■極私的! 月報・青学陸上部 第4回

「おぉ」

 スタンドが一瞬、響動(どよ)めいた。

 視線の先には残り500mでラストスパ−トをかけ、ぶっちぎりでトップを快走する大迫傑がいた。10000mでは日本陸上競技選手権初優勝を飾ってリオ五輪出場を内定させ、この5000mでも断トツの走りを見せている。その後を必死な形相で追い掛ける学生ランナ−がいた。

 一色恭志だ。

 大きなストライドで、そのスピ−ドに離されまいと懸命に腕を振り、粘る。ホ−ムストレートに入ると、スタンドの歓声が一段と大きくなった。すると、一色が最後にもう一段ギアを上げたように見えた。

「ここまで、4年生の中では一色が一番順調にきていますね。今は調子がいいので、トップについていけると思うし、そうなれば自己ベスト更新をするんじゃないかな」

 レース前、一色について原晋監督は自信たっぷりにそう語っていた。一色がそれだけの結果を積み重ねてきたからだ。

 2月に東京マラソンを走り、2時間11分45秒で日本人3位という結果を残した。4月の世田谷区記録会では14分10秒とまずまずのタイムを出し、5月の関東インカレでは10000mこそ2位にとどまったが、5000mでは13分51秒15で優勝を果たした。つづく6月5日、自らの誕生日となった日体大記録会では5000mで13分49秒77を出し、タイムも調子も上がってきていたのだ。

「でも、ここ(日本選手権)では勝負。勝ちにこだわってやってほしい」

 そう原監督が望むまでもなく、一色自身もそのつもりだった。大きな大会では常に勝負を意識して、レ−スに挑んできた。関東インカレでは10000m と5000mにエントリ−し、「今シ−ズンは大学生には負けない」と勝負にこだわった。しかし、10000mでは駒沢大学の中谷圭佑にちょっとの差で敗れた。

「10000mは最後のところで仕掛けていくレースが理想で、実際その通りの展開になりました。でも、ラスト500mのところで中谷に前に出られて、その反応が1秒ぐらい遅れてしまったんです。そこでついていくことはできたんですけど、ラスト100mで追いつけずに負けてしまった。これは典型的な自分の負けパタ−ン。もっと早く仕掛けておけばよかったかなと思いましたし、中谷に勝ちたいという気持ちが欠けていた。まだまだ駆け引きがヘタくそだと思いました」

 関東インカレ10000mのレ−ス展開を反省し、気持ちを切り替えた一色は、2日後の5000mでは自分の負けパタ−ンを引っ繰り返すような圧巻の走りを見せた。ラストのホ−ムトストレートで創価大のムソニムイルを一気に抜き去るという勝負強さを見せたのだ。

「最後に勝ち切れないのが4年間ずっとありましたけど、5000mは最後の駆け引きで勝ち切ることができてよかったです」

 欲しかったタイトルをひとつ取り、タイムもまずまずだった。

 10000mの負け方は普通ならショックが残りそうだが、その反省をすぐに生かして5000mのレ−スに反映させた。しかも、力をためてラストスパートでスピードアップし、フィニッシュ直前で差し抜いたのだ。レ−ス運びに冷静さと力強さが垣間見えた。

 それができたのは、なぜなのか。

「レ−スを楽しむ余裕が出てきたのが大きいです。マラソンを一度経験して、スタミナも含めて精神的な部分で成長できたなと感じたんです。実際、部内できつい練習をしていると、みんなはヒーヒー言うんですけど、僕はまったく問題ないんですよ。マラソンを走って気持ちも体力的にも上限が上がったというか、器が大きくなった感じです」

 陸上界では学生のうちにマラソンを走ると、トラック競技に悪影響が出ると言われている。だが一色はあえて、その根拠のない都市伝説に挑んだ。マラソンを走った後はさすがにダメ−ジが大きく、2週間ほど走らずに休養した。練習再開後も疲労が残り、走りにくさを感じていたが、4月の世田谷記録会で14分10秒を出してやれる感覚をつかんだ。それ以降は順調にタイムを上げ、スタミナにも自信を持てるようになった。

「東京マラソンから、この日本選手権は本当にいい流れの中で迎えることができました。僕よりも速い選手ばかりなので、失うものは何もない。トップの選手についていけるところまでついていって、それで結果が出れば儲けもんというぐらいの感覚で走ります」

 第100回を迎える今年の日本選手権はリオ五輪の選考大会でもあり、日本の陸上のトップが集う最も大きな大会だ。5000mのエントリーシートには、日本記録(13分08秒40)を持つ大迫、さらに鎧坂(よろいざか)哲哉、設楽悠太、同じ学生でライバル視する服部弾馬ら日本長距離界の錚々たるメンバ−が名を列ねていた。一色のタイムは参加24名中23番目だったが、タイムがすべてではない。この大会は"勝負"が重視されるのだ。

 6月26日17時05分、レ−スが始まった。

 一色は1000mから2000mは4、5番手につき、落ち着いた走りで先頭集団にいた。ちょうど優勝候補の大迫の後をついていく感じだ。表情を見てみると余裕があり、走りには自信と力強さがみなぎっている。

 3000mあたりでは9番手に落ちるものの、先頭から一列になった集団の中に一色はいた。そして、4000mを越えた瞬間、大迫がサッと前に出た。残り1000mで仕掛けたのだ。

 高校の時はラスト100mでまくるレ−スで勝ち続けたが、大学に入ってからはそういう走りができなくなっていた。だが、関東インカレの5000mで勝って自分のレ−スの持ち味を思い出し、ラストの切れ味が戻ってきた。その自信を持って最後の力を振り絞った。

 4位、13分39秒65、自己ベスト更新だ。

「ラストスパートした大迫さんに意外とついていけたんですけど、ラスト1周はスピ−ドが全然違いました。勝てる気がまったくしなかったです(苦笑)。でも、ラストに冒険してガンと前に出る走りができた。しかも自己ベストが出てよかった」

「大迫さんがバンと前に出て行くので、まさかって思いましたね。(残り)1000mから仕掛けるなんて考えたことはもちろん、頭によぎったこともなかったです。でも、大迫さんの後ろを走れるなら撃沈してもいいやって感じで、ついていったんです」

 最初はついていけた。しかし、ラスト1周の鐘が鳴ると大迫はさらに加速し、一色との差を広げた。地力にまさる上野裕一郎と大六野秀畆(だいろくの しゅうほ)にも抜かれた。それでも歯を食いしばって食い下がる。ホームストレートに入ると、前を走る上野と大六野が視野に入った。3人の走りにスタンドがドッと沸く。

 一色は流れ落ちる汗を拭おうともせず、満面の笑みを浮かべた。

 この日本選手権で上半期の大きな大会は一区切りついた。ここまで自分が描くイメ−ジ通りの成長ができているのだろうか。

「う−ん、まだまだですね。マラソンの記録も5000mの記録も物足りない。やっと富士山のスタ−ト地点に来た感じです。謙虚? いや、富士山の半分とかいうと、もう残り半分しかないじゃないですか。自分はまだまだ伸びると信じていますんで(笑)」

 自分の果てしない可能性を信じることはアスリ−トにとって大事なことだ。実際、日本選手権での一色の走りは、まだまだ伸びしろがあると確信させてくれた。

 また、大迫に食らいついた一色の姿は青学陸上部の4年生に大きな刺激を与えたに違いない。箱根駅伝で連覇を達成した昨年、当時の4年生はどの学年よりも活気があり、実力でもチームを牽引した。それゆえ「史上最強」と称された。だが、今季の4年生は茂木亮太と池田生成が5000mの自己ベストを更新したが、キャプテンの安藤悠哉、秋山雄飛ら主力選手の調子が上がらず、今ひとつ元気がない。日本選手権でのレ−スの前日、原監督は不甲斐ない4年生に雷を落としたという。

「僕の4年生の中での役割は、走りでチ−ムを引っ張っていくこと。それしかできないし、それが一番得意なことなんです。(レ−スの日は)日曜日なので、みんなオフで見ていないかもしれないけど、見ていると信じて『今日はやったぞ、みんながんばれよ』っていうことを伝えたいと思います。4年生が盛り上がらないとチ−ムが盛り上がらないし、強くならないんで」

 果たして、一色の走りは陸上部のメンバ−に、そして4年生にどう伝わったのだろうか。

(つづく)

佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun