7月1〜2日、両国国技館にて世界一のプロレス団体・WWEが「WWE Live Japan」を開催した。
1月に新日本プロレスを退団し、WWEに入団した中邑真輔の凱旋的な意味合いが強かった今回の日本公演だが、反響はもちろん上々! チケットは発売と同時に好調な売れ行きを見せ、前売り券はほとんど完売状態。当日券は、両日ともにわずかな枚数が販売されたのみだったという。まさに、“世界一のプロレス団体”と呼ぶにふさわしい認知度。

しかし、我々は少し角度を変えてWWEを観察してみたい。そこで今回は、プロレス団体・DDTの「大社長」としてらつ腕を振るう高木三四郎選手に、経営者としての立場からWWEを語っていただこうと思う。


やり手として名高い大社長は、WWEをどのような視点でウォッチしているのか?
また、初めに断っておくが、せっかくなのでこのインタビューではWWE以外の様々なトピックについても高木大社長に質問している。要するに、WWEの現在を追いきれていないファンにも読んでいただきたい内容。

ちなみにインタビューのサポートとして、アイドルグループ「マッチョ29」のプロデューサーを務める鈴木秀尚氏にもご同行いただいた。鈴木氏の前職はプロレスラーで、“アメリカでデビューした初の日本人プロレスラー”でもあったりする。高木大社長とは10年近い親交(高校時代から)がある彼に、今回は知識面でフォローしていただく。


WWEの手法をDDTに取り入れている


――先日、WWEの日本公演がありましたが、ご覧になりましたか?
高木 日程的にDDTの熊本大会が被ってたんですよ。前日もWRESTLE-1の後楽園とウチのDNAが被ってて行けなかったんですよね。最近は全部バッティングしてて、ここ3年くらいは行ってないッスねぇ。
――行きたくても行けない状況があったんですね。高木さんがWWEを観に行く時というのは、単純に好きで観に行くのか、WWEのイベントを団体経営者としてリサーチしに行く感じなのか、どういうテンションなんでしょうか?
高木 昔は、フジテレビさんがやってた『WWEスマックダウン』(2003年より放送。スマックダウンを日本版にアレンジして紹介していた番組)に関わらせてもらっていて、その後もちょこちょこお仕事いただいてたりしたんで、4〜5年くらい前までは欠かさず観ていたんですね。ただ、最近は僕がすごい忙しくなっちゃったんで、ネットでは観ているんですが番組チェックからは遠のいています。
――あの〜、実は僕自身、現在のWWEを追いきれていないんです。本当に好きだった時代って、WWEが「WWF」だった時代なんです。
高木 ですよねえ! みんな、普通そこですよねえ?
――やっぱり、そうですかね(笑)。
高木 要するに、97、98、99年ですよねえ? みんな、そこなんですよ。ロック、ストーン・コールド、アンダーテイカーとかがいた時代で、その後にカート・アングルとかその辺が出ててきた時代。実はみんなそこなんですよ、たぶん。で、ジョン・シナ辺りで、なんとなく「もう、いいかなぁ」みたいな感じでフェイドアウトしていったみたいな。
――高木さんもそうなんですか?
高木 いや、僕はDDTというプロレス団体をやっている仕事柄、世界最高峰の団体から学ぶことやフィードバックすることは多々あると思っているので、起こった出来事やニュースはその都度、取り入れています。例えば、DDTの「アイアンマンヘビーメタル級」というベルトは、今は海外に行ってるんですね。ジョーイ・ライアンという選手からレイ・ミステリオに移り、そこから今度はスコット・ホールに行ったりとか、色んな動きを見せています。で、彼らのファンの中であのベルトは「ニュー・ハードコアチャンピオンベルトだ」という評価になっています。元々はハードコアチャンピオンベルトをパクったアイアンマンヘビーメタル級が、2周くらい回って向こうでそういう認識になってるのは感慨深いものがあるなぁって。
――二番煎じが“リアル”になったという。
高木 そうなんです。マネー・イン・ザ・バンク(鉄製のアタッシュケースを奪い合うラダー・マッチ。その中には、好きな時に1度だけWWE王座に挑戦できる契約書が入っている)も、ウチでは「いつでもどこでも挑戦権」という名前に変えて取り入れてます。WWEは1個しかないですけど、ウチは5つくらいありますから(笑)。あと、“ランブル”(時間差バトルロイヤル)と呼ばれている形式を日本に定着させたのは、たぶんDDTだと思います。2000年以前にランブルを行ってますね。
鈴木 だって、高木さんが社長になったのもランブルでしたよね?
高木 そうそう。“社長ランブル”(2006年の「社長争奪ロイヤルランブル」)で、DDTの社長になったんですよ。

“ガイジン好き”のきっかけとなったテリー・ファンクを、遂に招聘!


――高木さんがWWEを一番ファン目線で観ていたのは、いつくらいですか?
高木 98〜99年ですね。僕、『世界のプロレス』(1984〜1987年にテレビ東京で放送。主に海外のプロレス試合を紹介していた)やSWSが好きだったんです。
――そうなんですか! SWS好きだから、WWFに愛着が?
高木 そうです。だから、88〜91年くらいはWWFを観てたんですよ。
――まさに、自分もその時代がドンピシャです!
高木 それこそ、アルティメット・ウォリアー、ホーガン、ランディ・サベージ、エリザベスとか花形スターはその辺で、え〜っと色々いましたよねぇ?
――その下にはロッカーズとかもいましたよね。
高木 リージョン・オブ・ドゥームもいましたし。
――テンタとか。
高木 あぁ、そうですね! 本当、その辺ですね。でも、それはどちらかと言うとSWSだったり「日米レスリングサミット」辺りが軸になっています。天龍vsサベージ戦とか、会場で観てますし。
――本当ですか! ゲスト解説の徳光さんが激怒した、あの試合を(笑)。
高木 徳光さんがシェリー・マーテルに激怒したというあのシーンを(笑)。あの時は、ハンセンvsホーガンですよね。あれは、凄かったですねぇ……。割と試合はあっさりで、「あ〜あ」って感じだったんですけど(笑)。
――メインはそうでしたね(笑)。
高木 あの辺は観に行ってます。だから、元々の元々はガイジン好きだったんです。最初は全日本プロレスのザ・ファンクスにあこがれて……っていうところから入ってるんで、ガイジンのやるプロレスが好きで。
――ファンクスがガイジン好きの入り口ですか! 実際、今度の両国大会でDDTはテリー・ファンクを招聘しますが。
高木 そうです、そうです! 僕とNOSAWA(論外)とテリー・ファンクさんが組んでやるんですけども。(8月28日のDDT両国大会、高木選手はテリー・ファンクと組んで6人タッグマッチに出場)
――少年時代からのあこがれが結実したという。
高木 やっぱり感慨深いものがありますよね、はい。

「時は来た!」(橋本真也)を計算づくでやってたのが、ビンスvsストーン・コールド


高木 僕の中では「日本的なガイジンのプロレスとWWFのガイジンのプロレスは違う」というのがあったんですよ。
――すごく、よくわかります。
高木 でもその壁が、ランディ・サベージでちょっと壊れたんです。
――それは、天龍さんですか?
高木 そう。天龍さんとランディ・サベージの組み合わせが好試合になったじゃないですか? あれで、見方がガラッと変わったんです。「これはこれで面白いんじゃない?」と。でも、そこからしばらく空いたんですよ。それでDDTを旗揚げし、始めは割と格闘スタイルの真面目な路線でやっていたんですが、それって既にバトラーツが始めてたんですよね。
――あぁ、そうですよね。
高木 バトラーツがいるし、正直「う〜ん」っていう感じだったんです。ああいうのって、最初に始めたもん勝ちじゃないですか? DDTをやってて「これは無理だし、ダメだろう」というのがあって「何かないかな?」と考えてたら、ファンがストーン・コールドとビンスの抗争を編集してまとめたビデオを差し入れしてくれたんですよ。それを観て「こんなのあるんだ!?」とショックを受けて。バックステージを会場に映し出す手法が、当時は新鮮だったんですよね。
――あれは、衝撃でしたよねぇ。
高木 で、会場に流れている云々はともかく、自分の中でバックステージがテレビ的にクローズアップされた日本における最初の試合って、僕の覚えてる限りでは猪木、坂口組vs蝶野、橋本組で。
――あぁーっ、あの試合ですか(笑)!
高木 初めてバックステージが映像になってクローズアップされた瞬間だと思うんですよね。なんか、最初から最後まで奇跡が起こり続けたというか。
鈴木 橋本さんが「時は来た、それだけだ」って言って、蝶野さんが「ププッ」って笑ってるのが思いっきりカメラに抜かれてて(笑)。坂口さんが「やるだけですよ」ってうまくまとめたのに、(アゴをしゃくれさせて猪木のマネで)「負けること考えるバカいるかよ、出てけオラーーッ!」って。
一同 ブハハハハハハハハハ!
高木 あれは、凄いなと思って。でも、あれのさらに上を行ってたわけですよ。
――あれを計算づくでやってたのがWWEだったという。
高木 ですね。あれは新鮮だったし、「これはプロレス番組という名の海外ドラマなんだな」と。
――ああ、なるほど。
高木 当時辺りから海外ドラマが日本に入って来て、火が点きかけてたじゃないですか? ビンスとストーン・コールドの抗争劇は、あれこそが金を掛けてる海外ドラマだったですよね。コンクリート車がやって来て、ビンスの車をコンクリ漬けにしたり。
――やってましたね(笑)。
高木 ああいうバカバカしさ、くだらなさには「なるほど」とすごいインスパイアされた部分があって。それで、エンターテイメントに特化した方向性に勝機を見出しました。新日本プロレスと全日本プロレスがあって、U3派がまだあったかなかったかくらいで、PRIDEとかも出てきてる中で、インディー系は中肉中背の選手が多かったわけですよ。肉体的特徴がそんなにない。新日本に行けば身長180〜185cmオーバーの人たちがゴロゴロしてる。でも、我々は身長175cm前後。この条件で、どうやってプロレスを見せていくか? 差別化を図っていくか? そう考えると、やっぱりエンターテイメントに特化したプロレスをやるしかないと。そうして、98〜99年くらいから今のDDTのエンタメスタイルが生まれました。
――ファンからのビデオの差し入れが一つの契機になったんですね。
高木 なりました。

冬木弘道の言葉で「俺は間違ってなかった」と確信


高木 で、ほぼ時を同じくしてFMWもディレクTVの資本でエンタメ路線を始めたんですよ。どちらかと言うと、僕らはお金がない分アイデア勝負で、向こうは資本の力で。
――新生FMWも、その頃は資金が潤沢でしたよね。
高木 はい。セクシー女優の若菜瀬奈ちゃんとか起用して。
――あぁ〜、やってましたね!
高木 あの時に、冬木さんとお話させてもらったんです。当時の新生FMWは、爽やかなスポーツマンシップに則ったプロレスを展開してて。
――ハヤブサ選手を始めとして、レスリングを見せてましたよね。
高木 ねえ? だから「なんで冬木さん、いきなりエンタメ路線を始めたんですか?」って聞いたら「新日本、全日本と同じことやったら、俺たち勝てねえよ」って。それで、僕は「俺たち、間違ってなかったな」って思いました。
――当時の冬木さんは、マット界一の論客でしたもんね。
高木 そうですよね。冬木さんにそう言われたから、僕の中で「あっ、間違ってなかったのかな」って思えたところはありましたよね。
――冬木さんは、日本におけるエンタメ路線のパイオニアみたいなところがありましたよね。

エンタメ路線に振り切ることで、先輩レスラーからのジェラシーが


――一方で、何号か前のKAMINOGEの高木さんインタビューを拝見して気になる箇所がありました。高木さんがエンタメ路線に振り切ることで上世代との衝突が生まれることもあったと思うんですが、マッスルでの「グレート・サスケが拳銃で撃たれて死ぬ」というストーリーに先輩レスラーが激怒して電話をかけてきたという事件が起きたそうで……。
高木 ああ(苦笑)。
――こういう摩擦って、今までに結構あったんですか?
高木 ぶっちゃけた話、表面化したのはその一件くらいです。陰では何か言われてたと思うんですけど、僕のところには入ってこなかったし。でも、結局この業界の常なんですけど、全てはジェラシーなんですよ。僕らは当時、ネームバリューがあったわけじゃない。何か“引き”になるものがあるわけじゃない。でも、お客さんは入ってた。やっぱり、ジェラシーっていうのもあったと思うし、プラスして「あれだけ振り切ったことしてるんだからしょうがないよなあ」というのもありました。でも、表面化したのはその一件くらいなんです。
――「お客さんが入っていた」という現実が、摩擦に至る要因として大きかったわけですかね?
高木 まあ、ジェラシーでしょうね。「なんで、あそこが入るんだ!」って。
――はぁ〜、気になります。誰だろう……?
高木 いやいやいや。●●●●●●さんって方なんですけど(笑)。
――おわーっ! えーっ、本当ですか(笑)?
高木 はい。面と向かって言ってきたのは、●●●さんだけですね。「やり方が間違ってる」って。「どこがダメなんですか?」って聞いたら「お前ら、こんなくだらない事ばかりやりやがって」、「じゃあ、どこがくだらないと思ってるんですか?」、「そんなの、見てねえからわかんねーよ!」って言い出して(苦笑)。
――ワッハッハッハ!
高木 ムチャクチャだなあと思って(笑)。でも、そういうのもありましたよ。
(PART2へつづく)
(寺西ジャジューカ)

東京・両国国技館「両国ピーターパン2016〜世界でいちばん熱い夏〜」
■日時
2016年8月28日(日)
開場12:30 開始14:00
■会場
東京・両国国技館
■チケット販売場所
チケットぴあ、ローソンチケット、e+、DDT公式チケットフォームほか

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