今から20年ほど前に、一隻の商業船がインドネシアから中国広東省に向かって出航したが途中で連絡が途絶え、行方不明となった。どうも南シナ海で海賊に襲われたらしい、という。資料写真。

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今から20年ほど前に、一隻の商業船がインドネシアから中国広東省に向かって出航したが途中で連絡が途絶え、行方不明となった。どうも南シナ海で海賊に襲われたらしい、という。

その船には日本のA社がインドネシアと契約したパーム油が積まれていた。契約はインドネシアから買い、中国に売るわけであるが、物品はインドネシアから中国へ直送するという、いわゆる仲介貿易、三角取引あるいは三国間貿易と言われる取引である。

A社の北京にある中国現法のB氏は本社からの依頼に基づき、北京大学出の専属中国人弁護士と共に中国南方の省都に入り、省都警察等の協力を得て調査を開始したが、思わしい結果は出なかった。船はその後インドネシアの港に帰って来たものの積み荷は戻って来ず、真相は闇の中に消えたままであった。しかし、何カ月か後、事件は思わぬところから進展を見せた。

南方のある中国商社がA社にパーム油を買わないか、と言って来たのである。興味を持って商談を進めると、仕様といい、数量と言い何となく以前どこかで記憶にあったものに似ている。念のため調査したところ、以前に南シナ海で消息をたった船のパーム油であることが判明した。A社を被害者と知らずに盗品を売りに来たのである。報告を聞いたA社本部役員会では「盗人が盗品を被害者にそれと知らずにしゃあしゃあと売りに来た…」と一瞬大爆笑となったそうである。

B氏と中国人弁護士は先方に接触を開始したが、途中からB氏は中国人弁護士から「これ以上は日本人であるB氏は前面に出るな。ここは自分に任せて欲しい」といわれ、やむなく報告を聞く程度にとどめたという。その後先方と弁護士の間でどのような交渉がなされたかは不明ながら、結局先方は賠償金を払う、と言ってきた。B氏が賠償金額を相談すべくA社に連絡したところ意外な返事が返ってきた。「中国側との交渉、断念されたし…」。どうも保険求償したようだ。

賠償金請求放棄の報を知るや中国側は喜び、今後のビジネスを発展させようという名目でB氏たちは宴会に招かれた。B氏が驚いたのは、先方の主人席にビジネスにはほど遠い地方警察の署長が座っていたことである。後にB氏が弁護士から聞いた話では、先方の商社の実質的なオーナーはこの地方警察署長で、その傘下には漁船団があり、これがどうも海賊行為を働いていたようだというのである。警察署長は言わば海賊の頭目だったということになる。当警察署の上部機関もこのことを知っており、更にその上部の省都警察も薄々知っているようではあるが、何故か手を出さず、放置されたまま、とのことであった。

宴会ではそのようなことはおくびにも出ず、極めて友好的で、むしろビジネス談義を通じB氏と署長とはすっかり意気投合したほどである。次の日、B氏と弁護士が北京に戻る時にはパトカー先導のノン・ストップで飛行場に送ってくれたという。

これには後日談がある。A社の社員が視察団の一員として中国のある観光地を訪問し、当該地の副市長と名刺交換した際、社員の名刺を見て「B氏によろしく…」と言ったという。人づてに社員からの話を聞いたB氏であるが、当初はその副市長に思い当たるところがなかった。後日、気になったB氏が古い名刺集を調べたところ、一致する名前が出てきたのである。あの海賊の頭目とも思われた警察署長である。だとすれば、彼が出世して中国有数の観光地の副市長になっていた…?

その後南シナ海の海賊がどうなったか、そして現在はどうなのかはよく分からないが、今でも“元気に活躍し、悪さをしている”とすれば、米国艦船等による「航行の自由作戦」は、海賊達にとっても非常に迷惑な話に違いないだろう。

■筆者プロフィール:岡田郁富
長年日本の大手総合商社で中国ビジネスに携わり、機械、プラント類の輸出をはじめ中国現法の責任者として数多くの対中投資案件を手掛け、商社退職後は主として中小企業向けに中国ビジネスアドバイザーを務める。ビジネスでの往来や長期滞在等を含め50年ほどにわたり中国関連に関わり、豊富な経験を持つ。