ダンテ“神曲”ゆかりのサンタ・トリニタ橋 Ponte Santa Trìnita

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画像はフィレンツェの街に流れるアルノ川に架かる橋の中でもっとも美しい橋とされるサンタ・トリニタ橋です。ダンテが9歳の時に出会い、一目ぼれをした美少女ベアトリーチェ。以来、会うことはなかったのですが、9年後、お互いに18歳になったその日、神様がダンテに「神曲」を書かせようとして企んだのでしょうか、二人は偶然にもこの橋のたもとで再会したのです。例え神様が仕組んだとはいえ、その時は二人にとっては偶然の再会でしたし、ダンテの片思いということもあって言葉を交わすことなく、すれ違っただけのほんの小さな再会だったのですが…。でも、この日を境にしてダンテはベアトリーチェへの思いを切々と書き綴り、今でも名作と言われ続ける「新生」と「神曲」を完成させたのです。

かの有名な「神曲」の著者ダンテ・アリギエーリの生年月日は1265年〜1321年9月14日とされていますが、正確な誕生日は明らかではなく、彼の作品「神曲」の中の天国篇から手掛かりを見つけ、1265年〜1321年とされました。

彼が生まれたとされる1265年頃は日本はまだ鎌倉時代。北条時宗が執権となった頃で、その3年前は日蓮が法華経を広めようと行脚の旅に出たばかりの頃です。その時代に生まれ、幼い頃から神童ぶりを見せ、20代末期あたりから詩文を書き始めたダンテ。驚きです。

サンタ・トリニタ橋の名前は近くに建つ古代を起源とするサンタ・トリニタ教会にちなんで命名されたもので、1252年、フレスコバルディ家の後援により木製の橋を架けたのが創建時とされています。でも、橋を架けて僅か7年後の1259年、アルノ川を襲った洪水で橋は跡かたもなく流されてしまうのです。その後しばらくして再建するものの、1333年再び洪水で破壊されて跡形もなく消えてしまいます。その後も頑丈な石造りの橋を架けるのですが、それでも幾度か洪水に遭い壊されるという、そんな悲劇が続くのです。

周辺はメディチ宮廷を形成する多くの貴族達が館を構えていた街の中枢です。ですから、渡れなくなった壊れた橋を眺めながら、誰もが橋を欲しましたし、あってしかるべき橋であることは承知していました。しばらくは架橋の機会がなかったのですが、1567年、コジモ1世の命で当時売れっ子の建築家バルトロメオ·アンマンナーティにより、架橋の工事が始まります。それも当時、売れっ子だったミケランジェロの思案でした。そして、僅か2年の工事で完成。1569年に何度目かの架設工事を終え、サンタ・トリニタ橋を完成させるのでした。バロック様式の新しいアーチ型のデザインの新橋のお披露目の日には、その気品ある姿と豪華さに、見物客の多くが感嘆の声をあげたと記録されています。

1608年にはコジモ2世とオーストリアのマグダラとの婚礼を機に、橋の四隅にそれぞれ四季を表す4体の像も設置され、街一番のおしゃれな橋として、人気を集めます。でも、橋の悲劇は止まりませんでした。というのも1944年8月8日、サンタ・トリニタ橋はドイツ軍によって破壊されてしまうのです。ドイツ軍はあまりにも華麗なこの橋に敗退の悔しさをぶっつけたのでしょうか、街から去る直前に連合軍の進撃を遅めようとし、地雷による破壊工作を仕掛けたのです。

でも、フィレンツェの街は諦めませんでした。たび重なる不遇な事故にもめげませんでした。なぜならダンテに後世まで話題の名作“神曲”を書かせた記念すべき橋ですから。ダンテはともかく、街は1948年、コジモ2世の意思を今に残すために、破壊前と同じ場所、同じ形に再建することを決定し、1955年、建築家リカルドGizdulichを監督に命じて再建工事を始めました。しかも再建にあたっては、大勢の市民たちの協力も得て、破壊された橋の断片を可能な限り拾い集め、それを使用して1958年に完成させました。