抗うつ薬が効く患者と効かない患者には、どこに違いがあるのか?(※イメージ)

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「うつ病は薬を飲んで、休養すれば治る」。そんな医師のアドバイスを信じ、薬を飲み続けるものの、なかなか体調が戻らないという患者は少なくない。一体、いまのうつ病治療には何が足りないのだろうか。

「歩道橋の上にいるとき、大型車が通ると、ちょっと揺れますよね。あんな感じの揺れがじっとしていても続いていたんです。『薬が合わないのではないか』と思ったのは、そのときからです」

 自身のうつ病体験をこう振り返るのは、都内の出版会社に勤める内藤良紀さん(仮名・41歳)だ。

 内藤さんがうつ病を患ったのは18年前の春。早朝から深夜までの仕事に、雑用ばかりを押しつける年下の先輩。疲れていても仕事が終われば仕事仲間と飲み会へ……。肉体的にも、精神的にもきつかった。

 やがて、朝起きられなくなり、頭痛や首の痛み、倦怠感にも襲われ始める。遅刻が続く内藤さんを心配した上司の勧めで産業医のもとへ。うつ病と診断され、処方されたのが、抗うつ薬のパキシルだった。パキシルはSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)というタイプの代表的な抗うつ薬で、脳内の神経物質セロトニンを補う薬だ。

 2カ月の休養の間、医師の指示どおり薬を服用しながら自宅で過ごしていた内藤さん。周りに申し訳ないという罪悪感や、うつにかかったという絶望的な気持ちに加え、冒頭のようなめまい、胃の不調、尿が出にくいなどの体の症状にも悩まされるようになった。

「薬を飲み続けるほど、体調は悪くなっていきましたが、医師に相談しても、『効き目がちゃんと感じられるまでかかる。しばらく様子を見ましょう』と言われるだけでした」(内藤さん)

 発症から8年。職場復帰と再発を何度となく繰り返す間、処方された抗うつ薬は、パキシルのほか、同じSSRIのルボックス、神経物質のノルアドレナリンとセロトニンが不足しないようにするSNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)のトレドミン、古くから使われるトリプタノールの4種類。副作用を抑える胃薬や睡眠導入薬などもあり、毎回数種類の薬を飲んでいた。

 実は、内藤さんはこのころの記憶があいまいだ。家族によると、薬の副作用に苦しむ一方で、飲まないと悪化してしまうかもしれないという恐怖に、「薬の植民地になるのは、もうこりごりだ」と言っては涙を流していたそうだ。自宅マンションのベランダから飛び降りようとしたことも1度や2度ではなかった。

「劣等感、負い目、体の自由がきかないつらさ。家族が作ってくれた料理も味がしないし、お笑い好きなのにテレビを見ても笑えない。ついに廃人になってしまったと、絶望的な気持ちになっていました」(同)

 もう、薬をやめるしかない。内藤さんと家族は話し合った。患者を気遣うこともなく、淡々と処方を続ける医師への不信感もあり、だまって断薬を決めた。

「勝手に薬をやめるのはいけないこと。それは知っていました。でも、こんなに苦しいのは薬のせいだと確信していましたし、『どうにでもなれ』とやけになっていた部分もありました」

 内藤さんの場合、それが結果的にいい方向に出た。薬をやめて数日後には、体に変化が現れ始めた。だるさやしんどさが軽くなったのだ。体調の回復に伴い、気持ちも前向きになっていった。現在は職場を変え、自分の体調に気を配りながら仕事をこなす。

「不発弾を抱えているような不安もありますが、病気を経験したことで『これ以上がんばるとヤバい』という、危機管理能力はつきましたね。抗うつ薬ですか? もうこりごりです」

 主治医にだまって薬をやめるのは離脱症状などの危険があるため、絶対に勧められない。だが、ここまで追いつめられる人もいる。

 厚生労働省の患者調査(2014年)によると、「気分[感情]障害(躁うつ病を含む)」の患者数は、過去最高の111万6千人。昨年12月からは職場の「ストレスチェック制度」も始まり、うつ病などへの注目が集まっている。

 過酷な体験を語ってくれた内藤さんをはじめ、うつ病患者にとって、薬とどう向き合うかは大きな課題だ。多剤投与が問題視されて久しいが、処方そのものの是非についても、改めて考える時期に来ている。

「抗うつ薬の投与においては、ガイドラインうんぬんより医師の裁量が大きく、どんな医師に取材をするかでまったく答えが違います」

 と前置きしつつ、答えてくれたのは、北里大学東病院院長で、精神科医の宮岡等医師だ。

「抗うつ薬は“効く人に投与すれば効く”んですよ。効果がないのに“様子を見ましょう”と漫然と処方を続けたり、薬をいくつも変えたりするのは意味がありません。なぜなら、二つまでは抗うつ薬を変えてみるにしても、三つ目以降で初めて効くケースはまれといってもいいからです」

 宮岡医師のもとには、「薬を変えても、一向に良くならない」と訪ねる患者が後を絶たない。「『診てもらっていた精神科医の判断がよくなかったのでは』と言いたくなる患者さんが少なくない」と顔をしかめる。

 抗うつ薬が効く患者と効かない患者には、どこに違いがあるのか。

「そんなに難しくありません。WHO(世界保健機関)のICDやアメリカ精神医学会のDSM-Vなどの診断基準を満たし、かつ重症の患者さんには効きます。一方、軽症の患者さん、または不安障害などのほかの病気と合併している患者さんには効きにくいんです」(宮岡医師)

 これには科学的な裏付けもある。例えば10年に米国医師会雑誌(JAMA)に載った論文だ。この論文は過去の複数の論文をまとめたもので、うつ病の重症度を測る検査で「軽症」とされたうつ病では、プラセボ(偽薬)と実薬との効果にほとんど差がないと報告されている。日本うつ病学会の治療ガイドラインでも、「初診時には薬物療法を開始せず、傾聴、共感などの受容的精神療法と心理教育を開始」とある。

「軽症の患者さんには、まずその方の生活環境、職場環境、人間関係などを聞いて、問題があれば、一緒に対策、解決法を考えていく。そういう面接を続けていけば、薬を使わなくても症状は改善することが多いものです」(同)

 国内のうつ病患者は20年近くの間に約2.6倍に増えているが、「軽症」の増加の影響が大きいと推測されている。つまり、薬の効きにくい患者が増えているわけだ。これらの論文やガイドラインは軽症患者にとって、薬が合わずにつらい思いをしないで済むことにつながるはずだ。

週刊朝日 2016年7月22日号より抜粋