『お母さん二人いてもいいかな!?』(中村キヨ〈中村珍〉/KKベストセラーズ)

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 人間って、何だろう。生きるって、何だろう。愛とは、何だろう。「愛」の中身に、「○」とか「×」とかがあるんだろうか?――そんなことを、強く考えさせられた。

『お母さん二人いてもいいかな!?』の著者は、レズビアンである。そして、人目を引く美貌と不安定な心を持つ妻がいる。著者と彼女――サツキさんが初めて出会った時、彼女は小さな乳児を家に残し、育児放棄をしかけて道端で酔いつぶれていた。そんなサツキさんを救うため、彼女の家で共に育児をし、「育児うつ」に苦しむ彼女を支える著者。そんな成り行きに近い形で、家族生活は始まった。

 本書は、そんな形で結ばれたレズビアン「婦妻」の日々の生活を描いたコミックエッセイだ。コミックだからといって甘く見てはいけない。そこには、人間として生きること、レズビアンとして子どもを育てること、ひとを愛すること、憎むこと――そんなずっしりとしたメッセージが真正面から描かれている。レズビアンという事実はむしろストーリーの一部であり、それを上回る形で、誰もが背負っている生きる苦しみと素晴らしさがぎっしりと詰めこまれている。

 著者は、子どもの頃に親から虐待を受けていた。サツキさんに出会う前に愛していた女性を、共に過ごし始めてすぐに病で失っていた。ここまでだけでも、既にかなり重い人生だ。そこから更に、サツキさんという複雑な心を持つ女性と子どもたち を支える生活が始まる。著者とサツキさんが付き合い始めた時 には、既にふたり目の子どもがサツキさんのお腹に宿っていた。その後サツキさんは再び妊娠・出産をするため、最終的には3人の子どもが彼女たちによって育てられることになる。子どもたちは、著者を「おばさん」と呼びながらも、子どもらしく健やかな関わりを築いてまっすぐに成長していく。

 レズビアンなのに「子ども」って?と思う方も多いだろう。レズビアンが子どもをもうける 場合は、精子の提供が必要だ。それが人工授精であっても普通の受精であっても、外部の男性の存在が必要だ。この物語の中には、子どもの父親である男性は詳しく描かれていない。しかし、著者とサツキさんがその子どもたちに注ぐ愛情の深さと細やかさは、ともすると一般の家庭以上に大きく、奥深い。その愛情が描かれると同時に、同性カップルが子どもをもうけ育てることの難しさや葛藤も、表裏一体のものとして生々しく描かれる。異性愛者同士の家庭には当然であって、同性愛者の家族には手の届かない「普通の幸せ」が、痛いほど鋭く目の前に突きつけられる。

 愛とは何か。これは本書の最初に提示されるこの物語の根底のテーマである。失った人への愛。パートナーや、身の回りの親しい人々への愛。子どもたちへの愛。そして、本来愛せない存在への愛――。この本の最後で、サツキさんは著者と生活を共にする前の、ひとり 目の子どもの衝撃的な生い立ちを著者に明かす。憎むべき相手がサツキさんにもたらした「苦しみ」と「幸せ」を受け止められずに苦しむサツキさん。その告白を聞きながら、彼女の心を汲み取り、彼女の幸せのために言葉を紡ぐ著者。このやりとりを読むと、人間の複雑すぎる心と体の仕組みを憎み、また幸せに思わずにはいられない。――そして、「愛とは何か」の答えを、著者もまだ探し続けている。

 本書は、ぱっと見は「レズビアンカップルの子育てエッセイ」という雰囲気を漂わせている。しかしその内容は、レズビアンという事実だけに焦点を当てていないし、レズビアンの子育てだけをクローズアップしているわけでもない。それら全てを含めた「人間が生きること、人間を 愛することとは何か」という、深く重い問いかけが詰まっている。決して解答がひとつにまとまることのないこの難しい問いについて、ひとりでも多くの人に考えてほしい。本書を読んで、そう強く思った。

文=あおい