑。領有権を主張するマレーシアや周辺海域で中国漁船の違法操業が相次ぐインドネシアは中国に批判的だが、タイ、ミャンマー、シンガポールは深入りを避けている。

今回の共同声明が中国に配慮する内容になったのは、こうした関係の表れでもある。PCAの“お墨付き”があるのに、域内の問題で明確な立場を示せなかったASEANは大きな岐路に立たされている。(編集/日向)