イケメン俳優からの転身も「役者と両方やるつもりだった」という彦摩呂さん

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あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』。

第26回のゲストで女優の中山忍さんからご紹介いただいたのはタレント・俳優の彦摩呂さん。

アイドルグループ・幕末塾でデビューし、イケメンの若手俳優として順調に活躍するも、一転、タレントとしてグルメリポーターなどで大人気に。その背景にあったものとはーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―中山忍さんとは『刑事貴族3』というドラマシリーズで共演されて以来のおつきあいだそうですね。

彦摩呂 あ、そうそう、ぶーちゃんねぇ! そうなんですよ〜。3から同期で入って。

―忍さんの“ぶ”でぶーちゃんですか(笑)。その現場からお互いシンパシーを感じて。今も関西の旅番組でご一緒されたりするほどとか。

彦摩呂 そうなんです。『旅ぷら』という番組で一緒に行かしてもらったり。もう兄妹みたいな。それで誕生日パーティーとか都合が合えば一緒にお祝いさせてもらって。

『刑事貴族』ではね、刑事部屋のシーンで全員が週一回、撮影所のスタジオに集まるんですけど。セットの後ろのほうで泣いてましたから、忍が。それでヤル気になったっていうか、今までアイドルできたものがパリーンって音が聞こえた瞬間が僕もわかりましたわ、それは。「あ、女優になっていくな」っていう。

―殻が割れた瞬間ですかね。怒られては泣いて、でもそれがあって女優でやっていこうという自覚が生まれたそうですが。

彦摩呂 まぁ厳しかったですよね。特に昔の俳優さんって、育ててくれるっていう意識があって、それがね。地井(武男)さんなんかがよく。松方(弘樹)さんもそうですし。

―でもそれで教わって育ててもらったと本人も仰ってました。で、彦摩呂さんへのメッセージをいただいてまして。「ウミガメの産卵が見たい」というリクエストが…。

彦摩呂 あ〜そう! この前も言うてました。瀬戸内海に毎年産みに帰ってくる砂浜があるんで。そこへ旅番組で行きたいっていうね。半年に1回くらいの番組ですけど、神戸牛食べたいっていうから神戸行ったり。わりと忍の言う通りにしてます(笑)。

―(笑)それは仕事というより、だいぶプライベート感満載な。本当にお兄ちゃんと妹が遊んでる感じで。年齢的にもちょうどね。実は私が彦摩呂さんと同学年なんですが…。

彦摩呂 そうですか〜。もう50なんですよね。

―丙午(ひのえうま)の1966年です。出身は仙台なんですけど、10歳から13歳まで3年間、大阪にいたんでどこかですれ違ってたかも(笑)。

彦摩呂 えー! 大阪のどの辺にいらっしゃったんですか。

―千里の万博公園とか毎日放送も近くで。駅はJRの千里が丘なんですが。

彦摩呂 あー、じゃあすごい環境がいい所ですよ。ニュータウンのマンションとかでき始めた頃ですよね。

―阪急のニュータウン側ではなかったんで、そんなよくもなかったですけど。特にあの時代は『金八先生』世代というか、荒れる中学校みたいなのがいっぱいありましたよね?

彦摩呂 校内暴力ピークの頃でね。そうでしたわ、みんな悪かったな〜。うちの学校の通学時も雨降ったら傘立てを玄関に入れろって、周りの住民が。うちらの生徒がパクるんですよ。あと、プール覗くからって塀が3メートル高くなったりね。

―あははは! それぐらいはね、かわいい話ですけど。今となれば、よき時代の昭和な。

彦摩呂 そうですそうです。あと、チェッカーズとか流行りませんでしたか? 学ランもちょっとずつボンタンから短ランになって。靴はコンバースが流行って!

―そうそう! 学ランの裏地の刺繍もね、龍虎から何からあって次々と。その新ラインナップのカタログを最初に手に入れて持って行くと、ちょっと自慢できるという(笑)。

彦摩呂 はいはいはい。風林火山とかね。はははは! で、鞄はぺっちゃんこでしょ。お湯につけて。

―そうそうそう(笑)。鍋で蒸したりするんですよね。いかに幅が薄くできるかで不良たちが競い合ってるみたいな。

彦摩呂 芯抜くんですよ。柔らかくして。ほんま同世代ですわ。

―髪の毛は剃りが深く入ってるのがカッコいいとか。あと、クリームソーダの髑髏(どくろ)の財布を後ろポケットに入れたり…なめ猫ブームとかもきましたね。

彦摩呂 はははははは!(手を叩いて)今考えたらダサいですけどね!

―笑けますよね。いや、すっかり昭和を語るになってますけど。

彦摩呂 面白いです。男がサンダルみたいなん履いてね、ウンコ座りして。今まだおったらイリオモテヤマネコ見つけたみたいな。絶滅危惧種ですわ。まだおんねや!みたいな(笑)

―不良がかってるのが怖いはずだったのに、今や愛らしいくらいな。中二で仙台に戻ったら、そっちのほうが余程荒れてたんですけど(笑)。実は今度、初めて同窓会の案内が届いて、卒業アルバム見直したら、剃り込み間違えて入れすぎた奴とか、その絶滅危惧種だらけで(笑)。

彦摩呂 ははははは! いいやないですか。そういう格好して写ってる写真もOKだったですもんね。でも、そいつらも今恥ずかしいやろな〜。

―こっちも恥ずかしいんですけど、今どうなってるんだろうって興味はありますよね。同窓会とかしますか?

彦摩呂 しますします。僕ら小、中って地元が仲いいので。年に1回飲み会してるから、変化がわからないんです。

―彦摩呂さん自身は隠しようもないでしょうしね。知られすぎて。

彦摩呂 隠しようもないし。中で一番出世したのが京都大学の医学部出た内科の先生がいるんですけど、そいつと俺が無理矢理、年収言わされて。ほんで、勝ったほうは会費が安なるっていうね(笑)。

―それ、逆に全員の会費をもたされるとかではなく?

彦摩呂 「よぅ頑張ったやん! おまえ4千円、おまえ5千円」って。ははははは!

―それはいい話ですね。でも、医者の先生はだいぶ高止まりで一定してるでしょうけど。彦摩呂さんは乱高下がシビアなのでは(笑)。

彦摩呂 ねえ! そいつなんか自分の病院以外に派遣でバイト行きよるんですよ! 1回行ったら3万、5万とか…ちょこちょこやってるから年収が上がっとるやないか!って(笑)。

―俺よりも全国営業しやがってと(笑)。でもじゃあ、地元でそんなに頻繁にやれるんなら驚きとか新鮮味はないですね。

彦摩呂 ないんですよ。うちらのグループの中でもほんまに女子からモテて、イケメンで地元の郵便局就職して。そいつがどうやってつるっぱげになっていくかを全部見ました。

―ははは、でも失礼ですが、相手も同じように彦摩呂さんの変わり様を見てますよ。

彦摩呂 そうやねん! 「あいつ、ちょっと足浮いてへんか?」「アドバルーンなりよるで」って。いつかパンクする言われてますから(笑)。

―だって、イケメンでモテてとか自分が言われてたことじゃないですか?(笑)

彦摩呂 だからね、時間って面白いですよね。あ、これ時間じゃなかった! 食べ過ぎだった!

―(笑)僕が一番最初に彦摩呂さんを認識したというか、見たのは映画の『ファンシイダンス』(89年)とか。あとドラマの『白鳥麗子でございます!』が印象的で(93年)。

彦摩呂 やらせてもらいました!

―正統派のイケメンで、所属してた幕末塾も一世風靡(セピア)の系譜のね、男っぽいパフォーマンスグループでしたし。

彦摩呂 そう! セピアの。硬派なね。別人でしょ? それが繋がらなかったでしょ。

―モデルみたいなカッコいいとこから出てきて。気付いたらこうなってた…って、ごめんなさい!

彦摩呂 はははは! 「繋がらんかった」ってよく言われました。ドラマ派はあんまり情報番組とか見ないでしょ。だからジャンル変わると、目につく頻度も違うんで、いきなり僕が「宝石箱や〜」言い始めたってね。ずーっとやってるんですけど。

―会社勤めし始めたら僕らもあんまりTV見れなくなって、その間が空白なんですよ。

彦摩呂 「あの時の彦摩呂がこんなんになった」っていう人もいますわ。それでも、空いても2〜3年ぐらいですけど。

あのね、元々、自分で言い始めたんですよ、事務所に。ドラマとか映画もね、20本ぐらいやらしてもらいました。漫画の『冬物語』(89年)が映画化されて、あと『押忍!!空手部』(90年)とか。いろんなものやらせてもらって。事務所は完全に俳優業にシフトしていくんだという風に思ってたんですけど。

僕は「情報番組のリポーターとかやってみたい!」って。自分で社長、副社長に言いに行ったんですよ。芸能リポーターとかではなくて、旅番組とか。

―そういう志向の根拠みたいなものは何かあったんですか?

彦摩呂 あのね、子供の頃からものすっごい人懐っこい子やったんです。友達の家に遊びに行って、その子は塾で留守やのに、そこのおばちゃんとお姉ちゃんと4時間遊んで帰ってくる。ものすっごい馴染む子やったんです。

―懐くというか。他人と親しめるコミュ力を活かせるのがリポーターじゃないかと? でも俳優としての仕事も入ってきてるし。まだまだ可能性のある時ですよね。

彦摩呂 あ、だから俳優業に関しては、限界を感じてとかではなく、両方やっていく自信があったんです。ちょっと寝かそかなと思っただけで。その…ワインをちょっと寝かしといたほうが…くらいの。

―ワイン! いい例えしましたね(笑)。

彦摩呂 もしかしたら、腐って茶色なるかもしれんけど(笑)。ちょっと置いといたら、ええおっちゃんになったらもっとやりたいこと、やりたい芝居とかできるんちゃうかなって。当時はどうしても主役の友達って役回りが多くて。2.5ぐらいなんです。

―まさにそうでしたよね! 人のいい二枚目半的な主人公の友達ってイメージで。

彦摩呂 ちょっとカワイらしい感じの。主役はカッコいいから、そういう役が多かったんでしょうね。でも僕はどっちかっていうと、藤山寛美さんみたいな喜劇俳優が大好きだったんです。「わてらなんにもわかりまへん、アホやけども結局、最後に大事なんは心とちゃいまっか〜」っていうような、ああいうおっちゃんになりたかったんですよ。

―それもズドンとど真ん中きました! 僕も大阪の3年間でどんだけ松竹新喜劇、藤山寛美にハマったか!

彦摩呂 ずっと見てましたからね〜! だから、もうこの仕事して、大原麗子さんも松方弘樹さんも全然緊張せーへんねん! それよりも花紀京さんとか! 会うたらもう、震えるぐらい緊張しますわ、ははははは!

―なるほど、それで役者としては自分の味が熟成するまで寝かして。個性を活かしてリポーターで芸の肥やしにするくらいな?

彦摩呂 そうそう。で、その時は事務所も山田邦子、片岡鶴太郎の二本柱がものすごい番組数抱えててて。どピークの頃なので。バーターでいろいろ入れてもらって、情報番組に潜り込んでいったんですよね。でもドラマを減らすつもりはなかったし、来たらやらせてもらうけど、だんだんハマって。

食レポの技術なんかも誰も教えてくれないんで、自分で全部研究したんです。編集のVTRを見ながら、例えば「暖簾(のれん)の長持ち」という技があって。自分だけぺろんとめくって店入ったら、後ろから付いてきてるカメラさんのレンズに暖簾が被るんですよ。せやから「こんにちは〜ご主人!」って入った後も長いこと持っとくんです。

「命の2秒」というのは、お箸上げた時に2秒止めるんですね。これも「いただきま〜す!」ってすぐパクって入れたらあかんと。カメラさんが料理に寄って、ズームするのに2秒かかるんですよ。そこで止めて待っとくことで、料理のアップのインサート編集を入れた後に戻ってこれる。それで顔もアピールできるんです。

―そういう細かいところでスタイルも確立していって…。

彦摩呂 「おいしそうですね〜」って料理に手を添えてやるだけでも、これがおいしく見えたりね。「グルメの天使の羽」と呼んでるんですけど(笑)。こういう細かい技を全部自分で編み出したんです。それが楽しくなってきてだんだん…。

ペットのロケとか豪邸訪問、芸能人のお宅拝見とか『TVチャンピオン』の競技レポーター…いろいろやったけど、その中でも一番気を遣って食を大事にしてたんです。その時はグルメレポーターっていう呼び方も世の中になかったけど、そのうち増えてきて。

―石塚(英彦)さんとかもすでにやってはいましたよね。

彦摩呂 やってました。みんなそれぞれやってたんです。村野武範さんとか役者でも僕らの先輩はいましたし。

―老舗の『食いしん坊!万才』は昔から俳優の方がスマートに親しみやすくね。そういう中でグルメリポーターというニーズがあり、職人技のように個性を発揮していって。でも彦摩呂さんもそれだけ研究するくらい、やはり向いてたんでしょうね。

彦摩呂 向いてたんですかね。なんとかおいしそうに見えるようにって、いっつも常に思ってたんですよね。でもね、グルメレポーターっていう風になって10年ぐらいやって。実は僕、マンネリに悩んだんです。「海の宝石箱」が出る時まで。

―「海の宝石箱や〜」のフレーズで有名になるまで10年もやられていたというのも意外でしたが…。

彦摩呂 その前もやってたんです。「ぷりっぷり」「ジューシー」「ふわふわ」「サクサク」…出尽くしてるでしょ? 自分のオリジナリティーってなんかないかなと思いつつ、そこから悩んでね…。

●この続きは次週、7月31日(日)12時に配信予定!

(撮影/塔下智士)



●彦摩呂

1966年9月15日生まれ、大阪府生まれ。モデル活動後、アイドルグループ・幕末塾としてデビュー。俳優として数々のTVドラマや映画に出演する中、リポーターに挑戦したいと自ら事務所社長に懇願。温泉番組、お宅訪問などをこなし、唯一無二のグルメリポーターとしての地位を築く。