ピッチを退く決意を固めるには、さまざまな理由がある。ピッチに立つすべての選手が最後にはその決断をしなければならない。27歳というサッカー選手として伸び盛りのときに、自らその決断を下した選手がいる。今シーズン、ドイツ・ブンデスリーガの1.FFCトュルビネ・ポツダムでスパイクを脱いだ永里亜紗乃だ。

 Jリーグで活躍し、現在はタイのプレミアリーグでプレーしている兄・源気、なでしこジャパンの不動のエースである姉・優季の姿を見て育った。今や、優季はなでしこジャパンに欠かせない存在であり、また世界屈指のトップリーグであるドイツやイングランドでも高い評価を受けている。人一倍努力家の姉とは二つ違いということもあり、どうしてもサッカー環境が重なる。当然いつも姉と比べられてきた。中学・高校時代は、そんな姉とは距離を置いていたという。

「仲が悪かったと言ってもいいと思います(笑)。周りから『お姉ちゃんみたいに◯◯したらいいのに』とか言われるたびに、『なんで同じことやらなきゃいけないんだ! 私は私のやり方がある』っていつも思っていました......いわゆる反抗期ですね」

 意外にも、その距離が縮まったのは姉・優季がポツダムへ移籍した頃からだという。

「姉が海外に出てからマメに連絡を取るようになった。こんなサッカー観を持っていたんだと初めて知るくらい、それまでは全くしゃべってなかったんです(笑)。連絡しているから彼女がつらいときも、うまくいってるときもわかる。あるとき代表の試合を見ていると姉が変わってきていることが私にもわかりました。海外ってこんなに成長させてくれる場所なのかとも思った。つらい中でもがんばっている姉をすごく尊敬しました」

 亜紗乃が優季のいるポツダムの練習に参加したのは、2011年。それまでは日本が日テレ・ベレーザでプレーすることに何の疑問も抱いていなかった亜紗乃の中で変化が生じていた。

「この頃から自分も変わりたいし、姉を追いかけるんじゃなくて、姉と肩を並べたいって思ったんです。姉と一緒にプレーしたい。これが私の目標になりました」

 帰国した亜紗乃は、常に世界レベルの相手をイメージしながらトレーニングを重ねた。その結果、日本での最後のシーズンは19ゴールを挙げ、ベストイレブンにも選出された。満を持して臨んだポツダムへの移籍だった。永里亜紗乃のサッカー人生でこの移籍は最大のターニングポイントとなった。末っ子気質でマイペース。それが自分だと思っていた。ポツダムでの足掛け4シーズンはそんな彼女を大きく変えた。

「人間性が変わった。日本では自立しないで生きていた。移籍を決めたのは1人で生きていかないと成長しないなって思ったからです。移籍したら何でも1人でやんなきゃいけないし、頼ることもできない。自分で何かをするっていう力がついたかな。サッカーに対しても、すごく考えるようになりました」

 自立するためにドイツへ渡り、ようやく見えた自分の道。昨年のFIFA女子ワールドカップのエクアドル戦では、日本史上初めて姉妹でピッチに立った。

「私だったら姉をこう使うのにっていうイメージは、毎試合感じながらベンチにいました。彼女のポテンシャルを考えるとこっちが先行してパスを出すくらいじゃないと1テンポ遅くなるから、こっちが先に出して走らせるイメージ。当てやすいからどんどん当てて、クロスに関しては絶対にスペースに出せば見つけてくれるから。あとは......」

 優季とどう攻撃を組み立てるのか、日頃から何度もイメージしてきたのだろう。次々にアイデアが出てくる。それらを実現させようとしていた矢先、亜紗乃の膝が悲鳴をあげた。2、3年前から痛みはあったものの、事態が悪化したのは昨年のFIFA女子ワールドカップカナダ大会後のことだった。

「ドイツでドクターに見てもらったら、このまま2、3年サッカーを続けていたら歩けなくなるかもしれないと言われたんです。それでも、リオデジャネイロオリンピックの最終予選までにはまだ時間があったから、続けられる可能性を探りました」

 そこまで亜紗乃がオリンピックにこだわったのは、なでしこジャパンが優季とともにプレーできる唯一の場所だったからだ。

「姉とプレーするためには、なでしこジャパンに入るしかないという結論に数年前に至りました(笑)。彼女がいなければ目指してないし、そこまでの情熱はなかったと思います」

 亜紗乃は日本での手術を選択する。わずかな可能性にかけたのである。

「ダメでした。痛みが引かなかった。もちろん手術前よりも痛みは軽減されましたが、とてもじゃないけど、プロでやる資格はないと思うくらいの痛みがあった。100%の力でできないからフラストレーションがたまって、そんな状況では評価されるはずもなく......悪循環でした」

 今後を模索している間にも時間は過ぎていく。現役を続けられるものなら続けたい。それでも膝の状態は限界に達していた。

「次のシーズンのことを考える時期になったとき、膝の状態はもう練習後は歩けないほどでした。使うとその分、日常生活に支障が出ることを実感していたから、これをあと何年か続けたら......怖さを自分で感じていたので決断できたのかもしれません」

 長く痛みと戦い、悩み苦しんだ末に決めた"引退"だった。

 そもそも亜紗乃は姉・優季も認める才能の持ち主だ。U-17、U-20と、世代別代表の時代からその高いサッカーセンスには定評があった。名門・日テレ・メニーナからベレーザへ昇格したのは2007年。翌年には北京オリンピックの代表候補にも選出された。

 本人がずば抜けて印象に残るゴールはこの頃のもの。2008年のU-20女子ワールドカップ第2戦、ドイツを相手に同点にされていた82分、パスを受けた亜紗乃が反転から左サイドネットぎりぎりのコースに叩き込んだ。全カテゴリーを通じて一度も勝ったことがなかったドイツを下し決勝トーナメント進出を決めた会心のゴールだった。

 当時も「ここしかないっていうコース。打った瞬間に入ったと確信しました」と語っていたが、今も「忘れられないゴールです。あれほど周りがゆっくり見えたことは後にもなかった」と振り返った。

 このときチームメイトだったのが熊谷紗希(オリンピック・リヨン)と宇津木瑠美(シアトル・レインFC)だ。現在は新生なでしこジャパンの中心メンバーになりつつある。

「2人は本当に守備範囲っていうか、プレー範囲が広い。特に紗希とは付き合いもユースのときからですからもう......8年。すごく成長を感じたのはロンドンオリンピックのときです。もはやドッシリした雰囲気が出て若手感ゼロでしたよね(笑)」

 切磋琢磨してきた同士だからこそ、託したい想いもある。

「締めるとこ締めるっていうところが紗希のいいところ。これからはもう自分より下しか入ってこない。オリンピック・リヨンでやっているいいところをもっと細かく伝えていってほしいなって思います。ゆくゆくはキャプテンになってほしい」

 亜紗乃らが、なでしこジャパンに招集されるようになったのは10代後半。それを考えると今の若手の成長に不安も感じる。自分が海外へ出て環境を変えたことで得たものを実感するからこそ、芽生える感情もある。

「(若手が)もっと出てきてほしい。(選択肢として)海外に出るという道もある。例え失敗してもまだ20歳そこそこならいくらでも立て直せる。海外で通用するかわからないから出てみるっていう考え方もあると思うんです」

 経験があるからこそ、自分自身で発信していきたいのだという。今、亜紗乃にはその先に見据えているものがある。

「なでしこジャパンを圧倒的な勝利で世界一にしたい。海外に出て思ったんですけど、日本人ほど繊細な人はいないし、努力をするのも、人と助け合うっていうのも日本人のいいところ。どうしてチームスポーツなのに日本人が勝てないのかもどかしくて......。そのためにはなでしこリーグをもっと魅力的なものにしなければならないし、いろんなことを発信していきたいです」

 サッカー漬けだった現役生活を終えて、これから歩き出す世界にもサッカーが溢れている。あえて聞いてみた。"あなたにとってサッカーとは?"――

「人見知りだった私にとってサッカーはコミュニケーションツール。サッカーって世界を救えると思いません? ボールひとつあればどこでも蹴れるし、みんなが笑顔になる。言葉がわからなくてもボールでコミュニケーションが取れるから世界をひとつにできるんじゃないかって。そんな風にサッカーをしていきたい。"世界"を視野に入れています(笑)」

 サッカーは世界共通語ですから――そう言って笑う彼女に、もう迷いはなかった。天才的であり、天然的であり、そして一般的。不思議なバランス感覚を持った選手だった。それが彼女の最大の魅力。その持ち味は変わらず、必ずセカンドキャリアでも生かされていくはずだ。

早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko