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"インテルをぶっ潰す"という思いを込めて、K8の社内での極秘開発コードネームは"SledgeHammer(スレッジハンマー:大型の鎚の意味)"であった。例によってこの極秘のプロジェクトは、AMDのマイクロプロセッサ設計エンジニアの精鋭部隊が集められ、基本アーキテクチャの構想から約4年の短期間でCPUの設計を終えた。その間、食いぶちのK7 Athlonの改良も進められていたのでエンジニアリングのリソースはカツカツであったが、前述したIntelの64ビットコンピューティング戦略IA64に対し、ダーク・マイヤーに率いられたAMDのチームは明確に差別化された素晴らしい製品を完成させた。その基本アーキテクチャはAMD64と命名された。以下にAMD64の概要を示す。

1. これまで32ビットであったx86命令を64ビット幅のデータやメモリアドレスに対応できるよう拡張した命令セットを定義。
2. x86命令セットを引き継ぎつつ64ビットへの拡張を行っているので、64ビットに拡張されたソフトウェアは高速に、32ビットのソフトウェアも従来に劣らぬ速度で実行することができる。
3. 実装するCPUは同一コアでサーバー用のものとPC用のものを用意する。サーバー用CPUはUNIXおよびWindowsに対応、またPC用CPUはマイクロソフトが進めている64ビットWindowsに対応する。
4. このアーキテクチャが意味することは、野心的製品K7でインテル互換路線を捨てハードウェアでの独自性を打ち立て大成功した後に、ハードウェアでのみならず、ソフトウェアでもインテル互換を捨てるという大きなステップを踏み出すということである。つまり、それまでインテル互換品というイメージが付きまとっていたAMDが、本当の意味での独自のCPU経済圏を打ち立てるという画期的な意味合いがあった。 このアーキテクチャは過去のソフトウェア資産に対する互換性を継承しつつ、8ビット、16ビット、32ビットと順次性能を上げながら進化したそれまでのx86ベースのCPUのアーキテクチャの思想から考えると、至極自然かつシンプルなものである。AMDはこのアーキテクチャを実装したサーバー用CPUをOpteron、PC用CPUをAthlon64の製品ブランドで2003年にリリースした。

AMDはIntelが提唱する64ビットコンピューティングのIA64と対抗するブランドとしてその立場を明確に市場に打ち出せるように、アーキテクチャのブランドAMD64、製品ブランドOpteronとAthlon64のロゴマークを開発しマーケティング活動を開始。いずれも伝統的なAMDのロゴを頭にあしらい、その下に大きく数字の"64"と記した。このデザインは今でも個人的にはよい出来であったと思っている。

Opteron(オプテロン)の命名には"最適化(Optimize)"のOptとK7 Athlonの響きを継承する配慮がなされ、Athlon64はK7 Athlonの製品名に64を足した明確なメッセージがこめられた。

Opteronは独自のAMD64基本アーキテクチャに加えて、ハード面でいくつかの革新的な特徴を備えていた。以下にOpteronのハードウェアの特徴を示す。

・AMD64命令セットを採用、UNIXとWindowsを32ビット・64ビットモード両方でサポート
・3基のHyperTransport(ハイパー・トランスポート)インターフェース(これが超高速!!)
・2・4・8ソケットのマルチプロセッサ構成可能なSocket940に対応
・メインメモリとしてDDR SDRAM(ECCエラー補正機能サポート)
・DDRメモリコントローラ内蔵 (これが高性能の大きな要因!!)
・クロックスピード1.4GHzから世代が進むにしたがって3.2GHzまで発展
・プロセスルール130nmでスタートし45nmまで進化

今から思うと、K8の開発は多少の遅延があったにせよAMDとしては異例の早さで、私はその仕様と実際のチップのサンプルを見た時に、"本当にやっちゃったんだ…"という驚きと、高性能CPUの開発に執念を燃やしたカリスマ的リーダー、ダーク・マイヤーと彼のチームの鮮やかな仕事ぶりに心底敬意を表した。これで、長年AMDが夢見たサーバー市場に参入し、インテルを相手にもうひと暴れできるのだという興奮を感じた。同時に、AMDの営業部隊には今まで全然経験がなかったサーバー分野の技術、市場、トレンドについてトレーニングが急ピッチで行われた。

このころAMDは今までの半導体デバイス営業の方法をがらりと変え、サーバーシステムの営業の手法をどんどん取り入れるために、半導体メーカーではなく、Dell、HP、IBMなどといったPC/サーバーメーカーからどんどん人材をリクルートした。

それまでガチガチの半導体ハード営業であった私にとっては、全く新しい分野であり正直言って最初のうちは何をどうやれば良いか解からなかったが、トレーニングを必死にやったのが奏功して、1年経つうちには何とかカスタマーの前でプレゼンができるようになった。実際はOpteronという半導体デバイスの営業であるが、その半分はソフトウェア、システムレベルの話であった。 (私の場合、実はそのほとんどが完全な受け売りであったのであるが、"聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥"と割り切れば何とかできるものだという事を実感した。その時の経験は今でも役立っている。)

その頃サーバー市場はインターネットの普及で級数的に伸びてゆき、競争が激化していた。故に、カスタマーはインテルだけがCPUを独占する状態に大きな不満を抱いている。しかも、こともあろうにインテルが仰々しく発表したIA64のItaniumプロセッサは、その設計上の困難さからか、スケジュールが遅れに遅れている。ようやく最初の製品を2001年にリリースしたが、その性能は惨憺たるもので、Itaniumにコミットしたカスタマーたちは非常に憤慨していた。

これはマイクロソフトとて同じであった。と言うのも、インテル・HPとの付き合いでItanium にWindows NTを移植してはいたが、Itamiumの遅れで普及が進まず、一向に出荷台数が伸びない状況はサーバー市場に足がかりを決めたいマイクロソフトにとっては苦々しいものであった。市場の環境とK8の登場はまさに絶妙なタイミングであった。

著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Device)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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(吉川明日論)