ネット上の知、「ありえないもの」を認めるということ──ケヴィン・ケリー

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『WIRED』の創刊編集長、ケヴィン・ケリー。2016年7月の邦訳新刊の発刊を前に、テックグルのアイデアの数々を紹介する。今回は「理論上は不可能だが、実際には可能」なことの話。ウィキペディアの成功は、どのようにケリーの考え方に変化をもたらしたのか。〈堺屋七左衛門の「七左衛門のメモ帳」から、クリエイティヴコモンズのもと転載〉

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【満員御礼】7/23開催! ケヴィン・ケリー新刊刊行記念イヴェント

現在もっとも尊敬されるデジタルカルチャーの論客である『WIRED』の創刊編集長ケヴィン・ケリー。2016年のSXSWにも登壇し話題をさらったテック界随一のグルが、今夏発売となる新刊『〈インターネット〉の次に来るもの』とともに来日。7月23日(土)は、ケリーの特別講演+ベストセラー『ザ・プラットフォーム』の著者・尾原和啓を迎えたトークセッションも開催(詳細はこちら。チケットは完売いたしました)。ケヴィン・ケリー関連のアーカイヴ記事はこちらより。

ジョン・ブロックマンは、毎年、自身のウェブサイト『エッジ』で「今年の質問」を主催している。年末になると、知り合いの科学者や思想家たちに質問を投げかけるもので、今年の質問は、わたしが提案したものだ(訳注:原文発表は2008年1月)。それは「何についての考え方を変えたか?」という質問である。

わたしはいろいろなものについて考え方を変えた経験があるので、この質問をしてみた。みんなが考え方を変えるに至った経緯と理由について、わたしは大いに興味がある。この質問に対する165件の回答は、読みごたえがあると思う。ひとつだけを選ぶのは難しいが、わたしは最近の事例について書くことにした。わたしの回答を再掲する。


人間の特質や知識の本質について、わたしが確信していたことの大部分は、ウィキペディアの出現によって覆されてしまった。暇をもて余した若者──ネット上に大勢存在する──が悪ふざけをしたがることを考えれば、誰でも編集できる百科事典をつくるなんて不可能だと思っていた。そんな方法では信頼できる解説文など期待できないし、信用のおける寄稿者であっても、誇張や思い違いは避けられない。

わたし自身の20年に及ぶネット経験から、思いつきの投稿に書いてあることは信頼できず、思いつきの記事を寄せ集めても混乱するだけだとわかっていた。専門家がつくったウェブページであっても、編集の手が加えられていないものには、わたしは感心したことがなかった。したがって、素人が書いたままで編集していない百科事典なんて、無知蒙昧のガラクタに決まっていると思っていた。

適切なツールを用いれば

情報の構造についてわたしの知るところでは、データから自然に知識が発生することはない。多大なエネルギーと知能を注ぎ込んで、知識へと転換させる努力が必要なのだ。指導者なしの集団で文章を書く試みは、過去にわたしもかかわったことがあるが、いずれもくだらないゴミしか得られなかった。オンラインでも、同じ結果だろうと思った。

だから、2000年にウィキペディアが供用開始した(当時はヌーペディアという名称だった)のを初めて見たとき、これは失敗しても当然だと感じた。編集と修正のための上意下達体制が存在して、その他大勢の執筆志願者のやる気を失わせていた。やがてヌーペディア原稿管理用のウィキができて、誰でも原稿を投稿したり編集したりできるようになり、ウィキペディアと名称変更したが、それでも結果はあまり期待できないと思った。

わたしはすっかり間違っていた。ウィキペディアの成功は、わたしの予想を上回るものだった。人間の性質による欠点にもかかわらず、ウィキペディアはどんどんよくなっている。

最低限の規則と少数精鋭による介在で、人間の長所も短所もすべて共有財産に生まれ変わる。適切なツールを使えば、荒らされた文章を元に戻すこと(ウィキペディアの差し戻し機能)は、妨害文を作成する(荒らし行為)よりも容易である。したがって、そこそこまともな記事が生き残る。

適切なツールを使えば、集団による共同作業のほうが、同じ人数の意欲的な人たちが個別に競争するよりもよい仕事をする。

わたしは考え方を変えた

集団になると能力が拡大するのは、昔からわかっていたことで、それが都市や文明というものだ。しかし、わたしが驚いたのは、必要なツールと管理監督はごくわずかでいいということである。ウィキペディアの官僚的組織は、小さくてあまり目につかない。管理者による統制でなく、ウィキのソフトウェアによる統制の成功が、素晴らしい大ニュースなのだ。

さらに、ウィキペディアがもたらす最大の驚きは、この能力がまだまだ拡大しそうだということである。ウィキ化した知性の限界は、まだ見えない。その知性で教科書や音楽や映画をつくれるのか? 法律や政治的統治はどうだろうか?

「ありえない!」と言う前に、考えてみよう。何も知らない素人が法律をつくるのは無理だということは、わたしも十分承知している。しかし、同様の問題についてわたしは、一度意見を変えたことがあるのだから、ここは結論を急がずにじっくりと考えたい。

ウィキペディアはありえないはずなのに、現に存在している。理論上は不可能だが実際には可能、という一例である。それがうまくいくという事実に直面すると、理論上は不可能なものでも、実際にはうまくいくかもしれない、と予想を転換せざるをえない。

オープンソース、新種の社会主義

これについて意見が変わったのは、わたしだけではない。ウィキペディアが実用に供されることで、ある種の共同体的社会主義が、想像上のものから望ましいものになった。オープンソースソフトウェアやオープンソースなんとかというほかのツールとともに、この共同体主義的な傾向は、ネット世界に深く浸透している。

言い換えれば、それは次の若い世代に浸透している。この変化した世界観が完全に開花するには、あと数十年かかるかもしれない。ウィキペディア的なものがうまく行くことを渋々認めるのでなく、きちんと理解した彼らが大人になるとき、また、オープンソースソフトウェアのよさが自明になるとき、写真その他のデータの共有にはデータ保全以外にも利点があると確信できるとき、このような前提条件を基盤として、共有財産という考え方がさらに強く受け入れられるようになるだろう。

あまり言いたくないが、新種の共産主義あるいは社会主義が世界に広まっている。両方とも使い古された言葉で、この新しい状態をうまく言い表していないのだが。

ありえないものの存在を認めること

ウィキペディアは、かなり頑固な個人主義者であるわたしの意見を変えた。そして、この新しい社会現象をわたしに納得させた。いまではわたしは、集団による新しい力、そして個人から集団へ移行する新種の義務、このふたつに興味をもっている。

市民の権利を拡大すると同時に、市民の義務を拡大するべきだとわたしは考えている。ウィキペディアの真の影響は、まだ見えない地下に隠れている。その意識変革力は、世界中のミレニアル世代に対して無意識のうちに働きかけて、集団意識が有益であるという実例をつくり、ありえないものの存在を認めることが評価されるようになると思う。

これがウィキペディアがわたしに及ぼした影響である。

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【満員御礼】7/23開催! ケヴィン・ケリー新刊刊行記念イヴェント

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