■クルム伊達公子インタビュー(3)

 ここまで、彼女の近況について、20年前の女子テニスについて、話を伺ってきた。最終回は日本のテニス人気を背負う錦織圭のこと、そして、37歳にして、クルム伊達公子として、現役復帰した心境について、話を聞いた。

―― 長いテニス史の中で、日本人プレーヤーが世界ランキング(シングルス)のトップ5に入ったのは伊達さんと錦識圭さんだけです。23歳で日本人初の世界ランキングトップ10入り、25歳で4位にまで上り詰め、96年フェドカップでは当時の世界女王グラフに3時間25分の激闘で勝利しました。まさに頂点へ駆け上っていくのだろうと期待が最大になっているときに引退しました。ご自身の中には「さぁ、いよいよ頂上へ向かう」と待ちわびるような期待感はなかったのですか?

「苦しくて、しんどくて、ツアーも楽しくないし......孤独でした。妙な怖さもあったのです。どんどん夢が現実的に実現してゆくので、その先、その後の人生についての恐怖。人間の持っている運は限られているだろうから、万が一トップ3にでも入り、さらにさらに夢を叶えてしまったら、その後は人生に悪いことばかり起きてしまうのではないか......という思いで。心理学的に成功の恐怖(Fear of success)というらしいですね」

―― うーん、人間は一筋縄ではいかないのですね。こんなに努力して苦しい思いで闘ったのだから、結果はついてきて当然ぐらいに思えてもよかったように思えますが......。現在活躍している錦識さんをどう思いますか? 以前に天才だと評価していました。

「今、彼は一番苦しい時期だと思います。100番から50人を抜かす、50番から30人を抜かすなど、いろいろな段階がありますね。あと数人を抜かせば、トップにいけるといっても、上位の顔ぶれはノバク・ジョコビッチなど3人、5人と同じなのに、その数人を抜かすのが本当に容易なことではなく、一方で肉薄してくる下の選手には負けられない。

 自分が100%の力で闘うのは当然なのですが、1週間、グランドスラムなら2週間を闘い抜かなくてはならないうえに、最後に近づくほど、最高のものを出さないと進めない。心理的にもかなり追い詰められるうえに、チャレンジできる余裕もなくてはならない。本当にきついですよ」

―― 錦識さんを16歳から見てきた解説者のフローラン・ダバディ氏に話を聞くチャンスがありました。錦織さんがもうひとつ上にいくためには『テニス人生の先に何をやりたいか?』という思いや野望、あるいは映画監督や建築家など、異業種の人との出会いから刺激を受けることなどが大切なキーになるのではないかと言っていました。どう思いますか?

「ダバディさんの言っていることはとてもよくわかります。私も6歳からテニスをやってきて、彼は中学生でアメリカに渡って、テニス漬けの生活をしてきています。アスリートとしての時間ばかり、スポーツに費やす時間ばかりで生きてきています。いろいろな視野を持てるかどうかはとても大切です。ただ、それは私も引退して気づいたことでした。

 たとえば......先月の全仏オープンで地元のリシャール・ガスケに負けましたよね。その2つ前のスペイン(マドリードオープン)での対戦では、08年のジャパンオープンからの6戦全敗だった苦手の相手にストレート勝ちして、次のイタリア(ローマオープン)でも勝って、『さぁ、次も』という気分だったのに、ガスケの地元で、ああいう形になるのは、絶対に嫌だったはずなのに、ああなってしまった」

―― 雨での中断の後、6ゲーム連取されて8強を逃しました。錦識は世界の6位、ガスケは12位でしたが......。

「私だったら本当につらくて、立ち直れなくなるんじゃないかと思いましたけど、ああいう最悪な結果でもトータルに考えれば、ひとつの負けなのだと思えるか、です。だから、ダバディさんの言うように。他のジャンルの人との出会いなどで、心に余裕を持ち、どのくらい視野を広げられるかは大事です。

 ただ、実際は毎週、毎週ツアーですから、会う人も限られてくるだろうし、別の発想や違う興味を持つ人と出会う時間があるのだろうかというのは、疑問ではあります。

 でも、彼ももう(今年の末には)27歳ですから、もうそろそろ少し大人びてくるでしょう(笑)」

―― 伊達さんは26歳で引退。11年半後、37歳でもう一度テニス界に戻ってくる中でJICA(独立行政法人国際協力機構)のオフィシャルサポーターとして、発展途上国でのテニス指導などをしました。その経緯について教えてください。

「それまでテニスの試合で行くのは先進国しかなかったのです。途上国は私にとって未知でした。当然だと思う人もいるかもしれませんが、見るのと聞くのとでは大違いなことばかりでした。

 中国、タイ、ベトナム、バングラデシュ、マラウイ、ジャマイカ、ホンジュラス、モロッコ......言葉も社会的環境、文化も異なる国々でテニスを介してコミュニケーションをとりました。その中には、テニスをしたくてもできないばかりか、『今日は楽しかったけど、自分はもう一生テニスのラケットを触ることはない』という呟きを耳にすることもありました。

 地球上でテニスひとつをとっても、こんなに差があるのかと実感しました。インパクトは強かったです。自分の中でのテニスというものを見つめ直すきっかけにもなりました」

―― それは20代で一度離れたテニスへの吸引力にもなりましたか?

「"テニスに戻りたい"はなかったのですが、素直にテニスが好きと言えるし、思えるようになったことは確かです。振り返れば、あんなにもテニスが好きだったわけだし、世界ランキング4位、グランドスラムのセミファイナリストだった......やっぱりテニスは素晴らしいスポーツだと改めて感じるようになりましたね」

―― 正直、私は伊達さんの第一キャリアピリオドの打ち方を見ていて、必ずこの人はもう一度プレーヤーとして戻ってくるだろうとは思っていました。ただ、11年半もかかるとは思いませんでした。

「私はまさか"戻る"とは思っていませんでした(笑)。当然、悩まない人生ではないですが、やらない後悔よりやった後悔のほうがいいと思うんです。何でやらなかったのか?と思うのはやっぱり嫌で、トライして後悔したら、また、そこで考えればよいわけですよね。

 この年齢になってくると、常識なんかに囚われなくてもいいと、どんどん思えるようになってきました。第一キャリアでテニスをやっていたときも、自分にさえ嘘をつかなければいいと思っていました。他人はだませても、自分はだませないですからね」

―― 自分をだませないと思われたうえで、37歳でプレーヤーとしてのカムバックだと思いますが、「今もって誰も追い越せないキャリアが燦然と輝いているのに、何を今さら!?」というようなご主人(レーシング・ドライバーのミハエル・クルム)じゃなくて良かったですね。

「そうですね。結婚して一緒にいるからといって、『僕のために人生を過ごしてほしくない』という人です。『テニスでも仕事でもやれる立場にいるなら、やったらいいじゃないか』と言います。やっぱりテニスをしたい、と37歳で思うようになったときには『失うものは何もないじゃないか(Nothing to Lose)』と背中を押してくれましたし」

―― すばらしいです。来年、伊達さんがもう一度コートに立たれる春を心から楽しみにしています。ありがとうございました。


 クルム伊達公子は、常に柔らかな表情で過去の自分のテニスを振り返り、今を見つめ、未来に向かう自身を丁寧に言葉にした。

 インタビューした日は、リハビリの利便性を考えて泊まり続けていたJISSから、自宅に戻った直後だったこともあり、今後も続く厳しいリハビリの覚悟にも希望が滲んだ。

「すべては、まだまだこれから......」

 彼女の抱きしめるテニス人生とは、さらなる未知へ向かっていく......。

「テニスが本当に好きだから......」。彼女は最後に弾むような声で、もう一度言った。

(おわり)

【profile】
クルム伊達公子(くるむ だて・きみこ)
1970年9月28日、京都府生まれ。両親に連れられて、6歳でテニスを始める。テニスの名門・園田学園を卒業と同時に、プロに転向。WTAツアーで7勝(シングルス、当時)、世界ランク最高4位、全豪、ウインブルドンベスト4進出など輝かしい記録を残すも、26歳(世界ランク8位)で引退する。その後は他競技を楽しみつつ、子供向けのテニス教室など、普及活動に力を入れていたが、2008年、37歳で現役復帰を宣言、2009年にはWTAツアーを制し、歴代2位の年長優勝記録を持つ。現在も現役続行中。所属はエステティックTBC。

長田渚左●文 text by Osada Nagisa