"Greed is good"(強欲は善だ)という言葉がある。

「ウォール街」という有名映画の中で使われ、金融業界を中心に資本主義を象徴し、多くの人々に色々な意味で刺激を与えたセリフである。

しかし、実際に映画の主役であるゴードン・ゲッコーは、欲(=金)を追求し続けた代償として、インサイダー取引の容疑者として逮捕されるという結末に終わる。

にも関わらず、この映画は何故多くの共感を呼んだのか?

グリードの魅力、そして、そのグリードの先に見えるものとは、実際にどのような世界なのだろうか?

前回:遊び人外銀マンがイクメンに変身。綺麗事ではない、そのセオリーとは?




“Noblesse Oblige”(ノブレス・オブリージュ)
特権には、それに見合う義務が伴う



「小さな頃から、お姫様になりたいと思っていました。夢だったんです。ディズニー映画のプリンセスなんかが大好きで、いつも食い入るように映画を観てました。」

そう恥ずかしそうに微笑む希子は、シンプルな白のリネンシャツにグレーのコットンパンツ、そしてフラットシューズというシンプルな服装をしている。化粧気はあまりなく髪も無造作に一つにまとめているが、真っ白な肌には艶があり、色素の薄い瞳は涼し気に輝き品がある。かなりの美人だ。

「その憧れの延長からか、私はお金持ちと結婚して専業主婦になることばかり考えていたんです。大学も就職も、すべては結婚を見据えての選択ばかりしてきたんですよ。」

玉の輿という、お姫様願望。それは彼女の長年の目標だった。

「でもそれは、まさにおとぎ話に出てくるような“パンドラの箱”みたいなものでしたね。」

希子はゆっくりと語り始めた。


玉の輿を狙う女の、打算まみれの人生とは?


「結婚」を見据えての、効率の良い人生の選択


大学は、お嬢様のイメージの強い女子大に指定校推薦で入学した。元々地頭の良かった希子は、家族や教師にもっと偏差値の高い大学を目指すことを勧められたが、彼女が学生生活の先に見ていたものはやはり「結婚」だった。そのために高学歴は必須ではない。

受験勉強に労力を割くくらいなら、ファッションセンスや美容知識を蓄えるために雑誌を読んだり、当時の大学生の恋人とデートを楽しむ方がよっぽど為になると考えていた。希子が培いたかったものは偏差値でなく、女子力だったのだ。

大学生になると、希子はブランド力のあるインカレのゴルフサークルに所属し、読者モデルも始めた。

希子はもともと男ウケする清楚で整った可愛らしい顔立ちをしていたし、髪形やファッション、そして肌の手入れには人一倍気を使っていた。そういった美容への努力は惜しまなかったことから、彼女はとても充実した大学生活を送っていた。

「当時、私みたいな子は女子アナを目指せばいいんじゃないか、なんてよく言われました。でも、そこまで努力する気も、表に出る気もなかったんです。何ていうか、“一流の素人感”が自分の売りみたいなものだと思ってました。」

露出を増やせば、それは「プロ」になってしまう。自分には「プロ」として一流に属せるほどのポテンシャルはないし、人目を気にして自由に身動きすることもできなくなるかもしれない。だったら、一番楽で甘い蜜を吸えるのは、「素人の中の一軍」というポジションなのではないか。


CA就職も、目的ではなく手段。計算通りの玉の輿生活


就職活動では、希子は楽勝でCAに内定した。他にも商社や大手金融機関の一般職や弁護士秘書などの内定ももらっていたが、20代半ばで結婚をするならばCAが一番手っ取り早い。希子はそう計算した。

CAの訓練や女社会の上下関係には心底ウンザリしていたが、彼女の目的はあくまで「結婚」だ。その目標さえブレなければ、仕事は特にツラいとは思わなかった。

CAの中でも一軍だった希子は、機内雑誌の紙面を飾ることも多々あった。そして男たちは目ざとくそれを見つけ、希子に名刺を渡したり食事に誘う。彼女の計算に狂いはない。

希子が結婚相手に選んだのは、8つ年上の経営者だった。親は関西の不動産王で、本人も東京に不動産を所有し、趣味のような飲食店もいくつか経営していた。

結婚はすんなりと進んだ。夫の両親の嫁を見る目が甘いわけでは決してなかったが、希子はその辺りの対応もきちんと心得ている。有名女子大からCAという肩書も、こういう時のために取得したのだ。

夫は気楽な次男であるうえに、お人好しな性格だった。希子が当たり前のように専業主婦になり財産管理まで申し出ても、文句一つを言わない。新居は憧れの港区の高級レジデンスを選び、希子専用の高級車も購入した。そのうち子供が産まれれば、自宅にほど近い檜坂公園でベビーカーを押して歩くだろう。

希子は上質なものに囲まれ、日々ゆったりと優雅に過ごした。夫は彼女を可愛がってくれるし、夫婦関係も円満だ。それは長いこと夢に描いていた、自分なり理想の生活そのものだった。


計算通りの玉の輿生活。しかし感じ始めた違和感とは...?


夫の金を使い続けるだけの日々。感じた違和感とは?


しかし、そんな満たされた新婚生活が1年半程経過すると、希子の心の中に何とも言えない焦燥感が生まれるようになった。まず何よりも、彼女は暇だった。早朝に夫を送り出し、それから夜までは安定的に金を使うだけの単調な日々を送るのだ。

デパートに行って新作のブランド物を買い、新発売の化粧品や話題のスイーツを買い、エステに通い、友人とランチをする。そんなサイクルを楽しめたのは、最初だけだった。

「これがハッピーエンドの結末なのか。そんな疑問がいつも頭の中に浮かぶようになりました。専業主婦はもちろん気楽でしたけど、社会との繋がりがどんどん薄くなっていく危機感も感じました。子作りも考えました。でも当時まだ26歳で、それも何だか違和感があって。」

そんな違和感が明確なものとなったのは、学生時代のサークルの同窓会であった。

「26、27歳というと、普通は仕事を覚えて社会人生活が楽しくなる年代ですよね。みんな会社や仕事の話で盛り上がっていて、それがとにかく羨ましかったんです。夫のお陰で裕福にはなったけど、私自身には何もない。自分は空っぽだと、そのとき痛感したんです。」

希子はそれまで結婚のことしか考えておらず、スキルは何もなかった。いくら優雅な暮らしを手に入れても、自分自身はその暮らしに見合っていない。

中身は、がらんどうだ。


裕福な生活を送るならば、それなりの大義名分が必要


―自分が空っぽであることを、周囲の人たちはきっと気づいている

希子はそんな考えに支配されるようになり、安易に玉の輿を狙い続けた自分に強いコンプレックスを感じるようになった。

「生活が自分の身の丈に合っていないということを、急に実感したんです。裕福な生活を手に入れても、自分自身が無能なんて、悲しくて恥ずかしいことでした。私は恵まれた生活に見合う何かをしなければいけない。そんな焦りで一杯になりました。」

そして、希子はそれから数年かけて猛勉強を重ね、理学療法士の国家資格を取得した。

今では様々な障害者施設や老人ホームなどを訪問し、ほぼボランティアのような形で仕事に励んでいる。主にリハビリ治療を手伝っているが、患者さんの状態が良くなり笑顔を見ると心底幸せな気持ちになるそうだ。

「勉強も仕事も、最初はかなり大変でした。自分の中では人生初の努力だったかも知れません。でもあのまま何もしないで子供を産んでいたら、きっと一生後悔して、コンプレックスの塊みたいになっていたと思うんです。」

幸い夫は手のかからない男で、希子が福祉の資格を取りたいと申し出たときも、すんなりと快諾し応援してくれたという。夫婦関係は以前にも増して良好だそうだ。

「私が夫のような人と結婚できたのは、きっとただの幸運でした。その分社会の役に立つことで、結局自分の心が安定して、大義名分のようなものが得られると思うんです。自己満足だと思われるかも知れませんが、何もしないよりはマシなのかな、と思っています...。」

希子はまた恥ずかしそうに言ったが、そこには強い意志が感じられた。

彼女の選択はもちろん自己満足などではなく、勇気ある正しい決断であったはずだ。

【これまでのグリードの向こう側】
vol.1:会社の評判、知名度なんて実はどうでも良かった。敏腕経営者の英断
vol.2:遊び人外銀マンがイクメンに変身。綺麗事ではない、そのセオリーとは?