「そして、誰もいなくなった」
(日曜よる10時30分/日本テレビ/脚本:秦建日子 演出:佐藤東弥 出演:藤原竜也 玉山鉄二 二階堂ふみ 伊野尾慧(Hey! Say! JUMP)ほか)


マイナンバー、どうしていますか。
日本の国民、ひとりひとりに与えられる個別の12桁の番号。税や年金、雇用保険などの行政手続きに使われる。2016年1月以降、使えるようになったのが、マイナンバー(個人番号)。
各種手続きが便利になるような気もするし、番号でがっちがちに管理されてしまう不安も少々・・・。ディストピア小説や映画でおなじみのシチュエーションが現実になってきた昨今、「そして、誰もいなくなった」はSFドラマと捉えるだけでは済まされない。
大手コンピュータシステム会社「株式会社L.E.D」のシステム開発研究員・藤堂新一(主人公/藤原竜也)は、ある日、突然、自分の名まえも、国に登録されていた自己を規定する〈パーソナルナンバー〉もなくしてしまう。彼に「なりすまし」た人間によって、奪われてしまったのだ。

それまでの新一の人生はかなりいい感じだった。子供も授かり、結婚を決意し、母親を高級レストランに招待し、恋人(二階堂ふみ)を紹介する。会社で進めているプロジェクトも順調で、充実感に満ちていた。ところがその生活が一転、仕事も結婚も可能性を奪われ、自分の存在すら証明できなくなってしまう。
ドラマの冒頭で、何者かに追いつめられた新一は「法律的には存在しない」からと死ぬことを迫られる。
番号で管理されて、その番号がなんらかのトラブルで無効化したら、そのままその人間の存在が無効化されてしまうことは実際にありそうだ。

「パーソナルナンバー」「なりすまし」といちいち現代的な設定は、ほかにもあって、新一が開発しているシステム「Miss.Erase」(声・望月玲衣)。イライザみたいな名まえのこれは、ネット上に拡散されてしまった個人データを消去できる画期的なもの。一度、ネットの海に出てしまった過去の恥ずかしい写真などは二度と回収できないとされていたが、このシステムのよってきれいに処理できる。皮肉にも、新一は、自分の発明によって自分が自分である証拠まで消してしまうことになるのだ。
システム管理に関しては迂闊過ぎるだろう、という箇所も多々あったが(藤原竜也さん、情報漏洩対策とIT 運営管理ソフトCMやってるのに!)、いろいろ将来的にありそうな話で、新一に同情し、共感し、初回30分拡大の80分強の長時間ではあったが、ドラマに見入ってしまった。

新一に「なりすました」人物が、婦女暴行で捕まったチンピラだった、というがお気の毒。よりによって新一とはまったく違うパーソナリティーとは。しかも、なぜか新一の故郷・新潟で事件を起こしていた。自己の存在を確かめるべく新潟へ出向くも、カードもまったく使えなくなり、高速バス、所持金500円の貧乏旅に。そこには、大学時代の友人はるか(ミムラ)と斉藤(今野浩喜)がいて助けてくれる。東京にも、小山内保(玉山鉄二)という総務省のキャリア官僚の友人がいる。斉藤は、フリーの法科学研究所職員で、新一、なんだかんだで、総務省と警察に出入りしてる法科学研究員に助けてもらえるところが、ドラマの都合の良さ。

とはいえ、この小山内、ドラマのおわりでいきなり怪しさをだだ漏れにし、彼を筆頭に、誰も彼もが皆怪しく、新一を何らかの理由で陥れようとしているのでは? と思わせる。大学時代、新一に片思いしていて未練が断ち切れてなさそうなはるかのいちいち意味深な表情なども気になるし、新一のお気に入りのバー・KING のバーテンダー・日下(伊野尾慧)は美しいアップが映る時間が長いし、常連客・馬場(小市慢太郎)はいきなり「親なら裏切らないなんてことはない」「ひとはひとりで生まれひとりで死んで行く」と含蓄ある言葉を吐く。

この手のドラマは、全員あやしくすることにこそ意義があるわけで、新一のお母さん・黒木瞳は車いすで、でんと存在感を増しているし、新一の恋人は二階堂ふみという時点でただ者じゃない感がある。お母さんとはるかが新一の知らないところで連絡をとりあっているところも狙っている感じ。

あやしさという点で今回、最高なのは、ヒロミである。
新一の上司で、コネ入社でIT に関してはまったくわかってない仕事のできない人ではあるが、人柄は信頼できると新一は思っている田嶋を演じるヒロミは、10年ぶりのドラマ出演。名優ぞろいのこのドラマのなかで、ドラマに慣れないこのひとの妙な違和感が、フェイクであろうとなかろうと、いいアクセントになっている。

で、この人たちが、今後、ドラマのタイトルどおり、どんどんいなくなるらしいことが匂わされる。タイトルが似ているアガサ・クリスティーの名作「そして誰もいなくなった」パターンも加えて、守りは固い。
新一を死へと追いつめようとする謎の存在は、「わたしの願いは孤独だ」「不満は人と人とが連帯するから」とかなんとか観念的なことを言って「ひとり(孤独)になろう」ともちかける。

こうして追いつめられていく藤原竜也は、もはやネタとなっていて、2014年、ワーナー・ブラザースの公式ツィッターでは「藤原竜也さんの壮絶な人生」として「同級生と殺し合い→ノートで大量殺人→借金まみれ鉄骨渡り→7日間のデスゲーム→新興宗教の教祖→10億の懸賞金で命を狙われる→眼力で人を殺す→コミュ障な科学特捜班→包帯発火男→秘境の地を探検→」とこんなふうにまとめ、話題になった。主に映画の中の人生だが、そもそも彼の俳優人生のはじめ(舞台)が「継母(白石加代子!)に追いつめられて失明しながら、彼女と共に旅立っていく」という壮絶人生であったことも忘れてはならない。
さらに今年ヒットした映画「僕だけがいない街」では「再上映(リバイバル)能力(何度もタイムスリップする)」という壮絶な人生を体験し続ける藤原が、「そして、誰もいなくなった」でまたまた壮絶な人生を更新し、もはや宿命としか言いようがない。

なぜ、彼はこんなにもこの手の作品に出演しているかというと、追いつめられた時の心臓の心拍数の上がり方がリアル過ぎて、観ているほうの心拍数も上げてくれるのだ。いわゆる「迫真」とは藤原竜也のためにある言葉だと思う。藤原竜也は希有なエンターテイナーである。
初回30分拡大して80分近くの壮大な予告編を見せるような豪腕なストーリー運びで、取り急ぎ、2話は見届けなくてはという気にさせられた。
(木俣冬)