青年像/前4〜前3世紀。アテネ、水中考古学監督局/キュクラデス諸島のキュトノス島沖、水深500メートルで発見された「英雄的裸体像」
(c)The Hellenic Ministry of Culture and Sports− Archaeological Receipts Fund

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 4年に一度のスポーツの祭典・オリンピック。1896年にギリシャのアテネで始まり、まもなく第31回のリオデジャネイロ大会を迎えようとしている。その起源は、紀元前に古代ギリシャで行われていたオリンピア競技祭にあることはよく知られている。東京国立博物館で開催中の特別展「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」に展示されている美術品には、オリンピックの起源が隠されていた? 東北大学大学院准教授の芳賀京子先生に、オリンピックトリビア10を教えてもらった。

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【トリビア1】オリンピックはいつ、誰が始めた?

 オリンピックの創始者として知られる最も有名な人物は、英雄ペロプス。オリンピア地方のピサの王オイノマオスと戦車競走を行い、勝者となったペロプスが、主神ゼウスに感謝するために競技会を開いた――と、ギリシャ神話では語られている。「古代ギリシャでは、神話と現実の歴史とは地続きのものであり、あまり区別されていませんでした。だから、オリンピックが行われていたオリンピアの神域には「ペロピオン」と呼ばれる、ペロプスのお墓があるのです。選手たちは短距離走で、そのお墓のある方向へと走っていました。ギリシャの人々にとって、ペロプス信仰は、とても重要なものだったんですよ」
 現実には、この神話に基づき、エリス王イフィトスが「長らく人々に忘れられていた」オリンピア競技祭を、前8世紀に「再興」したと言われている。
競技祭はローマ時代も続けられていたが、キリスト教が国教化されて異教の祭祀が禁じられた393年、第293回1169年間に歴史に終わりを告げた。

【トリビア2】当初の種目は短距離走のみ

 前776年に開催されたと考えられている最初の競技祭における種目は、スタディオン走(約190メートルの短距離走)のみ。第13回まではこれが唯一の競技種目で、開催日も1日だけだった。

【トリビア3】音楽や使者の大声も競技種目だった?

 5種競技(円盤投げ、槍投げ、幅跳び、スタディオン走、レスリングまたはボクシング)、パンクラティオン(総合格闘技)、競馬、戦車競走、はては使者の大声競争やラッパ手競争――前724年の第14回からディアウロス走(中距離走)が導入されて以降、全盛期の前4世紀頃には競技は18種目にのぼり、5日間をかけて行われるようになった。「採用される種目が、そのときどきによって変わるのも現代と同じでした。ローマの暴君として知られるネロなんて、自分の得意とする音楽部門も種目に加えてしまったんですよ(笑)。ちなみに、当時の幅跳びは、ハルテレスと呼ばれる重りを手に持って行うのが一般的でした。そのほうが距離が出ると信じていたのでしょうが、さぞ重かっただろうなと思います」

【トリビア4】オリンピックは男だけの世界

 競技の参加者はギリシャ人の男性のみ。女性、奴隷、非ギリシャ人の参加は認められていなかった。さらに、女性は観戦さえ許されなかったという。当時のギリシャ女性は基本的に家から出ることはなかったそうだが、「女性がオリンピアの競技場に入り込んで大騒ぎになったという文献が残っているんですよ」

【トリビア5】競技のほとんどは全裸で行われた

 古代ギリシャの人々は、普段はキトンやヒマティオンと呼ばれる衣服を身にまとっていたが、オリンピック競技は基本的に全裸で行われていた。「美は善である」がモットーの彼らにとって、肉体美も重要な要素だったのかもしれない。「ただし、戦車競走など馬絡みの競技は危ないので服を着て行なっていました」

【トリビア6】優勝すると、一生食うに困らなかった

 競技祭から優勝者に与えられるものは、コティノスと呼ばれる野生のオリーブの枝で作られた葉冠だけ。だが、ひとたび国に帰れば食べるに困らない生活ができたところは、現代と同じ。「プリュタネイオン(迎賓館)で生涯ごちそうしてもらえるなど、文字通り、一生食べるのに困らない生活が約束されていた国もありました。また、のちに政治家として成功している優勝者もいますね。美しくて弁舌が立つことが、政治家としての能力につながった古代ギリシャにおいては、身体の美しさを誇る優勝者は非常に有利だったと思います」
また、オリンピックで優勝するということは、特別に神様に愛される存在だと見なされること。「優勝者は、普通の人間とは違う、別格の存在として、オリンピアの神域にブロンズの彫像を奉納することが許されました。これは古代ギリシャにおいて、最高の名誉。アルカイック時代やクラシック時代には、人間の銅像が生前につくられることは、有名な政治家でもほとんどなかったのです」
ブロンズは金銭的価値が高く、再利用できるので、銅像はほとんどが鋳つぶされてしまっている。「青年像」は、海の底から見つかったため、奇跡的に現代に残されたもののひとつだ。「顔も右手足も失われてしまっていますが、全裸であることや、筋骨たくましい体からして、運動を嗜む競技者――もしかしたら優勝者の銅像だったのでしょう。残された右腕や左手のかたちから、円盤投げの像ではないかとも考えられています」

【トリビア7】オリンピック開催中は参加国すべてが休戦した

 古代オリンピックは、現在と同じく4年に1度、7〜8月に開催されていた。開催に先立ち、使者が諸国をまわって休戦を告げる。現実問題として、オリンピックを行うには平和が不可欠だったからだ。「古代における旅は、いま考えるよりもはるかに危険なものでした。競技者や観戦者がオリンピアまで安全に旅ができるように、休戦協定を結んだのです」

【トリビア8】汗掻きヘラと香油壷はできる競技者の証?

 競技者の“2種の神器”と言えるのが、アリュバロスと呼ばれる香油を入れるための小型の壺と、ストレンギスと呼ばれる垢掻きのヘラ。競技者が日々身体を清潔に保つために必要な道具だった。競技者たちは、運動前に香油を身体にすり込んだ。香りに身体治癒力を認めていたとも、ギリシャの強い日差しから肌を守るためとも、あるいは肉体をより美しく見せるためとも言われている。運動後は、ストレンギスを使って、身体に塗った油と、砂や埃などの汚れを削ぎ落とした。

【トリビア9】当時もやっぱり不正は行われていた

 名誉を重んじるはずのオリンピック競技だが、不正が横行していたのも現代と同じ。「審判員を買収するといった不正が発覚すると罰金刑が課され、その罰金でゼウス像を作って奉納していました。オリンピアの神域には、ザネスと呼ばれるその像が優勝者の銅像とともにずらっと並んでいたそうですから、いかに不正が多かったかわかりますね(笑)」

【トリビア10】名誉と美が最も重んじられた

「古代ギリシャ人にとって最も大切なのは、名誉。後世の人々に記憶されることが、我々が考える以上に大切だったのです」。1908年のロンドン大会で語られた「参加することに意義がある」というオリンピック精神は広く知られているが、古代ギリシャにおいては、やはり勝つことにこそ意義があった!?

■特別展「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」
東京国立博物館 平成館(上野公園):9月19日(月)まで
長崎県美術館(長崎市出島町2−1):10月14日(金)〜12月11日(日)
神戸市立博物館(神戸市中央区京町24):12月23日(金)〜2017年4月2日(日)

芳賀京子(Kyoko・Haga)
東北大学大学院准教授。アテネのイタリア国立考古学研究所大学院専門課程および東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。専門はギリシャ・ローマ美術史。著書に『ロドス島の古代彫刻』など。

週刊朝日  2016年7月22日号