小さな誤解が人間関係に影響してしまうことも多々あるが、国が違えばなおさらだろう。西安交通大学の楊潔さんは、日本人の女の子に誤解を抱いてしまった経験から、日本人と中国人のより深い交流の必要性を訴えている。資料写真。

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小さな誤解が人間関係に影響してしまうことも多々あるが、国が違えばなおさらだろう。西安交通大学の楊潔さんは、日本人の女の子に誤解を抱いてしまった経験から、日本人と中国人のより深い交流の必要性を訴えている。

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小学校5年生のとき、私は同じ年の日本人の女の子と交流した経験がある。1週間私は彼女と一緒にご飯を食べたり、買い物をしたり、お互いの国の伝統文化を紹介したりした。私たちはそのような実り多い日々を仲良く過ごした。そして、最後の歓送会でプレゼント交換があった。

私はわざわざ1セットのきれいな磁器を買って彼女に贈った。「これは中国の伝統的な磁器ですよ、どうぞ」と言って私が差し出すと、友達は「えっ?そんなにきれいで、貴重な物をもらって、本当にいいんですか」と言った。私は、「どうぞ、遠慮せずに。友達ですから」と言って渡した。

しかし、その直後驚いたことが起きた。磁器の代わりに、彼女が私にくれたのは、ただの団扇だった。そのざらざらした紙で作られた色あせた団扇を見て、私はがっかりした。「私は彼女と仲良くしたいのに、なぜ彼女は全然誠意がないのだろうか。この団扇はきっと彼女の冷たい感情を表すものだ。もう二度とそんな誠意がない、けちな日本人と付き合いたくない」と私は腹を立てた。

その時からもう9年経った。私は大学で日本語を勉強し、日本人との交流もどんどん増えている。その中で、「よろしければ、何々をする」というような言葉が日本人の決まり文句のように使われていることに気が付いた。私が日本人の友達から電話をもらうとき、相手は必ず「今よろしいですか」とことわってから会話を始める。「よろしければ」というのは、相手の立場を考えた発言だ。日本人はいつも相手の視点から物事を考えているからこそ、出て来る発言なのだろう。

今思えば、私に団扇をくれた女の子は、私の立場を考え、私に心の負担をかけないように小さいプレゼントをくれたのかもしれない。中国人は自分を中心にして物事を考えることが多い。だから私は、相手の気持ちを無視して、自分の親切と誠意を表すために貴重なプレゼントを送った。彼女の気持ちに対する理解もなく、感情が冷たく、けちな日本人だと誤解したことを、今では本当に申し訳なく思っている。

そのとき、もし日本人との交流が十分であれば、誤解することもなく、もっと親しくなれただろう。お互いのものの見方や考え方に対する理解がなくては、双方の関係はうまくいくはずがない。お互いに付き合うと、衝突や誤解が起きることもあるだろう。しかし、それらの衝突と誤解が、かえってお互いの距離を縮めるためのいいチャンスを作るだろう。若い世代は国の未来を背負っている。日中両国の若者が手を繋いで交流を深めることで、日中両国民の距離がさらに縮まると、私は信じている。(編集/北田)

※本文は、第八回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「中国人がいつも大声で喋るのはなんでなのか?」(段躍中編、日本僑報社、2012年)より、楊潔さん(西安交通大学)の作品「日中両国民が親近感を高めるための、私ならではの提言」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。