1986年7月25日、ドラマ「男女7人夏物語」(TBS系)の第1回が放送された。それからきょうでちょうど30年が経つ。タイトルにあるとおり、このドラマでは、明石家さんまと大竹しのぶを中心に当時30歳前後の男女7人の恋愛模様が描かれた。ときはバブル前夜、同作は平均視聴率が20%を超えるヒットとなり(86年9月26日放送の最終回は31.7%を記録)、トレンディドラマの先駆けとも位置づけられる。その主な舞台となったのは、このころ開発が始まり、変貌をとげつつあった隅田川沿いの地域だ。


隅田川の橋が劇中で効果を発揮


このドラマの第2話、さんま演じるツアーコンダクターの今井良介は、大竹演じるフリーライターの神崎桃子と吾妻橋のアサヒビヤホールでの合コンで再会し、その帰りがけ、同じ駅(都営地下鉄浅草線の人形町駅)で降りる。駅からの方向も同じだったため、良介は桃子の食材の買い物に付き合わされ、別れたのは清洲橋のたもとでだった。

清洲橋は関東大震災の復興事業の一環として隅田川に架けられた橋のひとつで(竣工は1928年)、河口から2キロぐらい上流に位置する。良介と桃子は、清洲橋を挟んでそれぞれ西と東とちょうど向かい側に住んでいた。住所でいえば、良介の住むマンションは中央区日本橋中州、これに対して桃子のアパートは江東区清澄一丁目にあるという設定だ。

日本橋中州の近くには、首都高速の箱崎ジャンクションや成田空港への高速バスターミナルがある。円高も追い風となり海外旅行者が急増していたこの時代、東京から成田への鉄道アクセスはまだ不便で、バスが主力を担っていた(JRと京成が乗り入れる成田空港駅が開業するのは1991年)。良介がこの場所を住居に選んだのは、ツアーコンダクターという職業柄、利便性を考えてのことだったのだろう。彼が住む部屋は洋風で、ベッドルームとリビングのあいだはブラインドで区切られており、renomaのクッションなどブランド品やおしゃれな絵画ポスターもうかがえる。

これに対して桃子の住むのは、清澄公園にほど近い、倉庫の立ち並ぶ一帯にあるアパートだ。畳とふすまのあるその部屋は、良介のマンションほど高級ではない。速水健朗『東京β――更新され続ける都市の物語』(筑摩書房)は、良介と桃子の《こうした生活レベルの違いは、川で隔てられた中央区と江東区という住む場所のステイタスの違いを表したものでもある》と指摘する。

速水によれば、「男女7人〜」の舞台設定は、隅田川をニューヨークのイースト・リバーに見立てたものだろうという。ニューヨークを舞台にした映画では、川に架かる橋が効果的に使われたものが多く、たとえば「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977年)では、ブルックリン橋が階層を分けるアイテムとして登場していた。この映画のラストでは、ダンスで自信を得たブルックリンの貧しい若者が、ブルックリン橋を渡ることでマンハッタンのブロードウェイに向かうことが暗示される。これと同様に、「男女7人〜」の清洲橋も、フリーライターとしてステップアップを目指す桃子にとって、階級上昇のシンボルであったというわけだ。


変わる都市、台頭する新たな労働者


このドラマが放送される前年、1985年には、清洲橋からさらに上流の東日本橋・両国・浅草といったあたりまで隅田川河畔を遊歩道に変えるための大規模整備工事が始まった。これを境に、東京の河畔や湾岸の「ウォーターフロント」と呼ばれる地域は急速に変貌をとげる。それまでのコンビナートや倉庫街など港湾施設の風景は、商業施設や高層マンションへと姿を変えていった。

「男女7人〜」の背景には、こうした街並みの変化に加え、新たなタイプの都市労働者層の登場があった。都市の基幹産業が製造業から金融やサービス業、情報産業へとシフトするのにともない、それに従事する高度な専門性を有した若い世代の労働者が台頭する。「男女7人〜」の登場人物もまた、ツアコンの良介、ライターの桃子は言わずもがな、池上季実子演じる千明は為替ディーラー、奥田瑛二演じる君章は商社マン、片岡鶴太郎演じる貞九郎は結婚式場勤務、賀来千賀子演じる香里は照明デザイナーの見習い、小川みどり演じる美和子は西武球場のウグイス嬢と、いずれも新たな都市産業の従事者だった。

前出の速水はまた、「男女7人〜」を、同じく鎌田敏夫が脚本を手がけてヒットした1970年代のドラマ「俺たちの旅」と対比させていて興味深い。「俺たちの旅」の主人公のカースケ(中村雅俊)は学生運動の世代で、「自分を捨てて歯車になること=就職」といった職業観の持ち主だったが、これとは対照的に「男女7人〜」の良介は、自分の仕事に誇りを持ち、そこに生きがいを感じていた。

象徴的な場面がある。第4話で、清洲橋で千明と会った良介は、彼女から「うまいこと言って、さすがツアーコンダクター」と茶化され、ついムキになって「うまいこと言ってないすよ。うまいこと言って勤まる商売じゃないすからねえ」と言い返す。さらにこのあと、二人で周辺を歩きながら、彼は「ツアーコンダクターってねえ、人間好きにならないとつまらんのです。僕いま、人間が好きです。なかなか面白いですよ、人間って。いいもんですよ」と照れながらも語るのだった。自分の職業への強いプライドをうかがわせるセリフである。思えば、こうした意識は、芸人としてのさんまにも通じるものではないか。

バブル前夜、独身者の住居も変わった


私はつい最近、1981年放送のドラマ「想い出づくり。」(山田太一脚本)をネット配信で観ていたのだが、それと「男女7人夏物語」をくらべてつくづく感じたことがある。それは、ドラマのなかで描かれる独身者の東京での住居が、わずか数年で大きく様変わりしたということだ。

「想い出づくり。」の劇中で、古手川祐子演じる小田急ロマンスカーの乗務員は、木造で鍵も簡単に破られてしまうようなアパートに住んでいた。ふたたび『東京β』を参照すれば、この手の木賃アパートや下宿宿に代表される旧来の独身者向けの住宅は、いずれ住人が世帯を構えて出ていくことを前提とした“仮住まい”にすぎなかったという。それが5年後の「男女7人〜」には、仮住まいではない、より本格的な住宅である「独身者向けマンション」が登場する。

「想い出づくり。」が放送されたのはまだ、女性は就職しても結婚すれば退職するのが常識とされていた時代だ。彼女たちの住居が仮住まいであったのは当然といえる。ちなみに男女雇用機会均等法が施行されたのは、「男女7人〜」が放送された1986年のことだ。

「想い出づくり。」は、古手川のほか田中裕子演じるOL、森昌子演じる製菓会社の工員と3人の女性が、海外旅行に安価で行けるとの謳い文句に誘われ、旅行会社の説明会で出会うところから始まる。このとき入会金を払ったものの、直後に旅行会社が倒産、海外に行けないどころか、支払った金を持ち逃げされてしまう(それでも3人は意気投合し、友情を深めていくのだが)。

結婚するまでに一度でいいから海外旅行をしたいというのが、1981年の独身女性たちのささやかな夢であった。その夢は、数年後にはさほど手の届きにくいものではなくなる。1985年のプラザ合意をきっかけとする急速な円高は、国内の輸出産業に打撃を与え不況をもたらす一方で、海外旅行へのハードルを下げた。やがて金融緩和策によって市場にはふんだんにマネーが流れ出し、株や不動産への投機をうながす。のちにバブル景気と名づけられる大型景気は、「男女7人〜」の放送終了から2カ月後、1986年12月に始まった。

80年代が、人々の生活レベルでいかに大きな変化が起こった時代であったか、ここにあげたドラマの変遷は如実に伝えている。それは、いずれの作品ともにそれぞれの時代の空気を見事にとらえていたという何よりの証しだろう。
(近藤正高)