ショッキングな大腿骨骨折から113日目となる、6月5日――。ランプレ・メリダの新城幸也(あらしろ・ゆきや)が日本で開催された国内最高峰の自転車ステージレース「ツアー・オブ・ジャパン」の伊豆ステージで優勝した。

 それは、奇跡の復活への序章だ。日本中の自転車ファンが身震いするほどの感動を覚え、完全復帰を勝利で飾るというサクセスストーリーに、誰もが幸福を感じた。笑顔をふりまく新城だが、その裏には壮絶なリハビリと、人には絶対に見せない努力があったはずだ。

 世界最高峰の自転車レース「ツール・ド・フランス」に5回出場して、すべて完走している日本の第一人者、新城がまさかの大腿骨骨折の重傷を負ったのは2月12日。中東カタールで開催された「ツアー・オブ・カタール」の最終日だった。

 同大会はツール・ド・フランスを主催するフランスの『A.S.O』が統括するシーズン冒頭の国際レースで、この時期にしては温暖な気候を利用して、世界のトッププロが足慣らしとして参加するのが常だった。そうそうたるトップ選手が参加するだけあって、主催者A.S.Oは不測の事態に備え、万全の緊急医療態勢で大会運営にあたった。カタール随一の外科医を押さえて、トップスターが万一にも負傷したときは対応にあたらせる準備があった。

 今回の新城も、その恩恵にあずかったのは不幸中の幸いであった。選手生命を左右するような大事故だったにもかかわらず、カタールの名医は大腿部の筋肉を無駄に損傷させることなく、折れた部分をボルト止め。それが、113日後の復活を実現させる伏線となった。

 こうして新城は落車の翌日、現地で緊急手術を受けたのだが、その2日後からもうリハビリを開始したというのだから信じられない。19日には現地を離れて、帰国の途へ。東京都北区にある国立スポーツ科学センターで、復帰に向けてのプロジェクトが組まれた。日本オリンピック委員会が特別の支援態勢でサポートすべきアスリートだったからだ。

 3月17日には、まだ松葉杖に頼る新城がリオ五輪のロード代表記者発表に登場。骨折して、35日目だった。誰もが、「今季の新城は絶望だ」と観念していたなか、日本ナショナルチームの浅田顕ロードヘッドコーチは、「五輪でメダルを獲れるのは新城しかいないので、代表から外すと考えたことは一度もなかった」と証言している。

 3月にエアロバイク(室内トレーニングマシン)、4月にはロードバイクでローラー練習、そして5月にはアウトドアで乗り込みを開始し、毎年冬に行なうタイ合宿に出発した。タイは新城にとって、コンディションを上げるための重要な拠点でもある。今回は盟友である土井雪広(マトリックス・パワータグ)が乗り込みに付き合ってくれた。

 風よけとなる先導のオートバイは、ツール・ド・フランスの平均速度に設定したスピードで走らせ、そのあとにピッタリと追従してレース感覚を養った。距離200kmという練習量も、ツール・ド・フランスの1ステージと同じ長さ。その終盤になると、ゴールスプリントと同じスピードまでオートバイを加速させた。そこでスパートできなければ、ツール・ド・フランスで勝つことなんてできないからだ。そんな練習を、毎日続けた。

 本来なら、この時期はロードレースの主戦場・ヨーロッパで活動しているが、まさかの骨折で日本にとどまっていることが、ある意味ではチャンスをもたらす。2008年以来、8年ぶりにツアー・オブ・ジャパンに参戦することを表明。これには日本中のファンがビックリし、そして新城を国内で見られると大歓迎した。

 新城は2009年からヨーロッパを拠点としたプロ活動をしていたため、それ以来、ツアー・オブ・ジャパンに参加することはなかった。今季は、この大会の常連であるイタリアのランプレ・メリダに移籍したことも、8年ぶりの参戦が実現した要因となった。日本のファンにとっては、俄然レースが面白くなった。

 タイでの乗り込み合宿から帰国し、その日のうちに自宅を経由して新幹線で開幕地の大阪府堺市まで移動した新城は、ツアー・オブ・ジャパン前日の記者会見で元気な姿を見せた。

「目標は、チームメイトであるダヴィデ・チモライ(イタリア)のステージ優勝です。たぶん、3つは勝ってくれると思っています」とコメント。「今年のチーム1勝目はカタルーニャでのチモライだし、ここに来ているスプリンターのなかでは一番強い。僕は復帰戦なので、のんびりやります」と、このときの新城は肩ひじを張らずに語っていた。しかしその一方で、「日本のファンに魅せる走りをしたい。1日1日を全力で走りたい」と心境を漏らしている。

 大会2日目にはチモライがステージ優勝し、まずは目標を達成。こうなると、新城の動きは自由度が増して、復調を確かめるように走りが積極的になる。大会6日目の富士山ステージは、富士山の5合目までの11kmを一気に駆け上がる山岳コース。新城は好調ぶりを確かめるかのように先頭集団を順調に走行していたが、変速機のトラブルにより一度レースをストップ。不運なことに、チームカーも急勾配に耐えられずにエンジンが故障するというトラブルに見舞われて、24位でゴールした。

「調子は日に日によくなっている。大会5日目の南信州ステージでは優勝できると思っていたが、ゴール勝負のスプリントで他選手と身体が接触し、位置を下げてしまったことが残念だった。今日も調子がよかったし、明日の伊豆ステージが楽しみだ。復帰戦としては上出来」と、この日の新城は語っている。

 そして最終日前日。静岡県伊豆市の日本サイクルスポーツセンターで開催された第7ステージで、新城が優勝した。同大会で新城が優勝したのは、2007年の最終日・東京ステージ以来だ。

 伊豆ステージの総距離は、12.2kmサーキットを10周する122km。獲得標高3000mという厳しいコースで、この大会の総合優勝の行方を左右するレースと言われていた。過酷なサバイバルレースで第1集団は絞り込まれたが、新城はこのなかに残っていた。そして、ラスト600mから飛び出して後続を振り切った新城は、両手を広げながら天を仰ぎ、観客の声援に応えながらゴール。日本人としては、1996年の第1回大会に今中大介が優勝して以来となる、実に20年ぶりの伊豆ステージ優勝を果たした。

「調子がよかったし、ファンのみなさんの期待をすごく感じていた。今日は絶対に勝つと思って狙っていたステージで、自分の勝ちパターンで優勝できたことは本当にうれしい。最後のアタックはリスキーだったけど、アタックしたからこそ気持ちよくゴールできた。ケガからの復帰を支えてくれたすべての人に、この勝利を捧げたい」

 ツアー・オブ・ジャパンは6月5日に東京でフィナーレを迎えたが、新城は直後にスイスに向かった。現地でワンデーレースを1つ走り、チームのエースである元世界チャンピオンのルイ・コスタ(ポルトガル)も参戦する「ツール・ド・スイス」に出場する予定だ。所属するランプレ・メリダのツール・ド・フランス出場9選手の発表は、ツール・ド・スイス終了後の予定だという。

 7月2日に世界遺産、モン・サン=ミシェルで開幕するツール・ド・フランス。そして2度目の五輪となるリオデジャネイロ五輪。大ケガを克服して見事に間に合った、新城幸也の快挙に期待したい。

山口和幸●取材・文 text by Yamaguchi Kazuyuki