ベッドの中でひとりむせび泣きたい夜もあれば、孤独な自分と向き合いたい時もある――。そんな女子の“リアル”を歌い続けるのが、シンガーソングライターの柴田淳(しばた・じゅん)さん。「日本一歌詞が暗い歌手」との異名(!?)を持つ柴田さんが、20代、30代で抱えた葛藤とその乗り越え方、そして揺れ動く“39歳のリアルな自分”を語ってくれました。

妥協できなくて苦しんだ20代

――24歳でデビューして今年で15年目。あらためてどんな道のりでしたか?

柴田淳さん(以下、柴田):積み重なったカードを上から見るとコンパクトだけど、横にズラッと広げてみるとたくさんのカードが見えるように、いろんな出来事があったなあと。この15年で、人としてずいぶん変わった気がしますね。

――“人として変わった”というのは…?

柴田:20代の頃は“プロなんだからこうあるべき”と、考え方がガチガチでした。デビュー2年目にとある学園祭に出た時、ものすごく音響がよくて声帯が解放されるような感覚を味わったんです。

その後、初の全国ツアーをスタートしたのですが、記憶の中にある“あの音”がどうしても出ない。自分を責めると同時に、音響さんにも“プロなんだから私の求める音を出してほしい”と、何度もやり直しを求めました。会場の仕様や気候などで、毎回音響は変わるからパーフェクトなんて奇跡でしかないのに、当時の私にはそれが理解できなかったんですね。

――確かに、20代って頑ななところがありますよね。

柴田:そうですね。頑なだったとも言えますし、なにより融通が利かないというかすべてにおいて「絶対」「〜すべき」などマストでしたね。彼らもプロとしてそこにいるわけだから、私が納得できないと“いい仕事ができなかった”と傷つく。

話し合って譲り合いながらやってはいたものの、いっさい妥協ができませんでした。まさに完璧主義で、それがプロというものだ、と思い込んでいたんです。創作中も、メールが来るだけでキーッ!となるくらい自分を追いつめて部屋に籠って曲を産み出していました。ライブ前は風邪を引いたら怖いからと、3ヵ月前から人に会わないようにしていました。

経験を重ねてようやく「求めすぎないこと」を覚えた

――ある意味“プロ意識が高い”というとだと思いますが、それだけ完璧主義を貫くのは難しいのでは? まわりとぶつかりませんでしたか?

柴田:ぶつかると言うより、自分にも人にも求め過ぎていたなと思いましたね。付き合い方も下手くそで、どんなに親密になろうとも、“親しき中にも礼儀あり”だったのに、まだまだ未熟で距離感がわからなかった。まるでスタッフと友達のような関係になってしまって、結局崩壊しましたしね。

私は、仕事でも恋愛でも、“この人信用できる!”と思ったら、手の内をすべて明かしてしまい、破たんしてしまうことが多かったんです。でも痛い目にあって、ようやくこれじゃダメだと学び、距離感を覚えました。それまで自分に厳し過ぎる生き方をしてきたので、自分にとって必要な経験だったんだろうと思います。

――力みが抜けてきたのは、30代から?

柴田:ラクになってきたと感じたのは35歳を超えてからですね。そもそも私の求めている環境は奇跡の環境だったんでは?と。何十回何百回とステージを重ねて、そこにいつまでも辿り着かないことにハタと気づいたんです。

自分の中で「気づき」を得ると、肝が据わりどんな環境にもトラブルにも動じなくなり、もし100%の納得感がなくても、それを受け入れた上でベストなパフォーマンスをしようと前向きに考えられるようになったんです。この時の「気づき」で自信がようやく芽生えた気がしました。

経験を積んで、仕事への力の入れ方・抜き方を覚え、よくも悪くも「手を抜ける術」を身に付けるようになるわけですが、同じことは人生にも言えますよね。でも曲作りだけは、なかなかそうはいかないですね……。

どこまでも“満たされない”から続けられる

――ものを作り続けるのは、やはり苦しいものですか?

柴田:曲を作ることで得られる達成感は、何にも代えがたい多幸感をもたらしてくれます。「私、天才かも!」と思えるような曲が生まれた時は、好きな人と両想いになるという幸せな瞬間よりも、はるかに満ち足りた喜びがあるんですね。でも、その喜びは一日で終わって、プレッシャーに変わってしまう。

――たった一日ですか? しかも多幸感がプレッシャーに変わるというのは?

柴田:ものすごい幸せが訪れると同時に、「この曲をリリースした後はどうしよう……」とリアルに現実問題を考えてしまうんです。しばらく陶酔するなり浮かれていてもいいのに、作った瞬間過去のものになる。過去の作品に酔っていても仕方ないと思ってしまうんです。

人に評価されても、自分の過去を評価されたようなもの。さらにいい曲を作らねばと、プレッシャーに変わってしまうんです。その曲で引退するなら話は別ですが。だから常にゼロ時点に戻っちゃうし、どこまで行っても満たされないんですね。だから続けていけるのかもしれないけれど。

――その“満たされなさ”が、憂いを帯びた“柴田淳の世界観”を生んでいるわけですね。

柴田:そうですね。どこまでも満たされないから早く次の曲を書きたくなるし、恋愛も満たされないからこそ想いが溢れて曲がたくさん生まれる。恋愛成就しちゃったら、歌を作りたくなくなるんじゃないかという恐怖はありますよ。毎回、自分の心の傷をえぐるような作業をするのは、すごくキツイし、恥ずかしいんですね。

でも、その羞恥心を出すほど毒が伝わり、リスナーに響くものになります。ただ、リアルに吐き出す分、その苦しみはもう二度と見たくないし、自分の中に戻したくもない。まだまだ恋愛経験が浅くダメな恋をしていた若い頃の歌は、追いかけたり、すがりついて依存するイタい自分を思い出しちゃうから、歌いたくなくなっちゃう。

結婚という形にはこだわらない

――自傷行為とデトックスを同時にやるようなものですものね。ハードすぎます。

柴田:うーん、自傷行為なのかな。どっちかというと、ヘアヌード写真集を出す感じに似てる気がしますね。しかも、ヘアヌードよりも露出度多め(笑)。ありのままの心を歌にすることで、自分では見えなかった心の姿をリスナーから教えてもらうことはとても多くて、それが何より楽しみだったりします。

また、ファンの方には、プライベートを心配されるんです(笑)。結婚しても変わらず応援しますから、安心して早く結婚して幸せになってくださいって。だから思わず、「結婚しなくてもファンでいてくれますか?」と返したら笑われました。

――というと、結婚願望はない?

柴田:実は今、揺れているんです。まわりを見ると、結婚して子どものいる人がほとんど。こういう世界で生きているから、常に戦闘態勢でいなくてはいけない部分もあって、家庭という安らぎの場所があるのは憧れます。でも、自分の心がざわざわしているのは、“寂しさ”と“退屈”が原因だなあ、と。それなら結婚という形にとらわれず、味方になってくれるパートナーがいればいいのかもしれないな、と思ったり。

「相手がいたら幸せになれる」という価値観を捨てる

――40代は出産のリミットも近づいてくるから、独身の人は、自分の中で答えを出さないといけない場面も出てきますよね。

柴田:愛する人の子どもを産んでみたいという気持ちもあるけれど、今は相手がいないし、そのために無理やり誰かを好きになるということはできませんしね。正直、自分の仕事と子育てが重なるイメージがまだわかないんです。私は器用ではないので、どちらが犠牲になりそうで怖いという気持ちも。もし結婚したら、引退もしくは活動休止することは間違いないと思います。

よく考えすぎと言われますが、自分でも“面倒くさい女だな”と思います。人間はみんな違うはずなのに、結婚や出産だけ、“世間一般の固定観念”に当てはめようとするから苦しくなっちゃうのかもしれませんね。

モヤモヤとした気持ちを吹っ切ろうと、今、ひとり旅を画策しています。でも、ひとり旅を趣味にすると、本格的におひとり様を謳歌してしまいそうで、楽しみでもあり、怖くもあり(笑)。

――ひとりを楽しめる人のほうが、たとえ結婚してもしなくても、自立した大人として人生を楽しめる気がします。

柴田:そうですよね。“パートナーがいれば幸せだと考える人は、不幸せをパートナーのせいにする。パートナーと幸せに過ごすことのできる人は、一人でも幸せに過ごすことができる”。SNSである人にこう言われました。まず自分自身で幸せにならなくちゃね!
 

関連リンク:オフィシャルウェブサイト

(西尾英子)

(西尾 英子)