「1年目からアーセナルでチャレンジしたいという気持ちはあります。レンタルになったとしても、マイナスではないと思っていますし、やるべきことは変わりません。どのチームでも、目の前のことに対して100%でやっていければと思っています」

 イングランドの名門アーセナルへ完全移籍することを発表したサンフレッチェ広島浅野拓磨は、会見の場で自らこのようにコメントした。

 過去にアーセナルと契約した日本人選手は、稲本潤一(2001年にレンタルでの移籍)と宮市亮(2010年12月に中京大中京高から入団)の2名がいるので、浅野は同クラブ3人目ということになる。しかし、浅野の発言にあるように、現実的には英国での労働許可証を取得するためのハードルが高いため(※)、おそらく初年度はレンタルで他のヨーロッパのクラブでプレーすることが濃厚と見られている。

※現行の規定では、2年間の通算FIFAランキングが53位の日本の選手はFA(フットボール・アソシエーション)から自動的に移籍の承認を得ることはできず、特例を除き、労働許可証を取得できない。

 たとえば、宮市がそうだった。当時のルールは現在ほど厳しくなかったものの、それでも日本国内でプロとしての実績がなかった高校生の宮市は、イングランドでプレーする許可が下りなかったため、アーセナルと5年契約を交わした直後にオランダのフェイエノールトでプレーすることが決定。そしてその後、約半年間オランダで実績を積んだことにより、2011年8月にアーセナルの申請で労働許可証を"特例"で取得する――という経緯があった。

 それを考えれば、今回の浅野の移籍は、「初年度レンタルを前提とした移籍」と見ていいだろう。実際、浅野との契約合意について、指揮官のアーセン・ベンゲル監督は公式サイトで、「拓磨は優秀な若手ストライカーで、将来が楽しみな選手。日本でも素晴らしいキャリアを積んでいるし、これから2年ほどでさらに成長してくれることを期待している」とコメントしている。

 ただし、だからといって、浅野のアーセナル移籍を悲観的に捉える必要はないだろう。要は、どこのクラブでプレーするにせよ、浅野がヨーロッパの地でしっかりと実績を積み上げていけばいいだけの話である。たまたま入口がアーセナルからのレンタル移籍になるだけで、基本的にはヨーロッパのマーケットのなかに身を投じるチャンスを得たことは間違いないのだから。

 実際、ベンゲル体制になってからのアーセナルは、過去に「青田買い」的な若手の獲得を繰り返しており、浅野のような例は枚挙にいとまがない。近年はチェルシーもその傾向が強いが、もともとこの手法は「ベンゲルが本家」とも言えるのだ。

 問題は、アーセナル入りしてから、その若手選手がどのような経緯を辿ってキャリアを積んでいくのか......という点に尽きるだろう。

 たとえば、アーセナルの青田買いの成功例として挙げられるのは、MFセスク・ファブレガス(2003年にバルセロナの下部組織から入団)、DFガエル・クリシー(2003年にフランスのカンヌから入団)、MFアブー・ディアビ(2006年にフランスのオーゼールから入団)、あるいはFWニクラス・ベントナー(2004年にデンマークのコペンハーゲンから入団)といった面々だ。

 ディアビこそ入団前にトップリーグをわずかながら経験しているが、いずれも当初は実績などほとんどない若手。しかし、入団してから2年以内にはアーセナルでトップデビューを飾り、その後チームに定着したタレントたちだ。

 つまり例外はあるにせよ、アーセナルの選手として定着できるかどうかは、「2年」というリミットがひとつの目安と見ていいだろう。そこに、「これから2年ほどでさらに成長してくれることを期待している」と公式サイトで浅野についてコメントしたベンゲルの意図が読み取れる。

 とはいえ、青田買いで入団した若手のなかで彼らのように成功した例は、ほんのひと握りに過ぎない。多くは期待どおりの結果を残せず、そのままレンタル移籍を繰り返し、やがてアーセナルを去っていく......というパターンのほうが圧倒的に多いのが実際のところだ。そして、このパターンですぐに思い浮かぶのは、フランスのFWジェレミー・アリアディエールである。

 フランスが誇る育成アカデミーのひとつであるクレールフォンテーヌ出身のアリアディエールが、アーセナルに青田買いされたのは1999年――16歳のときだった。ところが、将来のフランスを担うタレントとして注目を浴びながら3年目でトップデビューを果たすも、その後4シーズンでわずかな出場機会しか得られずにいると、7年目の2005−2006シーズンからセルティック、ウェストハム・ユナイテッド、ウォルバーハンプトン・ワンダラーズといったクラブにレンタル移籍を繰り返し、ついに2007−2008シーズンにアーセナルを退団。その後、完全移籍したミドルスブラで実績を積むことはできたが、以降はフランスのロリアン、カタールのウム・サラルというクラブを渡り歩くこととなってしまった。

 それ以上に厳しい道のりを辿ったのは、ベントナーと同期で入団したイタリア人FWのアルトゥーロ・ルポリだ。17歳にしてパルマからアーセナルに移籍を果たしたルポリは、初年度にリーグカップでデビューを果たすも、基本的にはリザーブリーグでプレー。ただ、リザーブリーグで目覚ましい活躍をしたことで、2年目にプレミアリーグデビューを飾ることに成功した。

 しかし、出場機会はわずか1試合のみで、3年目にはダービーにレンタルで出され、2007年1月に地元イタリアのフィオレンティーナに完全移籍。そこでも実績を積むことができずに、その後はイタリアやイングランドの下部リーグでプレーを続けるという末路を辿っている。

 このように、青田買いされながらも結果を残せずにアーセナルを去った選手を挙げればキリはないが、浅野にとって重要なことは、アーセナル以外のクラブでもしっかりと実績を残せば、ヨーロッパのマーケットに乗ることができる、ということだ。それは、かつての稲本が証明してくれている。

 レンタル移籍でアーセナル入りを果たした稲本は、その後、フラム、WBA、カーディフ・シティで実績を積み、その後もトルコのガラタサライ、ドイツのフランクフルト、フランスのレンヌと各リーグの有力クラブを渡り歩き、マーケットにおける地位を確立。計9シーズンにわたってヨーロッパでプレーし続けることができた。

 同じく、故障に泣かされながらも、現在もドイツ2部のザンクトパウリでプレーする宮市も、その道を辿りつつある。もちろん、ヨーロッパのクラブに所属することだけが重要というわけではないが、彼らのように国外で地位を築くのも、ひとつのキャリアの積み方であることは間違いない。

 しかも、英国のEU脱退を受け、今後は日本人がプレミアリーグのクラブに移籍するハードルはますます高くなることが予想される。ある意味、今回の浅野のケースは日本人選手にとってのラストチャンスともなりかねない。そういった点からしても、浅野にかかる期待は大きい。

 いずれにしても、浅野がヨーロッパでどのような道を辿るのかは、まずは今後2年間の実績がひとつの目安となりそうだ。予定では、今月17日の横浜F・マリノス戦を最後に、浅野はいよいよアーセナルに旅立っていく。

中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi