『子どもは描きながら世界をつくる エピソードで読む描画の始まり』(片岡杏子/ミネルヴァ書房)

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 我々が言う絵とは、自分の見聞きしたもの、またはイメージしたものを視覚的表現に置き換えたものだ。しかし、およそ1歳から2歳までの小さな子どもの描く絵は、言うまでもないかもしれないが大人の描く絵とは全く異なる。大人が「これを描こう」「こういうものを表現しよう」という意志の元で筆を走らせる事に対し、小さな子どもは、実は何それを描こうと明確に意図している訳では無い。それは単に絵を描く材料(鉛筆・クレヨンなど)で遊んでいるだけなのだ。言うなれば、子どもの手の動きを表す軌跡である。そのような“動きの軌跡”が段々と意味やストーリーを持った“絵”になっていく過程を、子どもの発達と重ね合わせて考えているのが『子どもは描きながら世界をつくる エピソードで読む描画の始まり』(片岡杏子/ミネルヴァ書房)だ。

 ここでは、1歳3ヵ月の女の子の例を挙げよう。この女の子は、最初は緊張しつつ手元で無秩序な線を描いているだけだ。しかも、どうやら自分の手元で線が引かれている事にさえ気付いていない様子である。これは、1歳頃の子どもはまだ上半身の柔軟性が低く、上体をひねって自分の手元を見るという行為が苦手な為だ。母親に教えられて、初めて自分の手元に線が引かれている事に気付いた女の子は、しゃがみながら下を向く体勢になると(それまでは 座り込んだ体勢だった)自分の手元を見ながら線を描き始めた。今までは 無作為に手を動かしていただけだったのが、ここでこの子は“線を描く”という意志に基づいた行動を取った事になる。これは明らかな変化だと言えよう。だが、この段階ではまだ「絵を描く」という明確な意識までは芽生えていない。子どもは、ただクレヨンが紙の上を走る感触と、さっきまで何も無かったところに突然線が現れる現象を楽しんでいるだけである。やがて、体がある程度成長し、自分でバランスを取れるようになってくると、紙の上の線をより自分に見やすい形で描く事ができるようになる。

 さて、同じ子が1歳5ヵ月になった頃には、更なる変化が起こっていた。この頃になると、子どもは(多少の個人差はあるだろうが)足腰がしっかりしてくるようになり、自立歩行ができるようになる。そして、絵を描きながら周囲を気にするようになっているのである。自分が絵を描いている後ろで自分の母親が別の誰かと話していたとすると、母親の手を引いて人の少ないところに移動し、そこでまた絵を描き始めるという行動がまま見られるのだそうだ。そして、面白い事に描いている最中にも時たま母親の方を振り返る事もあるという。これは「うまく描けてる?」という問いのようにも「ちゃんと見てる?」という確認のようにも取れる行動だ。つまり、もっと自分に注意を向けてほしいという意志の現れである。

 大人にとって、絵を描くという行為は何て事はない極めて日常的なものであろう。しかし、小さな子どもにとってはそうではない。子ども達は、何もない真っ白な紙にたった1人で向き合わなければならず、しかも描いている間、母親の姿を含む他の事はどうしても視界の外に出てしまう。その行為を一種の冒険であると捉えるのは些か誇張し過ぎだろうか。先に挙げた1歳の女の子の例にしても、絵を描いている最中で度々後ろを振り向くのは、そこに母親が居る事を確認し、安心を得ている為かもしれない。また、子どもは月齢と経験を重ねる事によって、絵を描くという事に対して徐々に明確な意志を発露させていく。その過程で、親を始めとする周りの大人はどうしたら良いのだろうか。まだクレヨンを持ったばかり、1歳になりたてくらいの子ならば、その子が無作為に描いた線を(抱っこするなどして)自分で見られる体勢にしてあげるのが良い。ここで紹介した女の子も、母親にそうしてもらう事で、やがて自分で体勢を変える事を覚えたのだ。また、ある程度月齢が上がってきたら、子どもと一緒に並んでお絵かきを楽しんでみるのも良いだろう。1人で真っ白な紙と向き合うよりも、隣に母親が居た方が子どもは楽しいに違いないのだ。子どもにとって絵を描くという行為は、冒険であり、またある種発達の為の練習でもある。どうせならば、それらを楽しんでやってもらった方が良いではないか。

文=柚兎