搬送されてきた患者さんが大暴れ!(shutterstock.com)

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 昏睡状態に陥った患者、または不穏状態(暴れる状態)にある患者が、「ある薬」でまったく元どおりに回復することがある。しかも、注射をしてから1分も経たないうちに――。

 救急外来(ER)のホットラインが鳴った。ERナース(看護師)が対応している。ホットラインを切ったERナースがERドクター(医師)たちに、搬入患者について報告する。

 「60歳の男性、主訴は不穏(暴れている状態)、自宅で急に暴れだし、奥さんでは手に負えなくなったとのことです。お酒は飲んでいません。高血圧と糖尿病で近医にかかっているとのことです。搬入まで約8分」――。その情報を聞いていた別のERナースが、心配そうにリーダー医師に尋ねてきた。

「先生、また精神科ですか?」
「違うだろう」
「どうして違うということがわかるのですか?」
「60歳の男性が急に精神病にはならないよ」

 そのERナースは、リーダー医師がイメージしていることがまったくわかっていなかったようだ。一方、ERドクターたちは、これから運び込まれる60歳の不穏の男性の診断について論議を始めたが、診断を下すのに、さほど時間はかからなかった。

 十中八九これであろうということで落ち着き、ERナースに「ある器具」の用意を指示した。

「ある薬」を注射したとたん、急におとなしくなった患者

 しばらくして救急車が到着した。かなり体格のいい男性が、不穏状態で暴れている。奥さんも付き添っていたが、小柄な彼女では暴れる患者は手に負えないだろう。酒の臭いは一切しない。患者の大声は半端ではなく、何人ものスタッフが「何事か?」と集まってきたほどだ。

 奥さんに事情を聞くと、直前まで普段と変わらない様子だったのに急に暴れ出した、精神科疾患の既往もなく、こんなことは初めてとのことである。

 ERのストレッチャーに移してバイタルサインや点滴をとろうとしたが、ものすごい勢いで騒ぎ暴れている。患者を押さえつけるのに4〜5人の手が必要だった。

 そして、点滴を入れる前に、血液検査を行った。検査結果は約5秒で出た。結果は予想どおり。検査後、患者に「ある薬」を注射すると、約1分もしないうちに不穏はおさまった。

 次の瞬間、患者は覚醒し、不思議そうな顔をしながら、「ここはどこですか? 私はどうしてここにいるのですか?」としゃべり始めた。本人にしてみれば、ある時点から気を失い、気がつくと目の前に何人もの医師や看護師がいるのだから、びっくりするであろう。
不穏の原因は低血糖だった

 この男性に注射した「ある薬」とは、正確には薬ではない。ブドウ糖である。そう、この男性は低血糖で不穏状態になったのだ。インスリン注射薬などを常用している糖尿病患者にとって、最も恐ろしい副作用は低血糖だ。その状態が長時間続くと、死亡する危険さえある。

 低血糖のためにERに運び込まれる患者は珍しくない。しかし、糖尿病の持病があるという情報がERドクターに入ってくればいいのだが、患者の意識がなかったり、家族がそのことを知らなかったり、誰も付き添いがいない場合も珍しくない。

 糖尿病治療薬で最も頻度が高い副作用の症状は意識障害、さらに不穏(意識障害の一種)、片麻痺、言語障害(呂律困難)、痙攣、失神などが見られる。

 主症状が片麻痺や言語障害の場合は、脳卒中とまったく同じ症状のため誤診されるケースも少なくない。鑑別診断を知らなければ診断がつかず、治療が遅れることもある。

 血糖の簡易検査ができないERはないだろう。さらには血ガスでも血糖検査ができる。血糖の簡易検査であれば通常5〜10秒、血ガスでも1〜2分あれば結果が出る。低血糖を疑いさえすれば、ERでの血糖検査はできるはずだ。

意外に知られていない低血糖で起こる不穏や片麻痺・言語障害

 医療従事者の中には、低血糖で不穏になったり、片麻痺や言語障害などの脳の局所症状が引き起こされることを知らない者も多い。

 低血糖で脳の局所症状が起こるメカニズムは、左右の大脳半球で血糖に対する閾値が違うことに起因する。つまり、血糖に対する閾値が優位半球(言語中枢がある側)と劣位半球で違うため、同じ血糖値でも優位半球から症状が出やすくなる。

 そのため、一気に血糖が下がった場合は意識障害になるが、ある程度ゆっくり血糖が下がった場合は優位半球の症状が先に出現する。

 日本人のほとんどが脳の左側が優位半球であるため、片麻痺は身体の右側に出る。また、意識障害も片麻痺もなく、わずかな言語障害だけが見られる場合には、低血糖であるケースもある。

 いずれにしても、上記のような症状が見られた場合は、必ず血糖検査をすべきである。血糖検査は数分以内に結果が出るので、低血糖の除外・診断はERでも迅速に行える。

 今回は、不穏状態になった患者が「ブドウ糖」で劇的に改善し、まったく元どおりになったケースについて紹介した。もし、一般の人がこの改善状況を目の当たりにしたら、非常に驚くであろう。もちろんすべての病気でこのようにうまくいけばいいのだが、なかなかそうはいかないことも特記しておこう。


河野寛幸(こうの・ひろゆき)
福岡記念病院救急科部長。一般社団法人・福岡博多トレーニングセンター(福岡博多TC)理事長。
愛媛県生まれ、1986年愛媛大学医学部医学科卒。日本救急医学会専門医、日本脳神経外科学会専門医、臨床研修指導医。医学部卒業後、最初の約10年間は脳神経外科医、その後の約20年間は救急医(ER型救急医)として勤務し、「ER型救急システム」を構築する。1990年代後半からはBLS・ACLS(心肺停止・呼吸停止・不整脈・急性冠症候群・脳卒中の初期診療)の救急医学教育にも従事。2011年に一般社団法人・福岡博多トレーニングセンターを設立し理事長として現在に至る。主な著書に、『ニッポンER』(海拓舎)、『心肺停止と不整脈』(日経BP)、『ERで役立つ救急症候学』(CBR)などがある。