舛添東京都知事が辞任を表明し、5年間に4回も都知事選が行なわれる異例の事態になりました。この件についてはすでにいい尽された感がありますが、国際政治学者出身にもかかわらず、自身の権力の源泉がどこにあるか無頓着だったことが失敗の原因でしょう。

 無所属の候補に与野党が相乗りする昨今の知事選では、与党が知事を無条件で支持し、不祥事から守ることはなくなりました。それなのになぜ舛添氏が大統領のように振る舞えたかというと、次回の選挙でも勝つという強い見込みが共有されていたからです。さらに4年、知事の座にあると思えば、都議会議員も対立を避けようとするし、都庁の職員も黙って指示に従うでしょう。しかし有権者の信頼は蜃気楼のようなものなので、ちょっとしたきっかけで失われてしまいます。

 東京都知事がファーストクラスを使い、一流ホテルのスイートルームに宿泊したとしても、批判はされても辞任するほどのことではないでしょう。週末の別荘通いにしても、謝罪してあらためればいいだけの話です。致命的だったのは、マンガ『クレヨンしんちゃん』を資料代、絹の中国服を書道のためと強弁し、家族旅行のホテル代約37万円まで政治資金で支払っていたことでしょう。金額の問題ではなく、そのセコさが知事にはとうていふさわしくないと見なされたのです。

 その後の追及で、舛添氏が私的な経費をすべて政治団体に回しているのではないかとの強い疑いを持たれることになりました。一つひとつはささいなことでも、その原資は税金なのですから、これでは民心を維持できるわけがありません。「次の選挙は勝てない」とわかった瞬間に、すべての権力を失うことになったのです。

 それにしても不思議なのは、きわめて賢いはずの人物が、なぜこんなかんたんなことに気づかなかったのかです。説明に窮した経費は、美術品のオークションを含めても数百万円でしょう。都知事の地位とこれまでの実績を賭けるにしては、あまりにわずかな金額です。

 近年の進化論では、意識(理性)の役割は真と偽を見分けることではなく、「自己欺瞞」だとされるようになりました。もっとも上手にウソをつく方法は、自分が真っ先にそのウソを信じ込むことです。同様に、真に迫った訴えは、本人がそれを言い訳と思っていません。

 しかし「真心からのウソ」という戦略は、ふつうはそれほどうまくいきません。周囲の人間に見破られて、たちまち批判されてしまうからです。そこで次善の策として、多くのひとが「批判されたらとりあえず謝る」のです。

 ところがきわめて賢いひとは、その高い知能を駆使して、いくらでも「合理的」な言い訳を思いつくことができます。さらに意識の自己欺瞞が、それを「ウソ」とは気づかせません。彼らはこれまで、ずっとそのやり方で成功してきたのです。

 こうして周囲がみんな欺瞞だと気づいているのに、「真心」から無様な言い訳をえんえんとつづけることになってしまいます。その結果、自爆したのだと考えれば、今回の出来事がよく理解できるのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2016年6月27日発売号に掲載

橘 玲(たちばな あきら)

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)など。中国人の考え方、反日、歴史問題、不動産バブルなど「中国という大問題」に切り込んだ『橘玲の中国私論』が絶賛発売中。最新刊『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』(集英社)が発売中。

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