日本人監督のレベルが上がらない理由。考えられるのは、その引退後のあり方だ。将来、指導者になりたいのなら、一からキチンと勉強すべきなのだが、その必要性を感じている元選手は少ない。その大抵が芸能事務所に所属し、芸能的な仕事をこなそうとする。それがスタンダードになっている。小倉もその1人だった。軽妙なトークを武器に、テレビ等々への出演を果たすことが、仕事そのものになっていた。直接仕事にならない現場、契約しているテレビ局が中継しない試合会場には、日本代表戦であっても、ほとんど顔を出さなかった。

 これでは消費されるばかりだ。引き出しの中身が、遠くなりつつある自身の現役時代の経験のみでは、その希薄さに気付かれてしまう。

 解説者、評論家。肩書きは立派だ。しかし、ジャーナリストのような取材活動はできていない。即現金化されない地道な活動には積極的ではない。

 こちらには、彼らから、「文章を書いても儲からないし……」と言われてしまった経験もある。書いたり、メモしたりせず、手ぶらで観戦して、どれほど記憶に留めておくことができるだろうか。喋るだけでは、忘れるのも早い。オリジナルな言葉でサッカーを語れない。ライターには確実にそう見える。

 ユーロ2016。日本のテレビは、現地生中継は最後の数試合だった。ラスト1週間を迎えた頃、解説者もその他スタッフと一緒に日本からやってきた。実際に喋る試合に合わせてやってきたわけだが、そこに無駄は一切なかった。地道さもなかった。大会を通して取材できるメディアパスを保有しているのなら、なぜ単身でもっと早く来ないのか。僕なんかはそう思ってしまう。それではタレントと何ら変わらない。まさに芸能界のノリだ。

 そうした気配が外国の解説者、評論家にはない。彼らはまさに監督予備軍に他ならない。日本人の解説者、評論家とは雰囲気が違う。芸能人色は皆無。この差は大きいと僕は見る。日本のサッカーのレベルを押し下げている最大の要素のようにさえ見える。

 選手と監督はまったく別種の職業だ。異なる努力をしなければ、日本のサッカー偏差値アップに貢献するような、よい監督にはなれない。いまのこの状況が崩れないと、日本のサッカー界はよくならないと僕は思う。