26日、華字紙・中文導報はこのほど、在日中国人の黄さんのコラムを掲載した。資料写真。

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2016年7月26日、華字紙・中文導報はこのほど、在日中国人の黄文●(ホアン・ウェンウェイ、●=火へんに韋)さんのコラムを掲載した。

4年前、フェイスブックを利用し始めたばかりの時、一部の日本人の中国や中国人を軽く見た発言に慣れなかった。彼らはいつも中国に民主がないこと、環境がひどいこと、中国人に素養がないことなどを笑いの種にしていた。

ある時、日本人の友人が「もったとくさんの中国人の友人に日本を紹介してよ。でも、そこら辺に痰を吐かない人にしてくれ」と言った。不快に思った私は「日本にお金を落としているのに何よ。紹介なんてしないわ」と返事をした。後になってよくよく考えると、日本の街はとてもきれいで、彼らがそういう要求をすることは理解できる。だが、当時は売り言葉に買い言葉だった。

また、別の日本人から「中国語の発音は強すぎる感じがするから受け入れられない」と言われたこともあった。私は「中国語に対する差別だ」と思ったが、冷静に中国語と日本語の違いを考えると、確かに日本語の方が発音が柔らかい感じがする。彼にも中国を見下す意図はなかったと思う。

海外で生活する多くの人はきっと同じような経験があるだろう。「私の国は私が批判してもいいが、あなたが批判するのは許せない」。これは「民族のプライド」とでも言うべきか。

フェイスブックを利用して2年後、日本人の言論にも平常心が保てるようになった。物書きにとっては、造詣が深い日本人と関わることで、日本の社会や文化を学ぶことができ、執筆の資源にもなる。自らと異なる文化を持った人と関わったり、異なる考え方を理解したりすることは、自分の意見に固執するよりもずっと楽しいことだ。私は意識的に文化人と交流するようにしたため、フェイスブックの友人には多くの大学教授がいる。中には考え方が偏っていると感じる人もいるが、その時は相手の品性を見る。人間性が良いと感じれば、理性的にやり取りができ、意見の交換もできる。右であろうと左であろうと、礼儀礼節があれば良いのだ。

先日、日本のテレビ番組が中国人を侮辱したとされる問題が、在日中国人の間で議論を呼んだ。中国人の欠点を大きくして見せ、反中感情をあおるようなもので、出演者のセリフはすべて事前に用意されていたものだったという。そうであれば、彼らは中国や中国人を代表していると言えるだろうか。私は基本的にバラエティー番組は見ない。刺激を求めて視聴率を上げるためだけのものに過ぎないから。一つの平凡な番組が中国を貶めることができるだろうか?抗議すればするほど、逆にそれを持ち上げることになる。

振り返って、中国のネットやテレビでは日本批判がさらにひどく、おかしな「抗日神ドラマ」も少なくない。日中のネット上には、聞くに堪えない相手への罵詈雑言が常にあるが、これらは日中関係の末端にあるもので、気をもむに値しないものだ。

自分が13億の中国人を代表しているなどと思ってはいけない。一人ひとりの中国人に個性や個人の考え方がある時代、中国人全員が同じスローガンを叫んでいた時代にはもはや戻りようはないのだ。自分が代表するのは自分でしかない。グローバル時代の最大の良さは、多くの異なる文化背景を持った人と関わり、自分の人生を豊かにできること。他の国の人との交流は個人的なものであって、こうした交流は国籍や民族を超越する。異文化交流の深さ、広さは、往々にして双方の心の容量によって決まるのだ。(翻訳・編集/北田)