“障害者”の「命」子どもにどう伝える? 殺傷事件から考えるべきこと

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7月26日未明。神奈川県相模原市にある知的障害者入所施設に元職員の男が刃物を持って侵入、入所者らを次々に刺し、19人が死亡、26人が負傷する事件が起こりました。

「出生前診断」で分かる事、分からない事

犯人は「障害者は人の形をしているだけで、人間ではない」「障害者に使っている税金は無駄。これをなくして世界にお金が回るように障害者は死んでくれた方がいい。そのほうが家族は楽だ」といった発言をしていたと報道されています。

でも、この犯人を「異常な心理を持つサイコパス」とし“別世界の人“と見てしまうだけでよいのでしょうか。なぜ犯人は、このような考え方をするようになってしまったのでしょうか。

実際にこんな事件を起こさないまでも、私たちも同じような考え方の根っこを作ってしまってはいないでしょうか。

そこで今日は、『1人でできる子になる テキトー母さん流 子育てのコツ』の著者で自閉症児を育てる母である立石美津子がお話します。

「障害」は悪い事なのか

保育園に発達障害の一つである注意欠如/多動性障害(AD/HD)と診断されている男児がいました。

先生が紙芝居しているときウロウロと歩き回る、給食中もじっと座っていられない、ときには友達の給食を食べてしまったり、すぐに切れて暴れるなどしていました。

こんなとき、担任の保育士が「○○君は悪い子ね。みんなも真似してはダメですよ」とこの子を悪い例として指導してしまったら子ども達はどう感じるでしょう。

幼児にとって“先生の言葉=神様の声”ですからきっと「あの子はどうしようもない子だ。ダメな子なんだ」の目で見るようになります。


「背が高い子、低い子、眼鏡をかけている子、かけていない子、色んな人がいるよね。走るのが早い子、遅い子、給食をお替りするこしない子。人間はみんな一人一人違っていて、得意なこと苦手なことがあります。
○○君はじっと座っていることが苦手で歩くことが得意なのよ」と子ども達の前で言えばいいのです。
「ダメな子、悪い子」とは言ってはならないのです。

その上で教師は○○君に対し、気が散らない工夫や他の子と同じように一定時間座っていることを強要しないなど、ハードルを低くする個別対応をすると良いのです。

インクルーシブ教育が叫ばれていますが、一人ひとりのニーズにあった教育をするというのは、まさにこんな対応です。

インクルーシブ教育とは、障害のある子どもを含むすべての子どもに対して一人ひとりの教育的ニーズにあった適切な教育的支援を「通常の学級において」行う教育のこと。
つまり、特別なサポートを必要とする子どもが存在しているのを認めることでもあるのです。

親がすべき対応、親がしてはいけない対応

もし、わが子が障害のある子に対して「あの子変だ、気持ち悪い」のような発言をしたときには「本当に気持ちが悪い子ね」と親は同調するのではなく、「そういう風に人を見ることはよくないよ」と親としてしっかりと教育することが大切です。

■ー「あなたは、あんな風にならないように」

例えば、ある子どもが道路の段ボールに寝ているホームレスの人を指さして「どうして、あの人は汚い恰好をして段ボールのおうちに寝ているの?」と親に質問しました。

お母さんは「あの人はお勉強をしっかりしていなかったから、いい学校へ行けなかったのね。だから仕事にも付けずお家も手に入れられなかったのね。○○ちゃんは大人になったときあんな風にならないように、今のうちからしっかりお勉強しようね」と言いました。

こんな対応をしていると差別の芽が植え付けられます。

では、どう言えばよいのでしょう。

「どうしてかしらね。何か理由はあって住むお家がなくなってしまったのね。おうちがなくて気の毒ね。夜なんか寒いでしょうね。大丈夫かしらね」

これでいいのです。

■ー「出来なかったから、出来たから」

我が子を褒めようとして、出来ていない友達と比較して「あの子は努力しなかったから○○になったのね。その点あなたは頑張っているから○○できたね」の褒め方も“弱者を馬鹿にする考え”がついてしまいます。

私が担当した生徒でも自分だけ国立の小学校に合格したとき、周りの友達に「おめえらは勉強できないから、バカが行く地元の区立の小学校に行くんだ〜」と叫んでいた子がいました。
これを5歳児が自分の考えで言うはずはなく、きっと親が家庭で言っていることを真似して言っているのです。

そのうちに、だんだんと子ども自身も本当にそのような考えになってきます。これほど子どもは親の考えに感化され、影響は大きいのです。


幼稚園、保育園、小学校で「障害の子どもが一人でもいると通学、通園させたくない」と望んだり、特別支援学級が併設されていない小学校をあえて選ぶ保護者もいます。

けれども、頭で「弱者を排除してはいけない」と学んでも、一緒の場にいなければなかなかわからないものです。
共に過ごすことにより、「世の中には色んな人が存在するんだ」ということを机上の空論ではなく生きた学習の場で学ぶという良い面があるのです。

障害のある人間は生まれてきてはならいのか

2015年11月、県の教育委員である女性が「出生前診断などの技術を使って障がい児を早めに見つけて減らせる方向に持っていけないか」といった主旨の発言をし批判を浴びました。

「妊娠初期にもっと障害の有無がわかるようにできないんでしょうか。4ヶ月以降になると堕胎できないですから」「ものすごい人数の方が障害者施設に従事している。県としてもあれは大変な予算だろうと思った」「意識改革しないと。生まれてきてからでは本当に大変です」「茨城県はそういうことを減らしていける方向になったらいいなと」(2015年11月19日付の毎日新聞記事からの引用)

そして、この発言を知事が容認した事に対しても問題となりました。

私が特別支援学校の教員免許をとるとき、授業でこんな話を教授から聞いたことがあります。

『鉢植えに100個の種をまいたら全部が成長はしない。種のまま芽が出ないもの、途中から成長しないもの、曲がってしまうものがある。そんな種の犠牲の上に成長できる芽がある。
人間も生物だから同じこと。全員が健常者として生まれ成長するわけではない。だから、税金をそんな人たちのために使い、健常者は手を差し伸べなくてはならない。特別支援の教員免許を取ろうとしている貴方たちは、その使命を担っている。』

加害者も26年前は人の子として生まれ、可愛い天使のような赤ちゃんだったでしょう。でも、いつの間にか弱者抹殺の思想が染みついてしまったのです。
その思想の影響がどこにあったのかなどの真相は明らかにはされていませんが、少なくとも成長していく過程のどこかで、歪んだ考えが根付く要因があったのではないかと私は思います。

新型出生前診断でダウン症児だとわかると90%の妊婦が中絶しています。
しかし、この検査でわかる障害は染色体異常・二分脊椎・特定の遺伝性疾患などの一部の障害です。人口の6%〜10%を占める自閉症などの発達障害はわかりません。

更に出産時の事故で脳性まひになることもあれば、普通に問題なく生まれてきても交通事故にあったり、病気をして脳にダメージを受けて障害児になる可能性もあります。
また、親自身が事故や病気、鬱病や統合失調症などの精神疾患にかかり障害者になることもあります。

そんなとき「あなたの子どもの存在は大変な税金がかかり迷惑をかけている。最初から生まれていなければよかった」といった発言をされたら、どのように感じますか?

私の息子は自閉症ですが、やはり障害者に対する厳しい視線を感ながら過ごしています。

今回の事件を“異常な人がやったこと”で片づけず、もう一歩近づいて考えてみて欲しいと思います。