ちょうど70年前、ビキニ環礁の核実験で起きたこと

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米国がビキニ環礁で行った核実験「クロスロード作戦」から70年が経過した。実験の概要とその後の影響を写真で振り返る。

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2/9ベーカー実験ではまず、爆発の熱や衝撃波によって空気中の水分が凝結し、「ウィルソン・クラウド」(ドーム状の霧)が発生。その後、放射能を浴びた海水が噴き上がり、「カリフラワー状」の水柱が現れた。プルトニウムなどに汚染された海水と海底の砂200万トンから成る「ベースサージ」が実験の全域に降り注いだ。

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3/91946年7月1日にビキニ環礁で行われた「エイブル実験」の核爆弾は「B29」から投下され、空中で爆発した。投下の位置が標的からずれたため、実験目的で集められた無人の艦隊の1隻が破壊された。

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4/9エイブル実験では、被ばくによる健康への影響を調べるため、標的艦のデッキにヤギが配置された。写真は上陸用輸送船「ナイアガラ」に乗せられた2匹のヤギ。

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5/9航空母艦「インディペンデンス」に搭載されていたレーダーの残骸。エイブル実験では、爆発によって完全に蒸発した艦艇はなく、5隻が沈没、40隻が修理不能な損傷を受けた。

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6/9マーシャル諸島の軍政長官ベン・ワイアット准将が、ビキニ環礁の住民を集め、安全な場所への退避を指示しているところを、カメラマンたちが撮影している。同准将は住民たちにクロスロード作戦について、「人類のため、世界のすべての戦争を終わらせるため」と説明した。

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7/9ビキニ環礁の住民たちはロンゲリック環礁に退避した。しかし、食料と物資は数週間分しか支給されず、ロンゲリック環礁には生き延びるのに十分な食べ物も水もなかった。

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8/9ビキニ環礁の海で捕えたスズキ目ニザダイ科の魚のオートラジオグラフィー画像。プルトニウムの拡散が危険であると証明されたため、ベーカー実験の後、魚の体内の放射性物質が調べられた。魚の輪郭を描いているのはアルファ線。うろこにプルトニウムが蓄積し、カルシウムのように白く映っている。この発見により、標的艦の除染作業はいったん中止され、汚染されていない海域で除染作業が再開された。

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9/9ベーカー作戦のキノコ雲をかたどったケーキをカットする米海軍作戦副部長ウィリアム・H・P・ブランディー大将夫妻。同大将はクロスロード作戦で、陸軍と海軍の統合部隊の指揮を執った。1946年11月7日のイヴェントで撮影。

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米国は1946年7月、ビキニ環礁で核実験「クロスロード作戦」を行った。

米海軍の老朽艦のほか、日本の戦艦「長門」など、ドイツや日本から接収した艦など約70隻が集められて核実験の影響が検証された。

最初に行われた「エイブル(ABLE)」実験では、7月1日に「B29」から投下され、高度158mで爆発させた。次の「ベーカー(BAKER)」実験では、7月25日に水深27mで爆発が行われた。

クロスロード作戦は、1945年7月のトリニティ実験、8月の広島、長崎に続く、史上4番目と5番目の核爆発となった。冒頭のギャラリーでは、実験の様子を紹介している。

米軍はその後もマーシャル諸島で核実験を継続し、1950年代までに全部で67回の核実験を行った。1954年3月には米軍の水素爆弾実験によって日本の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が被曝する事件も起こった。