■クルム伊達公子インタビュー(1)

 傷めていた膝の手術を受けたクルム伊達公子は、約束のスタジオに松葉杖姿で現れた。......見慣れない姿にこちらは息を飲んだが、傍らに松葉杖をそーっと置くと、少しも変わらない、いつものエクボを見せた。

「いま、懸命にリハビリに取り組んでいます。1日24時間じゃ足りない。30時間あったらと思う毎日です」。復帰への熱さがリアルに伝わる言葉だった。

 37歳で現役復帰し、45歳になった。ケガの状況や現在の心境はもちろん知りたい。20年前のシュテフィ・グラフとの激闘についても振り返ってもらいたい......誰も真似のできない彼女の現在・過去・未来について......。

―― 2月に左膝半月板の内視鏡手術、4月には大腿骨、頚骨の両軟骨損傷による骨軟骨移植や半月板を縫合するなどの処置を受けました。テニスを続けるためにメンテナンスをしっかりしたということですか?

「......そうですね」

―― 伊達さんのブログには病院のベッドでの生活、車椅子での移動の写真が見られました。それは痛々しいというよりも、テニスがいかに伊達さんにとって大切なものであるかを感じさせました。

「手術したからといって、痛みを感じなくなる保証はないのです。でも、可能性に賭けました。術後は順調かと問われれば、順調ですが、すべてはこれからなんです。

 まず、日常生活のできる体になり、次にアスリートの体に戻さなくてはならない。ある程度は覚悟していますが、未知の部分は少なくないです。......ギリギリのところまで(自分を)追い込み、腫れて、痛みが出て、その繰り返しをしなくてはならないわけです」

―― スポーツの中でも、テニスの動きはかなり複雑ですね。

「そう。前に歩く、走る。前後、左右の動きに加えて、試合となれば、予測のつかない動きにもなりますから、それに耐えられるのか、膝がもつかは未知......少しずつ、少しずつチャレンジしていこうと思っています。あせる必要はないと思うのですが、年齢のことを考えると、そんなにゆっくりもしていられないのです。ドクターから手術が40%、リハビリが40%、残りはコートに立ってみないとわからないと言われています。どのくらいの違和感が出るのか、どんな違和感なのかもわからないし、想像もできない......」

―― JISS(国立スポーツ科学センター)でのリハビリでは、優等生ですか?

「優等生かどうかは、周りにもたくさんのスポーツ選手がいろいろな状況や、状態を抱えてトレーニングしているのでわかりませんが、性格的にもトレーナーさんからは『やり過ぎないように気をつけて』と強く言われています」

―― では、復帰予定計画はどうなりますか?

「......来年春には試合に戻れれば、と考えています」

―― 秋には46歳、不死鳥計画ですね。伊達さんはよく「私はテニスが好きだから......」と言います。伊達さんにとって"好き"ってどういうことですか?

「ほかのことはまったく関係ないということですね。もちろん、テニスをしているときはボールを追いかける。打ち合うこと以外にも戦略も考える。テニスの中で考えることはたくさんあるんですけど、純粋にテニスだけに向き合って、テニスだけに没頭する。自分は無になっていられる時間なんです」

―― 時間を忘れてしまうような無我でしょうか?

「うーん、何分経ったかわからないとか、気がついたら夜になっていた......とか、そういうことはないです(笑)。時間感覚は失わないのですが、かけがえのない時間ですね」

―― テニスが一番好きなのに、ドクターに「手術をすれば、スキーができるようになりますか?」と聞いたのはどうしてですか?

「テニスも好きですが、スキーも好きなんです。父がスキーも山も好きだったので、その影響ですね。テニスを始めてからスキーからは遠ざかることも多かったのですが、第一キャリア(26歳で引退する前)の頃も、こっそりスキーに行っていました。引退後は、それこそちょくちょく行っていました。この間の2回目の手術のとき、マイク(夫、レーシングドライバーのミハエル・クルム)にヨーロッパにスキーに連れて行ってね、と約束したんです。海派と山派に分けるなら、山派です。緑に囲まれていると心地よいので」

―― つまり、ドクターは手術をすれば、激しい動きのテニスはともかく、スキーはできるようになると言ってくれたということですか?

「いえ、まあ、あなたのスキーだから......という言い方で、必ずしも保証はできないというニュアンスでした。1、2本なら手術をしなくてもOKかもわからないですが、この性格ですから(笑)。それじゃ終わらない。何しろ体を動かすことが好き、動かしてさえいれば、細胞が正常でいられるというか、まぁジーッとしていると、危なくなっちゃう回遊魚みたいな人間ですから」

―― 回遊魚? 確かにコートの中では水を得た魚のごとく動かれました。ファンが思い出すのは、対シュテフィ・グラフ(ドイツ)との激闘ですが、ご自身の中ではいかがですか?

「自分より上の、トップ選手と試合をすると、自分を引き上げてくれるものが出てくるんです。空気感の強い人と対戦すると、自分の中に秘められていたものが露(あらわ)になって、自分でも驚くことがありますね。

 強い人と試合をするときはセンターコートでの試合となり、そのコートの持つ空気感とそこに集まる観客が運んできてくれるものもあって、思いもしなかったものも出せる場合もあります。もちろん、試合では相手がいるので噛み合う、噛み合わないはあるのですが......。

 1996年4月、有明のフェドカップ(7−6、3−6、12−10で勝利)から、7月のウィンブルドンの準決勝(2−6、6−2、3−6で敗戦)のグラフ戦を覚えていてくださる方は少なくありません。でも、私の中ではその流れで言うなら、あまり取り上げられないのですが、3月のマイアミ(リプトン国際)準々決勝のグラフ戦。7−6、6−3で負けましたが、初対戦から5年目で、ようやく掴んだものがありました。その手ごたえがあって、次のフェドカップを楽しみにしていて、そのうえでの勝利でした。自分にとっては深くストーリー性のある96年の3つの試合なのです」

(つづく)

【profile】
クルム伊達公子(くるむ だて・きみこ)
1970年9月28日、京都府生まれ。両親に連れられて、6歳でテニスを始める。テニスの名門・園田学園を卒業と同時に、プロに転向。WTAツアーで7勝(シングルス、当時)、世界ランク最高4位、全豪、ウインブルドンベスト4進出など輝かしい記録を残すも、26歳(世界ランク8位)で引退する。その後は他競技を楽しみつつ、子供向けのテニス教室など、普及活動に力を入れていたが、2008年、37歳で現役復帰を宣言、2009年にはWTAツアーを制し、歴代2位の年長優勝記録を持つ。現在も現役続行中。所属はエステティックTBC。

長田渚左●文 text by Osada Nagisa