“指示待ちオット”はどう育てる?

写真拡大

妻たちが不満を持つ「自分で考えない夫」、増殖中

 近ごろ、“指示待ちオット”というのが増えているのだという。

「お願いすれば家事・育児もやってくれる。でも、自分からは動いてくれない」。

「子育てに興味を持って協力してくれることはうれしいのだけど……ぜーんぶママが指示している!」。

 ワークライフバランスなる考え方の浸透で、家事・育児に参加する夫が増えたのはいいのだけれど、妻ばかりが指揮を執って、夫たちは指示待ちにとどまっているのだそうだ。しかし妻だって仕事に家事に子育てにと、いわゆる“マルチタスク”処理をリアルタイムで行っている身。「ダンナへの指示出しの余裕なんかない! 自分で考えて自分で動いてよ!」というのが本音だろう。

 例えば、仕事上で目も回るような忙しい時期、どうにか平日を乗り越えて無事にこぎつけた、土曜の午前。洗い物や掃除や、明らかに平日に手が回らず荒れてしまった家の中をどうにかしようと次々着手して回る妻の後ろで、ぼーっと『王様のブランチ』に見入る夫が、視線はテレビに固定したまま「何か手伝うことある〜?」と言ったなら、どうだろう。

「手伝うこと? あるよ、あるともよ! とりあえずさっきから退屈してグズグズ泣き出してる下の子を、公園にでも連れてってあげてくれない!?」

「えー、でも天気悪そうだよ〜」

「あのさ、いま私が発したメッセージの主旨っていうのはさ、子どもが退屈しているから相手してあげて、ってことであって公園に行くことだけが主目的じゃないわけよ。天気が悪くて公園が無理そうなら、他に何らかの方法で子どもの相手をするべく自分の頭で考えて行動してくれないものかしらねぇっ!?」

「な、なんでそんなに突然怒り出すんだよ……わかったよ、いま子ども連れて出かけるよ……」

と、土曜午前中の公園や駅前は、家でカリカリしているママから避難した子連れパパでいっぱいなのだそうな。

まるで上司と(イマイチ気の利かない)部下の関係

「非・自発的家事メン、イクメン」にイライラっとしてしまう妻たちの気持ちはよくわかる。言われてもやらない「非・家事メン、イクメン」よりはるかにマシじゃん、というぼやきも聞こえてきそうだけれど、言われたらやるけど、言われないとやらないのだから、いちいちこちらが“お願い”しなきゃいけないのは実のところかなりの手間、ストレスだ。いっそ自分一人でやったほうが、そりゃ疲れはするけれど早いし正確……と思ってしまうと、妻一人で抱え込むことになる。あぁ、どっちにしても辛い。

「そうじゃなくてさ! パッと周り見て、あっゴミ箱にゴミが溜まってるなと思ったら、ついでに家中のゴミ箱の中身を集めてまとめて捨てにいくとかさ。キッチンのシンクに洗い物が残っていたらササっと洗うとか、夕方になったらいつの間にか洗濯物を取り込んでたたんで分別して引き出しに入れていくとか、そういう、思わずこっちが『おお〜〜!』と感動するような、周りが見えてて気の利くイカしたオットには、どうやったらなってくれるのかなぁ」。

 ああ、まるで職場の上司がイマイチ出来のよくない部下に対して抱く思いと一緒ではないですか。「コイツも、どうしたらもっと周りが見えるかなぁ〜。どうも気が利かないんだよなぁ」。これはもしや、昨今流行のビジネスワード、“自分ごと化”の出番ではありませんこと? そう、仕事がヒトゴトではなくジブンゴトとなれば、それを視野の中にがっちりと捉え、細部までよく観察し、どこが足りていてどこが足りていないか、どう動かせばいいかがわかってくるという、あれですよ。

“指示待ちオット”たちの本音とは

 とある職場のリアル指示待ちオットたちによれば、

「指示を待つほうがいろいろとラクなんだよね、結果的に」

「ちょっと気を利かせたつもりで的をはずして妻を怒らせてしまうより、ずっといい」

というのが本音なのだそう。

 確かに、自分の判断で下手に動いて夫婦で揉めてしまうよりは、どっちがボスでどっちが実行部隊か、指示系統を決めてしまったほうがよほど心理的コストがかからない。すると、より対象(この場合は家事育児)を理解し方法論に精通している方がボスになり、俺は指示に従う実行部隊でいいんだ〜、となるわけです。おお、さすがどのオットたちも長い職業人生の中で組織文化に揉まれているから、そのへんの聞き分けがいいわけよ!

 となると、ここからはボス(妻)側が業務領域と指示の出し方を見直していけば、双方ハッピーなのではないだろうか。ある意味で自分はブレインに徹し、労働力はオットにアウトソースするという発想に転換すると、妻の側が頭と体の両方でクタクタにならずに済む。

“自分ごと化”でオットと子どもが意気揚々と成果物を持ち帰ってくるように

 先ほどの土曜の朝に話を戻してみよう。まず、妻は考えた先から手と体が動いてしまうという、その働き者な性分を一度捨てる。土曜午前中の数時間で押さえてしまいたい何点かを抽出し、その中で自分でしかできないことだけを除外し、残りは基本的にオットと子どもに委譲・業務委託するつもりで「オット君はこれとこれ、子ども君はこれ、私もやることがあるから、みんなでお昼前にやっておこうね〜」と言い放ってしまうのだ。

 いきなり任されたオットと子どもたちからはまず抵抗の声が上がるに違いないが、それはまだ対象を知らず、方法論も手探りだから。ボスはそこで、初めのほうだけ“業務オリエン”的に、手取り足取り少々丁寧すぎるくらいにやり方を教えて、「感覚はつかんだ? じゃ、あとヨロシク〜」と、そこからはもう口も手も出さずに“委譲”してしまうのだ。

 オットと子どもはそれぞれ事件記者で、妻は内勤のデスク、みたいな感覚でいると、やがてオットと子どもは自分たちが任された仕事で創造力を発揮し、楽しく仕事をして、意気揚々と成果物を手にボスの元へ帰ってくる。ボスは多少の文章の手直しなどし、評価をして、最後にありがとうの言葉を忘れずにいれば、結構みんな楽しく“俺の/私の新聞”作りに邁進できるものだ。

「指示を待つほうが結果的にいろいろとラクなんだよね」「下手に動いて、妻を怒らせたくない」と思っている部下を動かすには、「上司の指示も評価も関係ない、俺がこれをやりたいんだ」と奮起させるようなワクワクするトピック、仕事を与えてみるといい。例えばこの季節、男のロマン(らしい)のキャンプとかね! そして、予算さえオーバーしなければ、上司はその内容には口を出さない。人を育てるという意味では、職場も家庭も、大筋は同じなのだ。

文=citrus河崎 環