2014年、全国戦没者追悼式に参列される両陛下(J-CASTニュース撮影)

天皇陛下、「生前退位」のご意向――NHKが2016年7月13日伝えたこのニュースは、日本中にショックを与えた。

このコラムの筆者・ぶらいおんさんは、陛下と同じ1933年(昭和8年)生まれの82歳だ。「同期生」として、今回の報道をどう見たのか。率直な思いを尋ねた。

庶民であろうが著名人であろうが、老いは誰にもやってくる

<天皇陛下「退位」の意向>

こんな話題がマスコミを賑わしたとき、82歳の筆者は「さも、ありなん」と同年齢、同期生として抵抗なく納得でき、彼の意向に全く同感の思いだった。至極自然な成り行きを先ず、あらゆる人々がすんなり受け止めて上げるべきだ(現実的には、なかなかそうは行かぬだろうが...)、と感じた。

宮内庁がどうたら、こうたら...とか、皇室典範ではああだ、こうだとか、そんなことは二の次に解決すれば足りる事柄で、先ず82歳の、彼なりに責任感を感じている律儀な、一方でどうしようも無い身体の衰えを感じている生身の男の、正直な言葉に耳を傾けることこそ肝要だ。

しかし、今のように複雑な世界では、当たり前のことが当たり前に進まないと言うことが、皮肉なことには、当たり前になってしまっている。

全く同じ年に生まれて、同じ時代を生き抜いて来た彼と私だが、その立場は大きく異なっている。彼は天皇制という既存のメカニズムに(好むと好まざるに関わらず)組み込まれてしまっている一人の高齢者だ。

戦時中に私たちが信じ込まされた教育内容からすれば、天皇陛下は神様の筈だから神様が老化したりすることなぞハナからあり得ない。もし、本当に神様なら、彼も歳取って身体がキツイから仕事の量を減らして欲しい、などと言う必要も無くなる。ところが、実際には、そうでは無いのだから、「朕だって、この歳になれば腰も痛くなるし、長時間立ち続けることは辛いんだよ」と言いたくなって来る筈だ。しかし、万一そんなことをあからさまに言われたりしたら、宮内庁はおろか、天皇という錦の御旗を「正義」の拠り所として利用し続けている、邪しまな心を有する権力亡者共は困り果て、立つ瀬が無くなることだろう。

だから、彼も慎重な言葉を選びながら、上述のような意向を漏らしているわけだし、彼の頭の中には「日本人男性平均寿命を越えた自分が、この調子だといつまで生き続けるか分からない。生前退位が認められ無ければ、我が子(皇太子)に適当なタイミングで天皇という地位に包含される全ての権利義務を委ねることが出来ない」という危惧があるに違いない。昭和天皇の死によって、彼自身が天皇となった歳に、自分の長男が既に達しているわけだから、自らの経験からしてこれ以上譲位を遅らせるのは不都合が起こることはあっても、何も良いことは無い、と考えてむしろ当然であろう。

従って、ここでは、この問題に関し、天皇制の本質や現在の運用方法の是非を論ずるのでは無く、取り敢えず、現行憲法の下で運用されている天皇制の仕組みを一応受け入れた立場で、彼の「退位」意向を考えてみよう。

彼の立場に比べると、筆者である私は、先ず何よりも自由であることが有り難い。何をしようが、たとえば「老いらくの恋」(昔、流行った言葉)、今ならさしずめ「熟年恋愛?」しようが、あるいは怪しげな酒場に出入りしようが、世を憚ることは無い。こんな言いたい放題だって、己の責任と最低の社会的常識さえ備えていれば、何を発言しようが、一向に構わない。実に気楽な立場だ。彼より、その意味では遥に恵まれている。

そういうお互いの立ち位置を確認した上で、話を進めることにしよう。

別な所で書こうとしていたのだが、最近「82歳とは何か?」ということを考えて居る。「82歳」というのは、単に言葉の綾で、言いたいことは日本人男性平均寿命の「80.50歳」を頭に置いている(或いは、それを意識せざるを得ない)ということなのだ。

本当に正直なもので、私の身体感覚として、この「80.50歳」という数字は将にボーダーラインそのものとして意識せざるを得ない。そのラインを越えるまで、殆ど意識すること無く出来ていた身体動作、最も身近なところでは、「両足で立って、背筋を伸ばした状態を保つ」こんなことすら、明確な意識を持ち続け、可成りの身体的努力を持続しない限り実現出来なくなったのだが、それでも直ぐに姿勢が悪くなり、背を丸める老人特有の姿を曝す次第となった。

それが、高齢者の自覚する、そして他者が視認する「老化」そのものであって、それを明確に意識させられるのが、このボーダーラインであることを(そこには、当然、個人差も存在するであろうが)私は痛いほど識らされた。だから、この平均寿命以上の年齢の人が死んでも、誰も然程驚かない。現に、最近では永六輔、冨田勲、蜷川幸雄さんなどの例がある(更に、本稿を推敲している間に大橋巨泉氏の死去も伝えられた。)し、私が極親しくしていた昭和8年生まれのユニークな技術屋にして詩人のI君も昨年の4月自宅風呂場にて心筋梗塞で急逝してしまった。他にもこのボーダーライン前後の知人達が櫛の歯が欠けるように此の世から消えてしまう。これが現実の姿なのだ。

ここで、突然だが、いわゆる国を代表する政治家や国家元首のような人々にとって、先ず第一の適性は何だろう?と考えてみると、「それは大勢の民衆の前に立ったとき"良い姿勢"を取れることだ」というのが私の答えである。無論、それらの人々の頭の程度が、全くどうでも良い、というわけには行かぬであろうが、現実の政治家や国家元首を観ていると、頭の中身は二の次でも問題は無い。つまり、どんなに優秀な人でも、今のような世の中の仕組みの中で、一人で何でも出来るわけでは無い。それどころか、こういうシンボル的な人はなまじな発言で、事態を更に複雑にしてしまうよりは、大したことを言わず、いい姿勢を保ちながら振る舞ってさえ居れば、事は足り、実際の問題の処理は確立されたシステムにおいて、能力のあるスタッフが遂行してくれるものだ、というのが私の考えである。

その意味で、色々な国事行為に立ち会っている彼が、良い姿勢を保とうと努力している姿をテレビニュースなどで観る度、同年齢の男として、むしろ痛々しそうで気の毒でならない、と同情していた。

彼にしても、国事行為や日本国のシンボルとして内外の人達の前に立つ以上、身体的衰えを隠すことは困難でも、その間見苦しく、見るに堪えないほど他者に不快感を与えないように相当な努力をし続けているように見える。私なら、いつでも直立姿勢や歩行状態維持を補助するために、杖を利用することが可能で、それを利用することによって身体的負担を格段に軽減出来るのだが、彼の場合、公式行事中にそんなことは出来まい。

まして、およそ入院とか、手術を全く体験したことの無い私と比べて、彼の場合は、主なところでも、前立腺がん手術や心臓の冠動脈バイパス手術を受け、過去に入院生活をしているわけだから、周りから格段の、様々な配慮があるにせよ、彼の肉体的負担は生半可なものでは無い、と考えられる。

「天皇制」という仕組みの是非については、世の中に様々な見解や意見があろう。そして、私自身にも、無論はっきりした意見が有るが、ここはそれを論ずる場では無いので、別なことで彼との同時代人としての関わりについて続けよう。

正直に言おう。実は、私は彼のことをなかなか「天皇」というイメージでは捉えられない。どうしても私の中では「皇太子」なのだ。だから、この原稿を書いている最中に、知り合いの(最近、名脇役としてTVにも良く登場する同年配の俳優)S氏から電話があって、近況を語り合っている内に「今、何してる?」という問いに対し、私の口から無意識に飛び出した言葉は、「<天皇「退位」の意向>について、コラム原稿を書いている」と言いながら問題の彼のことを、つい「皇太子」と呼んでいるのに気付くのだ。

これは、実は彼に対する親近感から無意識に出てしまうものだ、と考えられる。つまり、私の中では、無論、彼との立場の違いは、はっきり理解しては居るのだが、それでも小学生の頃、体験した集団疎開(幼い子どもたちが親や慣れ親しんだ家から引き離されて、あらゆる物資の乏しい中、集団で移住させられ、不自然な環境で暮らすことを半ば強制された)という余り楽しくない思い出を、彼もまた(形式やその内容は我々庶民のそれとは、大きく異なっていたかも知れぬが)、経験しているのである。

彼の場合は、「奥日光・湯元の南間ホテルに疎開した。この時、昭和天皇から手紙を送られている。」そうである。これを観ると、矢張り「天皇」も神様では無く、子を思う一人の人間であったことが分かる。

敗戦後、或る意味では、彼も大分、枷が取り外される状態となったのであろう。私は学習院大学には入学していないので、その意味では同窓生でも同級生でも無いのだが、私と同じ都立高校を卒業した同級生が、ご学友では無かったにせよ、学習院大学に入学し、同学年だったから、同じ講義を聴くような機会も少なく無かった、と思われる。

事実、いわゆる「銀ブラ事件」のエピソードなども、私の高校時代同級生から生々しく聞いた覚えがある。この事件というのは大凡次のようなものである。

『いつも付き随う東宮侍従の職員を騙して抜け出すことに成功し、ご学友2人を加え3人で銀座をぶらついた。このとき高級喫茶店「花馬車」でご学友の彼女と合流し、皆でお金を出し合い、一杯99円のコーヒーを飲み、洋菓子屋「コロンバン」でアップルパイと紅茶を楽しんだり、満喫したようだが、当然ながら、すぐに事件は発覚。大騒ぎになり、居場所を突き止められると、銀座に警察官が20 - 30メートル置きに配置されてしまい、これ以上散策ができなくなり終了した。』という次第である。

あの戦争を潜り抜けた私たちが、大きい時代の変化を否応なく受けたように、彼も彼なりの立場で同じ体験をしたはずだ。だから、彼の考え方や言動も、それまでの決まりに縛られた歴代天皇のそれらからは可成り変化しているようだ。

そして、(程度の差こそあれ、彼は彼なりに)あの理不尽で、悲惨な戦争について、些か慚愧の念を伴う思いを持ち続けていることが、私には同時代人として感じ取ることが出来るのだ。

積極的に国内外の嘗ての戦場であったところへも出掛け、戦没者の霊を弔い、機会をみては平和や民主主義についての見解を、己の立場の限界を見詰めながら、時にはギリギリのラインまで述べていることからも、彼の正義感と律儀さを感ずることが出来る。立場を除けば、彼の考えて居ることは私のそれと大差ないのであろう。

だからと言って、私が「天皇制」の仕組み自体を全面的に肯定している、ということにはならない。むしろ、どちらかと言えば、この種の仕組みが戦時中の軍部の例を挙げるまでも無く、望ましくない方向で悪用されることを危惧する立場だ、と言った方がよいだろう。

それでも、私は(繰り返すが)同時代を生き抜いた人間としての喜びも悲しみも彼と共有している、と素直に感じるのだ。神様では無い彼だからこそ、高齢化の影響も当然受け、次のようなアクシデントが発生したりもするのだ。

「昨年8月15日、東京都千代田区の日本武道館であった政府主催の全国戦没者追悼式。陛下は皇后さまと共に慰霊碑の前に進み、正午の時報とともに黙とうすることになっていた。しかし、陛下は黙とう後に読み上げる筈のお言葉が書かれた紙を胸ポケットから取り出し、冒頭の部分を読み始めた。直後に黙とうのアナウンスが流れ、陛下はそっと紙を胸ポケットに戻し、時報とともに黙とうした。」という報道もあった。

このアクシデントについて、「私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました」。昨年12月の誕生日にあわせた記者会見の場で、陛下は自らの「老い」について、そう語られていた。」と伝えられる。

これが、筆者が折を見て書いてみよう、と考えて居る「平均寿命」を越えた人間の「老い」の姿である。一方で、歳を重ねることによって、今まで見えなかったものが見えて来ることもある。また、長年の積み重ねによってのみ、達成される事柄だって、人の世には有るのである。

それでも、人間、いや生き物である以上避けられない「老い」は立場の違いに関係なく誰にもやって来る。公人であろうが、庶民であろうが、著名人であろうが、無かろうが平等に訪れる生理的現象である。その事実こそ先ず、第一に尊重されるべきだ。

それについて、現在では過去に比べ一般に誰でも長寿の傾向がみられ、過去に制定された基準などもそのままでは現状に合わなくなって来ているのは、当然の流れである。

今の皇室典範では、どうだこうだ、と理屈ばかり並べて、対応が遅れるのは、徒に善意で、律儀な一人の高齢者の思いや苦痛をないがしろにするものだ。臨機応変の処置を採ってでも、問題を成る可く早く解消させるべきだし、後を引き継ぐ者に対してもタイムリーに適切な活躍の場を与えたい、という親としての気持ちにも応えるべきでは無かろうか?

彼より5ヶ月ばかり早く生まれた私だが、同時代を生き抜いた同志、いや同期生の一人として、今後も惜しみないエールを送り続けたい!

筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になって、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、今は地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、西方浄土に日々臨む後期高齢者、現在100歳を超える母を介護中。https://twitter.com/buraijoh