誰にでも豊かな老後が待っているわけではない(写真:アフロ)

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「老害」という言葉を口にする人がいるが、それは高齢化社会における本当の問題を見えにくくしている。いま真剣に考えなければならない問題は何か。コラムニストのオハダカズユキ氏が考察する。

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 ネット上でも日常でも、よく目にしたり耳にしたりする「老害」という言葉。自分が「若者」から遠ざかり、「老人」に近づきつつある中年だからかもしれないが、それを軽口で使う者はほんと浅はかだと思う。

 生産しないのに消費する。働かないのに医療や介護などの金がかかる。長く生きてきたぶん物知りどころか、情報技術社会に追いつけない面倒くさい落ちこぼれ。そのくせ頭が固くて、後進に道を譲ることもしない。公共マナーだって、謝れないし、勝手にキレるし、迷惑かけているのは若者じゃなくて老人のほうだろう。こんな老害社会、もう、うんざりだ!

 というアレコレの言い分を全否定はしない。「団塊世代(1947〜1949年生まれ)がひどい」ともよく言われる。たしかに、60代後半には、中年の私もときおりムカッと来る。いい歳こいてオレがオレがと自己主張の強い老人が多いし、思いっきり既得権の甘い汁を吸いながら気分は反権力みたいなことをヌカしている老人も少なくない。ああいう連中を「老害が!」と斬って捨てたい気持ちはよくわかる。

 しかし、である。人は誰しも同じペースで齢を重ねるのだ。死ぬまで全員、老いていく。歳をとれば、働けなくなるし、身体が弱るし、思考力も落ちて、どうしたって頑なになってしまう。

 そういう存在に誰もがいつか成り果てるのである。今の老人の醜さは未来の自分の姿にすぎない。それを「老害」と斬り捨てた刃物はブーメランのように、〇〇年後の自分を斬りつけに戻ってくるのだ。

 だから「老害」などという罵倒語は、安易に使うべきではない。軽々しく口にしたり書きこんだりするのは浅はかだ。そして、老人たちを「老害」視することによって見えなくなる事実がある。世代間対立の図式でものを考えると、ほんとうに唾棄すべき「敵」を見失いかねないのだ。

 先日、博報堂生活総合研究所が60〜74歳を対象に実施した意識調査を発表した。1986年から10年おきに実査してきた調査の4回目の結果である。

 それによると、「何歳まで生きたいか」の問いに、86年の調査対象者たちは平均で「80歳」と答えたが、2016年の今年は「84歳」だったそうである。また、今年から新たに加えた質問の「あなたの気持ちは何歳くらいだと思いますか」の答えは、平均「53歳」。実年齢より14歳マイナスだった。「自分は、体力もあるし、気持ちも若い」と答えたのは、65歳〜69歳が一番多くて、30%。団塊世代、やっぱり健在である。

 このデータだけだと、「だから老害は自分のことを分かっていない」という声がわき上がりそうだが、長寿の希望は医療レベルがここ30年で4歳分以上は発達しているのだからそれはそういうことだろうし、体力や気持ちが実年齢よりも若いのなら老人たちにどんどん働いてもらえばいい、と考えることもできる。いや、すでに人不足の際たる介護業界を下支えしているのは、労賃が安く3Kな仕事でも厭わない高齢者層であったりもする。元気な老人が多いから超高齢化社会がなんとか持ちこたえている部分もある。

 しかし、こうした調査結果がある一方で、こんな数字も出ている。生活の見通しについて尋ねたところ、「先の見通しは暗いと思う」と答えたのが、1986年は32%だったのが、今年は47%と、15ポイント跳ね上がっていた。さらに、現在欲しいものについて尋ねたら、「お金」と答えたのが、86年28%、今年41%。「幸せ」と答えたのが、86年31%、今年16%。

 欲ボケが増えたということだろうか。違う。今現在の生活費の不安をリアルに抱えている老人が増加しているのだ。

 それが証拠に、厚生労働省の「所得再分配調査」などを見ると、60歳以上は下の年齢階級に比べて、所得の格差をはかる指標のジニ係数が大きくなっている。例えば、月に50万もの年金を受給している夫婦が大企業OBを中心に一定数存在するが、月に数万円の国民年金しか収入源がなく、老後崩壊している老人たちはより大量に存在し、増えている。

 いわゆる老々格差の問題だ。同世代間格差はどの世代にもあるが、この国には歳をとるほどその差が大きくなる構造がある。金持ち爺さん婆さんと、貧乏爺さん婆さんの階層社会が実際に過酷であるからこその、現在ほしいもの「お金」41%なのである。

 マズローの欲求階層ビラミッドをご存知の方は、あの三角形の図を思い浮かべてほしい。一番上の三角形の部分が「自己実現の欲求」。要は、真善美の追求を最大の価値として生きている状態である。その直下の台形部分は、「承認(尊重)の欲求」。他者から尊敬されることで自信や達成感や地位を得たいとする気持ちである。たいていの会社内の出世競争は、この欲求をエネルギー源にしている。

 そのまた下のもう少し幅広の台形部分は、「所属と愛の欲求」。ちゃんとした組織に雇用されていること、家族がちゃんといること、友とか仲間とかいえる関係がまわりにあることを欲している。逆に言うと、孤立を恐れる気持ちだ。べつに尊敬の対象なんかでなくてもいい、仲間と一緒にいられたらそれで満足、という群れの心理である。

 マズローの欲求階層は5層に分けられており、以上の上位3層は「幸せ」のレベル分けと言えるかもしれない。「所属と愛の欲求」が満たされていれば、「承認(尊重)の欲求」がわいてきて、それも満たされてようやく人は「自己実現の欲求」に向かう。このマズローの仮説には、科学的裏付けに乏しい、西洋的価値観に偏っている、などなどの批判もあるが、ざっくりとしたところは納得ではないだろうか。

 で、上位3層の下にある平べったい台形部分が2つ、それらは順に「安全の欲求」と「生理的欲求」だ。「安全の欲求」には、身の安全、雇用の安全、健康面での安全などの他に、資産の安全も含まれる。その下の「生理的欲求」は、呼吸、食糧、水、セックス、睡眠、排泄など、生き物としてごくごく基礎的な欲求のことである。

 先の調査の話に戻るが、現在ほしいもの「お金」41%は、こうした5階層のうち下から2番目の「安全の欲求」の表れだろう。呼吸、食糧、水……といった生存に最低限必要な欲求の上に、ささやかながら求められる安心・安全、それらを手に入れるための「お金」。そこに不安を覚えている60〜74歳が、すでに4割強も存在しているということなのだ。

 この4割強は、「いやあ、町内会の世話役に犬の散歩にと、毎日結構やることが多くてねえ」と健やかに笑う、同世代の金持ち爺さん婆さんと自分との格差の意味を知っている。金持ち〜は、真善美のボランティアに打ち込む自己実現老人で、社会的には成功者かもしれない。だが、下から見上げたら「この不平等はなんなんだ」である。

 自分だって懸命に働いてきた。ただし、あちらは大卒で自分は学費がなくて高卒、たまたま大企業社員と孫請け社員に分かれたってことじゃないか。つまり運の違いがこの老後の大格差となった。それは不条理である、と。

 金持ち〜が唾棄すべき「敵」であるかどうかは意見が分かれるだろうが、まずは、「老害」で一括りするとこういう社会構造が見えなくなるよ、と言いたい。それは他人事でなく、これから先はもっと格差がでかくなるよ、と老人予備軍の私は、戦慄しながら同輩以下に伝えたい。