--小説は間宮林蔵や娼婦たち、シーボルトの門弟などにも焦点を当てています。さまざまな人物が登場する中、伏線が張り巡らされていてグイグイ惹き込まれました。
 「人物の造形や構成力、セリフは今の作家に負けないと思うよ。なぜなら、映画はお客を劇場に閉じ込めて、2時間飽きさせないように腕を振るわんとあかん。そのために、いろんな人たちを取材してきたけど、今の脚本家や小説家は机の上で書いてるだけや。僕は逃走中の殺人犯に話を聞いたこともあるからね(笑)」

 --高田先生は任侠映画を手掛けていた頃から、女性の描き方に定評がありましたよね。
 「デビュー当時は時代劇ばかりで、むしろ『高田は女が書けない』って言われてたんです。とはいえ当時の東映時代劇なんて、女はお姫さんしか出てこないからね。その後、時代劇ブームが終わると、東映は任侠映画にシフトチェンジする。そのきっかけになった『人生劇場 飛車角』(1963年)は、飛車角(鶴田浩二)の情婦・おとよ(佐久間良子)が良かった。本当に生きてた。そんな流れの中で、自然と僕も女性を書くことにのめり込んでいったんです」

 --女性を描く上で影響を受けたものはありますか?
 「自分のお袋のイメージが大きいんですよ。僕の家は大阪で20人ぐらいの町工場をやっていたんだけど、親父はものを考えるほうで、お袋が現場に立っていた。『高田さんの奥さんは、逆さにせんと女かどうか分からん』って言われるほど男勝りだったからね(笑)。終戦後、親父が病気で倒れて寝たきりになったんだけど、そんな親父をお袋が口汚くののしるのよ。ところが、2人が隠居して親父が入院したときに、僕が見舞いに行ったら、お袋が親父のベッドに帯をくくりつけて『私は死んでもそばを離れない』って言うのよ。病室は6人部屋だったんだけど、お袋は太っていたから看護師さんが通れないんだ。『何とかしてください』と言いながら、看護師さんも泣いてるのよ。それを見てね、夫婦とはこんなものかと感動したんです」

 --ヤクザの取材でも、奥さんに話を聞くことはあったんですか?
 「嫁さんは自分のことを話さないけど、ヤクザの親分はみんな嫁さん自慢。任侠映画の取材は大阪や九州の親分が多かったけど、嫁さんが格好いいのよ。古い話やけど、大阪の親分が殺されかけたときに、風呂に入っていた嫁さんが素っ裸で親分をかばって背中を切られたとか、ある博打打ちがイカサマしてバレたとき、持っていたお金を窓から放り出して、下で待機していた嫁さんが金をつかんで逃げた話とかね。夜桜銀次をモチーフにした『山口組外伝 九州進攻作戦』の取材でも、ヤクザの嫁さんたちが拳銃を買い物カゴで運んだと聞いた。明日をも知れぬ暮らしやから、並の女性とは比べものにならない覚悟と根性がある。それと、世間に対する意地や。その究極が『極妻』で、世間から爪はじきにされている男を自分だけは愛して、そのために命を張るという女が格好いいのよ。女は生死の境目に立つと強い。男はかなわんよ」