吉村美栄子氏(山形県知事)

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■みんなで目標に向かっていく喜びと楽しさ

【塩田潮】現在、全国の47知事で、女性は北海道の高橋はるみ知事と2人だけです。高橋知事は通産省(現経済産業省)出身ですが、吉村知事は会社勤務の後、行政書士を開業し、民間からいきなり知事となりました。2009年1月の知事選になぜ出馬したのですか。

【吉村美栄子(山形県知事)】前年に山形県でスペシャルオリンピックス(SO)という知的障害のある方のスポーツの祭典があり、ボランティアでお手伝いしたんです。当時の斎藤弘知事でなく、誰か別の知事を、と候補者を探している人たちがそれを見て、春頃に「選挙に出てみませんか」と私に言ったらしいけど、憶えていないんです。

夏にまた、言われましたが、冗談でしょうという感じで、意に介していませんでした。でも、秋になって「本当に頼みます」と言われ、えっ本気なの?と思いました。知事選に自分が出るとはまったく考えていませんでしたが、最後に「誰もいない」と言われたとき、この状況のまま、4年は待てないと思いました。

ものすごく悩みましたが、立つことにしたんです。

【塩田】「齋藤県政ノー」と思った理由は何ですか。

【吉村】知り合いに福祉の現場で働いている30代の女性がいて、「行政に行くと、『予算がないからダメ』の一点張りで、何も聞いてもらえない。本当に疲れた」と元気ないんです。そんなのでいいのかなと思いました。ほかにも農業が非常に元気がなくなってきたと聞いていました。山形県には豊かな農林水産資源があり、中山間地で育った私としてはこれではいけないと思っていました。

【塩田】いきなり知事選に出て、初めて候補者として選挙を戦って、どう感じましたか。

【吉村】私は大学を出て、リクルートに勤務した後、脱サラして司法試験目指した夫よりひと足先に郷里の山形に戻り、20年近く、主婦と子育てをやって、夫と死別した後、社会復帰し、知事選に挑戦しました。選挙は、毎日が新鮮でした。1つの目標に向かってみんなと一緒に仕事し、行動するのは本当に楽しいことですね。「元気を出して一緒に頑張ろう!」と言いながら、みんなで目標に向かってやっていく喜び、楽しさ、充実感が毎日ありました。

私は最初から勝つつもりでいましたが、奇跡でも起きない限り絶対に現職が勝つと、大抵の方が思っていたようです。ところが、選挙の50日間、本当にみなさんに助けてもらって、行く先々で大歓迎していただきました。砂漠に水が染み渡るように応援してくれる人が増えていったという感じでした。選挙中、県内全域でいろいろな方とお会いして、話をお聞きしました。

若かった頃、外に出て人と話す仕事をしたいと思って会社の仕事で取材をやりましたけど、それも非常に役に立ちました。

【塩田】リクルート時代の経験ですね。お茶の水女子大を出て、なぜリクルートに。

【吉村】私の父は営林署に勤めていて、母は専業主婦でした。大学では教育心理学を専攻しました。リクルートは教育心理学をやった人たちの集団で、心理学のテストをつくったりして、面白そうな会社だなと思い、就職しました。「外に出て人と会う仕事をしたい」と言ったら、会社案内や入社案内などのパンフレットをつくる仕事となりました。営業マンが仕事を取ってきた会社に伺い、話を聞いたり現場で調べたりして情報を収集する。自分で取材して企画し、コピーライター、カメラマン、デザイナーとディスカッションするディレクター的な仕事の制作マンでしたが、非常にやり甲斐がありました。

■災害廃棄物の受け入れにバッシングも

【塩田】現在2期目で知事在任7年半ですが、1期目の11年3月に東日本大震災に遭遇した際の対応が注目を集めました。地震発生時はどこで何を。

【吉村】県議会があった日で、予算特別委員会が終わった後、議会棟から戻る途中、秘書課の前を通ったとき、ものすごい音の警告音が鳴りました。知事室に入った途端に、ぐらっぐらっとなり、しばらく揺れました。3階の危機管理室の6つくらいのテレビ画面にいろいろな放送が全部入っていて、そこに行って大変な状況になっていることがわかりました。

県内の市町村からは情報が上がる仕組みになっていましたが、県外からは入るようになっていませんでした。停電など県民のライフラインがダメになっていたので、まずは復旧を指示しました。

翌日の土曜日、ほかの東北5県の知事に電話をしました。秋田は、ライフラインが復旧したら応援にいくと言っていました。青森は、太平洋側がやられて、ガソリンなどが足りないということでした。

岩手の達増拓也知事は「陸前高田市が丸ごと飲み込まれてしまった」と悲痛な声でしたが、「山形県、ありがとう」と言われました。山形県の消防隊が結集して陸前高田市に入り、救援活動をやっているとのことでした。消防で取り決めがあり、新庄に集結して岩手県に向かうと決まっていたようです。福島の知事には全然つながりませんでした。

宮城県庁には当初から職員2人を派遣し、随時、情報を取っていました。3月23日に私から、「3万人を引き受けられます」と申し出ましたが、なかなか進まなかったです。一方、福島県からは突然の原発事故発生により、多くの方が避難して来られました。私から県内の各機関に親切に対応するように指示しました。

【塩田】被災地の隣県の知事として真っ先にやらなければいけないと思ったことは。

【吉村】放射線の問題などで、いろいろな声がありましたが、どんな状況であろうと、人間は受け入れなければ、と思いました。病院や保健所など、みんな大変な状況でしたが、「とにかく受け入れてくれ」と言いました。山形県には原発がなく、放射線の専門家がいなかったので、私が直接、内閣府に電話して「専門家を派遣してほしい」と頼みました。厚生労働省から専門家を2人派遣してもらい、1週間ほど県内の病院とか保健所など全域を回ってもらいました。

【塩田】山形県は災害廃棄物の受け入れを真っ先に決め、注目されました。

【吉村】映像で見て、その後、5月の連休に現地を回って、実際にものすごい瓦礫の山を目にしたとき、このままだと、立ち直るのは気持ち的になかなか大変だろうなと思いました。1県で19年分に相当するなど、報道で知ったとき、これは手伝わなければならない、同じ日本社会なのでそうしなければ、と思いました。なんでもかんでも受け入れるのではなく、現地で、そして持ってきてからも放射線を測り、埋め立てたら、その後もずっと測定し続けて、それを全部、公表する。県民の気持ちへの配慮も必要で、そうやって受け入れなければならないと。

全国知事会でも「みんなで分担しましょう」と言ったんです。東京都だけ、反応がありました。後からわかりましたが、当時の石原慎太郎都知事がうちの県民に「隣の知事がやると言うんだから、俺たちも頑張らなければ」と言ったそうです。山形県の次に、東京都がすぐに受け入れてくれましたが、それ以外はなかなか大変のようでした

逆に全国から「受け入れたら、山形県に行かない、山形県の物は買わない」と、すごい数のバッシングメールがきました。 500は超えていました。みんなが助け合わなければいけないのに、何なんだこれは、日本の社会はおかしくなっているのでは、と思いました。

【塩田】この問題に対する山形県民の受け止め方は。

【吉村】県民は静かだったんですよ。そっと聞こえてきたのは、「俺たちだって、本当は受け入れたいとは思わないけど、助け合わなければいけないから黙ってるんだ」という声でした。1年後くらいに、県外の山形県出身者から、「よく受け入れてくれた。実は私たち、誇りに思っているんだ」という声がぽつぽつと入るようになりました。一番早く、しかも一番多く瓦礫を受け入れて、あの被災地の瓦礫の山が消えてよかったなあと思っています。

■「山形県の市町村はものすごく頑張った」

【塩田】5年余が過ぎましたが、行政のトップとして得た教訓は。

【吉村】あのときに一番早く行動したのは市町村でした。県内に35市町村ありますが、ほとんどが宮城県や福島県の市町村と姉妹協定とか防災協定とか応援協定を結んでいました。それでダーッと自分の協定先の所に向かったんです。ですから、日頃のお付き合い、交流がすごく大事だと思いました。それを誇りに思いましたし、「山形県の市町村はものすごく頑張った」と全国知事会でも申し上げました。ただ、小さい自治体は予算とか尽きてくるわけですよね。そうすると県や政府になってくるのですが、最初は日頃から交流している身近なところからというのが大事だと実感しました。

教訓の2つ目は、今でも3300人ほどが避難しておられるのですが、避難してこられる方の受け入れがもっとスムーズにいくようにしなければいけないということです。そのまま受け入れるのではなく、県と市町村が連携して、しっかりした態勢をつくる必要があると思いました。

3つ目はエネルギー、原発問題です。ある日突然、日常生活が奪われるようなことがあってはなりません。それについて誰も責任を取らないということもあってはいけない。処分方法が確立していないものを、人間は使い続けていいのか? しかも日本は地震国だぞと何回も言っているのですが。また、3月11日と4月7日、山形県内のほぼ全域が停電になりました。大震災で本当にエネルギーは大事だと思いました。化石燃料の石油に頼ってきましたが、身近な資源を使えるようにすることが重要です。県内全域を回ったら、太陽光もあります。滝の数は日本一多く、水力もあります。海際には風力もある。何よりも山に木がいっぱいあります。地域資源を生かしてエネルギーをつくろうということで、「山形県エネルギー戦略」を12年3月に策定しました。20年間で 100万キロワットを再生可能エネルギーで開発することにしています。これは原発一基分に相当します。エネルギーなんて、大震災前には全然、念頭にありませんでしたが。

【塩田】今年4月以降、熊本で大きな地震が起こっています。

【吉村】13県知事で構成する「ふるさと知事ネットワーク」というのがあり、去年、熊本市内で山形県特産のサクランボを売らせていただきました。そのとき、熊本県の蒲島郁夫知事やくまモンに手伝ってもらったりしたご縁があり、私は4月14日に蒲島知事にお電話しまして、「何でもさせていただきます」とお伝えしました。

山形県は企業局が13くらいダムを持っています。飲料水をつくってペットボトル2万本を連休中に送りました。普通のお米はいらないけど、すぐ炊ける無洗米ならほしいということでしたので、無洗米も送りました。ほかにブルーシートも。医療では、DMAT(災害派遣医療チーム)、DPAT(災害派遣精神医療チーム)、それから被災建築物の危険度を判定する判定員も派遣しました。できる限りのことをさせていただきたいと思っています。

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吉村美栄子(よしむら・みえこ)
山形県知事
1951(昭和26)年5月、山形県西村山郡大江町生まれ(65歳)。旧姓は鈴木。山形県立山形西高校、お茶の水女子大学文教育学部を卒業。73〜77年にリクルートに勤務。76年に吉村和彦と結婚。夫の父・吉村敏夫は元山形県出納長、夫の叔父・吉村和夫は元山形市長。1978年に山形に帰郷し、以後19年、主婦と子育てに(一男一女の母)。81年に行政書士の資格取得。97年に夫と死別する。以後も義父母と同居して、98年から山形市総合学習センター勤務。2000年に自宅で行政書士開業。その後、山形県の教育委員会、入札監視委員会、総合政策審議会などの委員を務めた。09年1月の山形知事選に無所属で出馬し、約1万票差で現職知事の齋藤弘を破る。13年に無投票再選し、現在は2期目。「尊敬する人物は」と尋ねると、デンマークのエンリコ・ミリウス・ダルガスという19世紀の政治家の名前を挙げた。1864年にデンマークがドイツ、オーストリアとの戦争に敗れ、国土の3分の1の肥沃な土地を奪われた。「残った国土をバラの咲く肥沃な土地に、と人々を鼓舞し、やり遂げた。理想の指導者は困ったときに希望を見出せるこういう人」と語る。

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(ノンフィクション作家 塩田潮=文 澁谷高晴=撮影)